川村裕子@蜻蛉日記

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川村裕子@蜻蛉日記
@kagekageko
博士(文学)。平安文化、日記文学。『蜻蛉日記1』『蜻蛉日記2』(角川ソフィア文庫)、『平安女子の楽しい!生活』(岩波ジュニア新書)『平安男子の元気な!生活』『平安のステキな!女性作家たち』(同)、『ビギナーズ拾遺和歌集』『王朝の恋の手紙たち』『はじめての王朝文化辞典』(角川ソフィア文庫)
Joined September 2019

川村裕子@蜻蛉日記’s posts

平安時代の出産は五人に一人の割合で母親が亡くなっている。子どもは半分以上亡くなっている。出産は命がけであった。これ、重要なことですよね。注釈にはあまり書かれませんけれどね。
■倫子さまは超健康。だから彰子・妍子・威子(いし)・嬉子(きし)を産みました。当時の出産は「母子ともに健康」が五〇パーセント切ります。無事だった倫子さまは超健康。そのうえ、はやくに亡くなった嬉子以外は、なんとすべて入内。また最後の出産が四十四歳!そして九十歳で大往生!#光る君へ
■「源内さんの心を伝え続ける。本を出し続ける」と語った須原屋の誓い。この誓いはずーっとずーっと続いております。現在の須原屋書店、今日も江戸人の心が溢れた本を販売し続けておりますね。書をもって世を耕す。#大河べらぼう #須原屋本店 2025/04/21
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■これは、大河で一番悲しい場面。惟規が亡くなるシーン。その時、為時が着ていた紋様は「片輪車」(源氏車)といいます。牛車が乾燥するので、川に浸してます。流水と共に描かれる牛車の輪。そして意味は「輪廻転生」。「なんでもいいから生まれ変わってくれ!!!」という父の苦しくも悲しい思いが込
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■賢子は、怒ってますが、賢子のステイタス、母を超えます!大弐三位。彰子に出仕。 藤原頼宗(道長の次男!)も恋の相手。母よりモテモテ。親仁親王(後冷泉天皇)の乳母となって、弁の乳母と呼ばれます。乳母はみんながめざす女房トップステイタス!!!孝標女なんかも目指してました。#光る君へ
それに惟規のぶのりはね、勅撰集(天皇が選んだ歌集)に十首も入っているんです。父親は有名な漢詩人だけど、和歌は勅撰集に四首のみ。当時はこの勅撰集に歌が入る、というのは大変な大変な名誉だったのです。 #光る君へ
■定子さま没後、清少納言は悲しみにばかり浸っていたわけではありません。彼女には仕事がありました。定子サロンを残すこと、そう、あの明るい定子さま、笑っている定子さまを世の中に残すこと(泣)そして彼女は千年後の私たちにも定子さまを届けてくれたのです。筆の力で……。#光る君へ
■まひろに伸ばした手、ということをわかりながら、道長の手をお布団にもどす倫子さま。つらい描写。倫子さまの装束は亀甲に向い鶴の紋様。長寿をあらわすめでたい紋様が哀しさをいっそう浮き彫りにします。#光る君へ
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■春はあけぼの。清少納言は止まらない時間を季節ごとにスクラップしました。定子さまの笑い声とともに光っている季節を。いつまでも万華鏡のようにきらめいている季節を。「ただ、どんどんと過ぎていってしまうもの。帆をつけた舟。人の年、そして、春、夏、秋、冬」(『枕草子』)#光る君へ
■円融帝役の坂東巳之助さんも、一条帝役の塩野瑛久さんも「御簾の外で話している人たちがうらやましい」というようなことをおっしゃっていましたね。撮影でもそうなのだから、いはんや現実に於いてをや。平安天皇の孤愁・孤独を思いやるべし。 #光る君へ
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■道長はまひろの家に通うことは考えてませんね。自分のそばに置くわけです。すると召人(愛人)でしょうか。道長は通うことすら考えてない。ということは『和泉式部日記』はとんでもない作品なんですね。東宮候補が受領の娘に通う話だからね。#光る君へ
■漢詩の会の後、公任(町田啓太)たちが肩に 掛けているのは被(かず)け物でご褒美です。 ただサイトを見ていると「主催者が着ていた物」との説明が多いです。これは違います。着ている物だけではない。なぜなら下賜される衣で圧倒的に多いのは女性用(特に単衣)だからです。 #光る君へ
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■紫式部は彰子をこのように言ってます。「つらいことの多いこの世の心の慰めには、こういう方を、さがしてでもお仕え申すべきだったのですね。ふだんの沈みこんだ気持ちとは全く違って、不思議なほど、さまざまのつらいことが忘れられてしまうのも、考えてみると不思議な気持ちが……」紫式部日記
■行成の言葉→『古今和歌集』の仮名序です。→やまと歌は、人の心を種(たね)として万の言の葉とぞなれりける。歌は人の心が根本。そこから言葉が生まれるのです。漢詩は志(『詩経』によるか)(諸説有)。#光る君へ
■俊賢(としかた)や行成(ゆきなり)の上手な行動。俊賢は源高明(たかあきら)を父とするので後見がいません。行成も父の義孝(よしたか)がはやく亡くなってます。こういう人たちは自分の立場を自分で切り拓いていく。あざとい行動も仕方ない。彼らの苦渋を思いやってあげましょうね。#光る君へ
