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なぜ国産OS「TRON」はWindowsよりも先に開発できなかったのか? ・・・ 慢心、環境の違い

Last updated at Posted at 2025-07-23

はじめに

TRON(トロン)とは、1980年代に、坂村健が発足したプロジェクトの名前です。

よし今から OS を作るぞーと考えただけで、発足時に動く OS はありません。

Windows 95 の発売の 10 年前に動く TRON など存在していませんでした。

ひーこら頑張って 1990 年代にようやく作れました。

しかし、そのころ Windows はすでに発売されていました。

頑張って作った TRON も普及することはありませんでした。

日本人に Windows を超える OS 開発なんてできませんでした。

どうしてこうなってしまったのでしょうか?

本当は BTRON を区別して書くべきですが、TRON(トロン)に統一しています。

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1. 慢心

一つ目の理由は慢心です。日本は米国よりも圧倒的にパソコンの OS の研究開発が遅れていましたが、1984 年、今から開始しても米国に追いつけると慢心していました。

OS はアメリカの発想で研究も開発も全てにおいて日本より 10 年以上先を行っていました。

日本が OS 開発で先行していたことなどありません。

米国で初の GUI システムが誕生したのは 1973 年の Xerox の Alto で、Macintosh や Windows の GUI システムのモデルです。TRON の GUI も Alto や Macintosh や Windows の真似です。

Apple が Lisa、Macintosh といった GUI を備えた一般ユーザーが使えるレベルの実用的なパソコンが登場する中、ようやく OS を作り始めようとしました。GUI ではない MS-DOS になら勝てると慢心していたのでしょう。

しかし TRON は MS-DOS と互換性がありませんでした。最初から MS-DOS 用アプリという膨大なソフトウェア資産を持っていた Windows にくらべて、TRON は使い物になりませんでした。MS-DOS の資産がなくても勝てると慢心していたのでしょう。

互換性を無視しゼロから始めようとした TRON は MS-DOS にすら負けました。

TRON は使いやすく抜群の安定性を誇るなどという主張がありますが、1980 年代に存在しない OS について、なぜそのようなことを言えるのでしょうか? 日本の OS が米国の OS を超えているなど、すべては想像の世界の話でした。

2. 環境の違い

二つ目の理由は環境の違いです。米国は昔から OS の開発を行っていました。最初はメインフレームで 1950 年代には簡易的な OS を作っていました。1960 年には 1バイト = 8 ビットを普及させた、OS/360 という OS が誕生しました。

1970 年代にはミニコンピュータ上で TOPS-10 などの OS が使われていました。1969 年には Unix も誕生し、1975 年には Unix は広く無償で提供されました。TRON はソースコードがなく、パソコンメーカーが自社開発しなければならないので、実質有料、高コストでした。

1974 年には、マイコン(今のパソコンに相当)用の 8 ビット OS として CP/M が誕生しました。1978年には Apple DOS が誕生し、1981 年には MS-DOS も誕生しました。

米国は昔から米国内で様々なメーカーが OS 開発競争でお互いに競っていました。そこに 1980 年代にようやく OS を作り始めても追いつけるはずがありません。

日本政府は、日本に米国のパソコンが参入できないように、教育現場に用いるパソコンに TRON 搭載パソコンだけを指定しました。まだ TRON 搭載パソコンなど存在しないというのにです。ガラケーならぬガラパソで独占しようとしていたのです。

この決定は、当時日本で 90% のシェアを持っていた NEC が反発しました。NEC は MS-DOS を採用しており、すでに多くの MS-DOS 資産を持っていたからです。しかし他のメーカーは NEC に対抗すべく TRON 搭載パソコンに賛同しました。

日本は米国が参入できない環境を作りましたが、それに怒った米国は TRON をスーパー301条の候補に指定しました。日本は教育用パソコンに TRON を指定することに断念し、その結果、TRON 陣営は崩壊しました。

でも米国に潰されたと考えないでください。それはトドメできっかけは日本政府の愚かな選択(教育用パソコンから TRON 以外の排除)です。そのせいでスーパー301条で潰されたということになっていますが、日本政府が愚かな選択をしなければ、単に自分で潰れていました。米国に潰されるか自滅するかの違いです。

まず 90% という大きなシェアを持っていた NEC が TRON 搭載機に反対していたという事実を認識することが重要です。NEC 製の PC-98 シリーズは「国民機」と呼ばれるまでに使われていました。当時を知っている多くの人が言ってるように、互換性がない TRON なんて誰も使うわけ無いだろという状況なので、米国がなにかをしなくても日本は勝手に潰れてました。その証拠に PC 互換機対応の TRON は Windows 95 の 1 年前に販売されたのに売れなかったんですよ。

競争によって OS の事実上の標準を作っていた環境と、政府の管理の元でみんなで仲良く TRON 搭載パソコンを作ろうとしていた環境とでは、競争力に大きな差が出てしまいした。政府が余計なこと(教育用パソコンから TRON 以外の排除)をしたせいで、日本はパソコンを作る技術力を失ってしまったのです。

さいごに

1980 年代に Windows より 10 年進んでいたと言われる OS を日本人が開発していたなんて、空想の物語でした。

TRON は完成しており現在も販売されていますが売れませんでした。OS を作る力のない国産 OS「TRON(トロン)」は今も 30 年前の姿のままです。


いろいろ省略しましたが、内容は大体あっていると思います。
もっと真面目な記事は後で書きます(笑)

いろんなものを参照して記事を書いていると、デタラメばっかり書いているのが目についてイライラするんですよね。さっさと結論を書きたくなったので、この記事は私のストレス発散です。

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Comments

X___MOON___X
@X___MOON___X

ITRONとかμITRONとか
探査機の「はやぶさ」に採用されてたりするやつ?

1
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

@X___MOON___X

この記事は雑に書いていますが、ちゃんと書くと BTRON がメインです。Windows と競合するはずだったやつの話をしています。ITRONやμITRONは別物です。


『孫正義 起業の若き獅子』を読むことからお勧めします。

読んでいることを隠していてごめんなさいねw
お詫びに『孫正義 起業の若き獅子』に本当に書かれていることを以下にまとめました。

↓ へのレス

7
hideyama0
@hideyama0

いくらなんでも、もう少し調べてから記事を書いた方がいいと思います。
まずは『孫正義 起業の若き獅子』を読むことからお勧めします。

あと、BTRONは実際に動かしたことはありますか?
文章からは実際に触れてみたという感じがしませんでしたので、一度使用してみることもお勧めします。

まぁ、国を挙げ、仮に一度大成功を収めたとしても、最終的にはガラパソとして消えることになったとは私も思いますけどね。

ただあれほど特異なOSであれば、これはこれで関わった方々に新たなインスピレーションを与えてくれたのではないかと私は思います。

17
takkymodoki
@takkymodoki

比較する土俵が違う。組み込みをやられた経験はあるのでしょう?また、当時の貿易摩擦やスーパー301条など調べられたのでしょうか?

5
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

@hideyama0

まずは『孫正義 起業の若き獅子』を読むことからお勧めします。

それでは 『孫正義 起業の若き獅子』の P286 から引用 しますね(笑)
どの話を加えてほしいでしょうか? あなたは読みましたか?

(読みやすさのために漢数字はローマ数字に置き換え。太字は私によるもの。誤字があると思いますがごめんなさい。)

孫は、1987年2月 〜略〜 熊本県の義務教育にパソコンを導入することから始めた。 〜略〜
NEC は、富士通とともにこのパソコン普及のハード面の協力をした。 〜略〜
孫は、同年秋、通産省と文部省がつくったコンピュター教育開発センターの審議会に出席した。
小学校、中学校、高等学校など学校教育の現場で使う教育用コンピューシステムの開発の調査機関であるコンピュータ教育開発センターは、1986年7月に設立された。すでに、公のOS(基本ソフト)を選ぶ出すためということで、内外のコンピュータメーカーに試作機を出すよう求めていた。
孫は、その席ではっきりと言った。

「そもそも、プロセスが許せない。TRON にばかり肩入れしているではありませんか」
〜略〜
このように見ると、このシステムは一見よさそうだが、孫は、TRONコンピュータにはキナ臭さを感じていた。あまりにも「日の丸OS、日の丸OS」と旗を振りすぎている。 〜略〜
しかし、発想の根源には、日本人が作ったものは正しく、外国人が作ったものは間違っていると言った、島国らしい排他主義的な響きが「日の丸OS」の言葉には含まれている。