■紫式部の伯父さんの代表歌「この世に生きていて欲しい、と思う人ほど亡くなってしまうものなのだ。どうしてなんだ」(世の中にあらましかばと思ふ人なきがおほくもなりにけるかな)という歌も、九九五年疫病のために亡くなった人々に対して詠んだ慟哭。死別の哀しさに苦しんでいます #光る君へ
縦書きは横書きに、横書きは縦書きに、わざと直します。明朝だったらゴシックに、ゴシックだったら明朝にわざと直します。そして、印刷してチェックをします。すると、今まで見つからなかったミスが、不思議と見つかります。
★おお、倫子は最後の出産が四十四歳高齢出産、明子は四十二歳!倫子は九十歳まで、明子は八十五歳まで長生きしました。子どもの数も同じ。二人は似てる。そう、道長は健康女子が好き。健康は子孫繁栄には欠かせないファクター。#光る君へ
道兼は兼家の子どもですが長男の道隆と末っ子の道長に挟まれてました。だから父からの愛情をいつも追い求めていたのです。今の「評価依存」。自分の中身は空っぽ。人から評価される事だけを目的として生きている。こんな人は自分のバリアが強く常に不機嫌。現代にもつながる問題を書くのはすばらしい
■そう、平安貴族は対立してもドンパチやらない。漢詩の会で若い人たちの気持ちをぐっとつかむ。風流な会で心をつかむのですね。これぞ平安人の「みやび」。ドンパチしない、というところで『源氏物語』の「絵合」を思い出したあなたは平安沼の住人。#光る君へ
本日、岩波の倉庫から巣立ちました。いろいろ大変な状況のなかで書いた本。平安男子が、皆さまのもとに飛び立ちます!なにとぞよろしくおねがい申し上げます。元気でね。平安男子。
『蜻蛉日記』鳴滝は詳細に計算されたPMS(生理前困難症)の文学です。何度も執拗に生理の「時期」が記されます。物詣でという祝祭空間を打ち破って、産める性に縋り付く表現が横溢しています。下巻に入りますと更年期と生理の問題が浮上。『蜻蛉日記』の生理は読み解いていく必要があるでしょう。
裳着は夜でした。時間帯は夜間に挙行されたのです。だいたい、「戌(いぬ)の刻(こく)」(午後七時~九時ごろ)、「亥(い)の刻(こく)」(午後九時~十一時ごろ)でした(『平安時代の儀礼と歳時』114頁)#光る君へ
■吉高さんの衣裳は解説によると以下のようです。こんなに細かい説明ははじめて見ました。そうか、いつもの袿重ねではなく単衣が重ねてあるのですね。それでゴージャス感がでるのか。綾も豪奢。@石山寺大河ドラマ館
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【諸説乱立】 1、道長がお金を渡したので「ひと思いにやってくれ」という意味と受け取った。 2、道長のような年下風情がお金で人を動かせると思っているのが憎かった。何か復讐しようと思った。 3、道長の渡したお金が少なかった。
■赤染衛門は常にトップのお局女房。『栄花物語』正編の作者だといわれています。『紫式部日記』のなかでは歌が誉められてます。ただね、紫式部は自分が超えられない、と思う人には厳しいのですね(清少納言、和泉式部)。赤染はあまり恐怖ではなかったのかも。#光る君へ
■鳥辺野は、東山区京都市東山区中央部から南方に広がる原野。葬送の地。火葬が多い鳥辺野。みんな鳥辺野の煙をじっとみつめていたのです。帰ってこない人の面影を抱きながら。#光る君へ
当時、文章生に合格するのは大変なことでした。源氏物語の夕霧は猛勉強してますね。また惟規の歌はポップでシュールな歌が多く、勅撰集に十首も採られてます。父の為時は四首です。歌人として分析する必要がありますよね。紫式部と比較された話ばかりが一人歩きしています。惟規を救え!
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紫式部が暮らした越前市【ここにある、本物とほんとう。】
@ShikibuEchizen
㊗️ #文章生 合格 父姉の #越前 出発に間に合った‼️ と急ぎ報告する惟規が尊い🫰🏻💛#藤原惟規(#高杉真宙 さん)と #まひろ(#吉高由里子 さん) Wまひろのやり取りも魅力的☺️ 藤原惟規の歌は「後拾遺和歌集」(優れた和歌を天皇が選んで編纂したもの)に10首も選ばれており高い教養があったとも🥹✨ x.com/JPNatArchives/…
■紫式部と実資の関係は結婚はしないものの、良好かもしれません。『紫式部日記』のなかでも紫式部が声をかけたところ「すごく今風を気取っている人よりも実資さまはずっとご立派でいらっしゃるようなのね」と書いてあります。これは敦成親王の五十日の祝いの宴会の時ですね。#光る君へ
■本当に頭が悪かったら文章生もんじょうしょうにはなれませんでした。文章生になるのはかなりの能力が必要だったのですね。惟規は最後の二十人になりました。能力がなければ文章生になれません。紫式部神話の犠牲者ですね。#光る君へ
■当時は百舌彦(道長の従者)と乙丸(まひろの従者)みたいに従者どうしが仲良くなりました。『和泉式部日記』に出てくる小舎人童(こどねりわらわ)〈和泉式部側〉と樋洗童(ひすましわらわ)〈帥宮(そちのみや)側〉は、情報交換しています。#光る君へ
■公任と斉信の歌。これは『栄花物語』「つるのはやし」にありますね。 ★長谷の入道(公任) 見し人のなくなりゆくを聞くままにいとどみ山ぞ寂しかりける (昔仲良くしていた人たちが亡くなっていくのを聞来ますと、いよいよこんな山のなかの生活が寂しく思われてならないのです)