〜略〜

「 〜略〜 松下電器さんをはじめとした数社は、TRONを標準装備した試作機、NECさんはインテル機とマイクロソフト製を標準装備したものを出した。ところが、提出期限を守って試作機を出したのにもかかわらず、TRON仕様でない試作機は受け付けられない。これはどういうことですか!
日本独自のソフトを使おうという官僚の意図が働いている。国外のものを受け入れようとしないその思想が間違っているし、 〜略〜 」

「こんな馬鹿げた出来レースが、どこにあるんです。国民の税金で組まれた予算で、あとになって出来レースで選んだとわかったらどうなりますか。いまや、日本の国際貿易黒字の問題は経済摩擦となっているじゃないですか。必ずや国際問題に発展しますよ」

〜略〜

会議場にある役人に呼び止められた。「お前は通産省に出入り禁止だ! 〜略〜 」 〜略〜
孫はプロジェクトから外された。もちろん、TRONの技術を開発する企業に出される研究費も、日本ソフトバンクには回ってこなかった。
〜略〜
(TRONは日本を世界の流れから孤立させ、日本を滅ぼすことになる。遅れているコンピュータ業界がますます遅れていってしまうことになりかねない。潰すしかない)

1988年1月、文部省と通産省で作っている外郭団体コンピュータ教育開発センターが、TRONを教育用パソコンの基本しようとすることを決定し、TRONの推進者である東大理化学助教授の坂本健と覚書を交わした。
その内容は 〜略〜 原著作権は坂村に属しており、その許諾を得てコンピュータ教育開発センターが発行するとの文章を明記することを決めていた。MPUの種類、キーボードや画面表示、フロッピディスクの仕様、ソフトの互換性のかなめとなるOS機能についても細かく決められていた。

〜略〜

TRONの教育用仕様は着々と進み、1989年度からは教育用として全国の中学校で使われることが決まった。

〜略〜

「日本の国益を守るべき通産省が、政策として海外のコンピュータを締め出そうとしています。これはまさに鎖国です。今の国際状況にそぐわないばかりか、日本の技術が遅れてしまいます」

〜略〜

孫は、林良造情報処理振興課長と話を詰めた。
いよいよ通産省の幹部を巻き込み、TRON崩壊へのレールが敷かれはじめた。
そんな矢先の1989年4月28日、アメリカ通商代表部が各国ごとの貿易障壁を調査した「貿易障害報告」を発表した。〜略〜その中の一つにTRONも含まれていた。
孫が危ぶんでいたように、"TRONを小・中学校に導入しようとしているのは、政府による市場介入"だとする懸念を指摘していた。「貿易障壁報告」はスーパー301条の参考になる。つまり、TRONは、スーパー301条の対象となっていた。
孫は日本の報道機関が発表する前に、その情報を手に入れていた。
(それ見たことか!)
〜略〜
「〜略〜、この機を逃したら、予算も何もつけて動いている国家プロジェクトを潰すチャンスは二度とないでしょう。スーパー301条を立てにすれば相手も矛を収めやすい。これを口実に一気にTRONを潰したほうが良いです」
〜略〜
通産省は、小・中・高校におけるTRON仕様を中止した。教育機関にTRONが蔓延するのをまさに波打ち際で止めることができたのであった。

あと、BTRONは実際に動かしたことはありますか?

音もろくに鳴らせない今となっては使い物にならない OS を試用するのに 2万円は高すぎますね。代わりに実際に動かした人の意見をどうぞ

あなたは実際に動かしたことはありますか? どういった点がよかったでしょうか? 実身化身がどうとかではなく、実際に使って良かった(実際にメリットがあった)ところを教えて下さい。当時の基準でいいですよ。

4
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)

@takkymodoki

すでに書いたように、この記事は BTRON がメインです。みんなあまりにも TRON と BTRON と ITRON を区別せずに TRON、TRON と言っているので、みんなの認識に合わせてこの記事は TRON という用語を使うことにしました。

組み込みについては、トロンフォーラムの「組み込みイベントで日本人たった100人に聞いただけのアンケート」は参考にする価値がない。世界シェア一位だとか60%のシェアがあるなどというデータは存在しないと思っており、海外ではユーザーが使用しているというデータは見つからないけれど、それなりには使われているんじゃないでしょうか? データがないのでどれだけ使用されているのかわかりませんね。

2
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)

@takkymodoki

これを書くのを忘れていました。当時の貿易摩擦やスーパー301条を知りたければこれを読むとよいですよ。

TRONプロジェクトの標準化における成功・失敗要因
https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/handle/10119/355

2
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

誰に言うわけでもなく、もう一度書きますが、私は ITRON の方はシェアが高いはデータがないしウソやろ?と思っていますが、それ以外は特に問題視してないんですよ。

私がイライラするのは、BTRON が Windows よりも優れていたとか、日本は Windows 95 よりも 10 前に画期的な OS の開発に成功していたとかいう与太話と、それに付随する陰謀論。

9
sannwao
@sannwao(Naohisa Shibata)
(Edited)

古参の組み込み屋です。
申し訳ない。TRONがWindowsと同種のOSとして扱われているのに衝撃的な違和感を感じました。
組み込み屋以外の人にはTRONプロジェクトはBTRONを指すのですかね?
恐らく組み込み屋の中にはTRON≒MPU向けRTOSだと思っている人はけっこう居ると思います。
名前を正確に伝えるって大事ですね。
自分も気を付けないといけない。TRONはプロジェクト名であり、その中にBTRONやμITRONなどの成果物がある。
TRONプロジェクトは、組み込み、通信、汎用OS、ビル管理?、までいろいろあるらしいし。

7
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

@sannwao

昔のパソコンの世界を知らない人が増えてきたせいか、TRON = BTRON となっており、日本では TRON という Windows を超える画期的な OS の開発に 10年前に成功していたが、それを米国に潰された。さらに最近は 123便墜落事故でトロンの技術者が乗っていて(一人も乗っていないことが新聞などで明らかなってる)、米国のトロン潰しの一貫で攻撃されたとかいう陰謀論と化していますね。

その陰謀論を後押ししているのが、インベスターZと、その元となったであろうプロジェクトX(こっちはまだ見てない)です。ひどいもんですよ。

6
yamato225
@yamato225

総論同感なのですが、各論に気になる点がありましてコメントをさせてください。

そこに 1980 年代にようやく OS を作り始めても追いつけるはずがありません。

メインフレームのOSの開発は日本も60年代頃から始めていたかと思います。「PC用のOS」は開発していませんが、前段ではメインフレームのOS/360に言及されていました。
https://museum.ipsj.or.jp/computer/os/index.html

政府が余計なことをしたせいで、日本はパソコンを作る技術力を失ってしまったのです。

この文、もう少し深掘りしてご意見伺いたいと感じました。

仮に日本政府が教育用としてBTRONを指定しなければ、当時日本でデファクトだったMS-DOSとNECのPC98が普及したと考えられますが、その場合他のPCメーカーが撤退せざるを得なくなり、むしろ競争力が下がってしまったという推測も成り立つのではないでしょうか。

また、そのNECも結局はMS-DOSを採用していたわけですから、BTRONが教育用に指定されなくても日本メーカーのOS開発力が伸びる効果は無かったのではないでしょうか。

ちなみにメインフレームでは、当時の通産省が主導して、日本メーカーにIBM対抗機を開発させた歴史があるようです。
富士通、NEC、日立などは通産省の支援のもとで開発したメインフレームを中心として企業向けのシステム開発で成長しており、メインフレームがほとんど消え去った現代でもそれらの企業が大企業としてビジネスの第一線にいる事を鑑みれば、当時の政府の判断は正しかったように思えます。

ただ、メインフレームで上手く行ったことが、PCでは結果的に上手くいかなかったのではないかというのが個人的な意見です。

3
qwe0412-kjhuio
@qwe0412-kjhuio

あなたが指しているTRONは「BTRON」です。
TRONは実際はシェア1位です(ITRON、μITRON)

1
TenshinoWanoUede
@TenshinoWanoUede(天使の 輪の上で)
(Edited)

「TRONって組み込みOSでしょ?Windowsと何の関係が?」と思ってたら、
「BTRON」なるプロジェクトの話だったのですね。筆者様と皆さんのコメントにてようやく理解できました。
恥ずかしながら逆に「BTRON」の存在を今回初めて知り、良い機会になりました

1
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)

なんかコメント来てるようですが、これ書くのに疲れたので明日以降に読んで返信します。

0
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

と思ったけど。簡単なところだけ

@qwe0412-kjhuio

あなたが指しているTRONは「BTRON」です。

そうですよ。冒頭に書いてあります。

TRONは実際はシェア1位です(ITRON、μITRON)

本当ですか? どのデータ(誰に対する何人のアンケート)を根拠にそう主張しているのでしょうか?

1
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

と思ったけど、もうコメントしちゃおう

@yamato225

メインフレームの話は OS 開発の話は、パソコンから始まってるんじゃないんだよと読者に気づかせるために、ちょろっと書いたものでした。確かに日本もその頃にメインフレームの開発参入していて、当時は十分競っていると思います。ただやっぱり IBM のメインフレームの互換機だったりしますし、当時の OS は今とは性質が異なる感じがしていて、どちらと言えばハードウェア開発の競争で、よく言われるようにソフトウェアはハードウェアのおまけなのでしょう。

この文、もう少し深掘りしてご意見伺いたいと感じました。

ここでいう政府が余計なことをしたというのは、「国産パソコンを作る話」と「教育用パソコンの導入の話」を混ぜたことです。今から教育現場に導入するコンピュータの会議を始めます。まずみなさんに国産パソコンを開発してもらいます。そのために BTRON の開発をしてください。なんて始まり方、おかしいですよね?

「国産パソコンを作る」と「教育用パソコンの導入」の話は別です。教育用パソコンを導入するならなんだって良いじゃないですか? どうせ使うのは数年程度でしょうし、大人になれば業務で必要な別のパソコンを使でしょうし、その頃になればパソコンやソフトウェアも進化して別物になっているでしょうし。議題は「どんな教育したいのか?」「そのために何が必要なのか?」のはずです。そのために作るのはパソコンでも OS でもなく、教育用ソフトのはずです。各パソコンメーカーにそれぞれ BTRON という OS を作らせるぐらいなら、各パソコンメーカーで同じように動く教育用ソフトを作ったほうが簡単でしょう。それはパソコンメーカーの仕事ではないと思いますが、それならば話をするべきはソフトウェア開発会社になるでしょうね。そうするとパソコンメーカーにお金をばらまけなくなって困るのかもしれませんね。

一連の流れはどう見ても、国産パソコンを作ることが目的となっていて、現場や教育のことを考えているようには見えません。世の中いろんなパソコンがあるのになぜ統一しないといけないのか? いろんなパソコンがあるのだから、むしろいろんなパソコンを使えるように応用力を育てるべきです。結局、教育用パソコンから海外製品を排除したせいで、BTRON そのものへの圧力に発展してしまいました。おそらく国産パソコンや国産 OS を作るというだけなら、大きな話になることはなかったでしょう。なにせそれまでだって国産パソコンと独自 OS を作っていたわけですから。

日本政府がBTRONを指定しようがしまいが、日本はソフトウェア開発が弱いので、何をやってもだめだっただろうというのはあると思います。BTRON を指定しなければ? パソコン会社は BTRON に力を入れることはなかったでしょう。既存のソフトウェアが動かないものを作ったって売れないのは誰の眼にも明らかだからです。もしパソコンメーカーに OS を作りたいという考えれあれば勝手に作ったでしょう。その場合 BTRON ではなく MS-DOS の互換 OS から始まっていたかもしれませんね。売れるためにはそうしないといけないからです。売れるための工夫が技術力につながるでしょう。政府がやったことは売れないもの、誰も欲しがらない OS を作ろうとしたことです。OS なんてものはパソコンメーカーにやらせとけば、必要なら勝手に作ります。作らないというのならそれだけです。それじゃ困る!政府は国産パソコン(または国産 OS)を作りたいんだ!というのなら、それはもう教育用パソコンの導入の話ではなくなっています。

教育用パソコンの導入なら、達成したいことを決めて、それを実現するパソコンの開発はパソコンメーカーに任せればよかった。統一する必要はありません。実際学校で使う教科書や教材はどれも統一されてないじゃないですか? 教育用パソコンの最低限の要件だけを決めて、あとは複数の候補の中から学校が選ぶだけです。すべての教材はそうなっているはずです。

政府は国産パソコンや国産 OSを作りたいというのなら作れば良いんです。そしてそれが軌道に乗ってから教育用パソコンとして導入すれば良い。順番が逆です。軌道に乗っていない、できてすらいないものを教育用パソコンに指定されても迷惑なだけじゃないですか?

ただ、メインフレームで上手く行ったことが、PCでは結果的に上手くいかなかったのではないかというのが個人的な意見です。

政府主導で教育現場という市場を作って、標準規格から初めて、国内みんなで統一された同等のものを作ろうという流れはメインフレームと同じとは思えません。メインフレームは国内他社より優れたものを作ろうと、それぞれ別のものを作って競争があったはずです。

4
akarei
@akarei(Akarei Zhu)

日本は米国が参入できない環境を作りましたが、それに怒った米国は TRON をスーパー301条の候補に指定しました。日本は教育用パソコンに TRON を指定することに断念し、その結果、TRON 陣営は崩壊しました。

つまりその後の日米半導体協定と同じように、米国に潰されたってことですか?

1
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)
(Edited)

@akarei

それはトドメですね。きっかけは日本政府の愚かな選択(教育用パソコンからの BTRON 以外の排除)です。そのせいでスーパー301条で潰されたということになっていますが、日本政府が愚かな選択をしなければ、単に自分で潰れていました。スーパー301条で潰されるか自滅するかの違いです。

まず 90% という大きなシェアを持っていた NEC が BTRON 搭載機に反対していたという事実を認識することが重要です。NEC 製の PC-98 シリーズは「国民機」と呼ばれるまでに使われていました。

当時を知っている多くの人が言ってるように、互換性がない BTRON なんて誰も使うわけ無いだろという状況なので、米国がなにかをしなくても日本は勝手に潰れてました。

その証拠に PC 互換機対応の BTRON は Windows 95 の 1 年前に販売されたのに売れなかったんですよ。

3
coccoid
@coccoid

"apple DOS"という表記には違和感しか無いのだか、wikipediaではそうなってるのか。

TRONからは離れますが、80年代ということで
⚫︎ハドソンのH-DOS, Human68K
⚫︎NECのPC-100
のあたりも、触れてくれるとちょっと嬉しい

2
ko1nksm
@ko1nksm(Koichi Nakashima)

@coccoid

Apple DOS は Wikipedia だけでなく色んなところで使われていますね。

⚫︎ハドソンのH-DOS, Human68K
⚫︎NECのPC-100

その辺よく知らないんですよね。

0
satromi
@satromi
(Edited)

『世の中いろんなパソコンがあるのになぜ統一しないといけないのか? いろんなパソコンがあるのだから、むしろいろんなパソコンを使えるように応用力を育てるべきです。』
これだけで、TRONに対する陰謀論に反論したいという底の浅さがあるTRONへの陰謀論なんだよなぁ。

1
kuroda_fas
@kuroda_fas

本当は BTRON を区別して書くべきですが、TRON(トロン)に統一しています。

本当はって、それは良くないでしょ。
統一したら誤ったノンフィクションになります。

8
inabahakuto
@inabahakuto

日本とアメリカ野貿易摩擦でニューヨークの町中で日本車が叩き壊されていた頃、日本では既に学校でコンピュータ教育の必要性が出ていました。
で、その教育にtronを使おうとしたわけ
そこに、ビルゲイツかレーガンに耳打ちして、国内教育にms-dosを使わなければ、もっとバッシングが酷くなるって言ってきて、Tronの開発が遅れたのが原因
最近は、コンピュータの花形の技術ばかり気にする若者か増えて、正しい歴史を学ぶ機会が無いんですね
ちなみに、Tronは最初から、組み込みからPCも共通のカーネル、IoTなんて言葉が無かった頃に、インテリジェント住宅も作ってましたよ
日本政府が弱腰なので、いつも日本の技術が犠牲になります。

1
bcc2528
@bcc2528

@inabahakuto

国内教育にms-dosを使わなければ、もっとバッシングが酷くなるって言ってきて、Tronの開発が遅れたのが原因

バッシングがあろうがなかろうが、1980年代後半に試作品がようやく出たレベルの製品では遅すぎます。
1981年のIBM PC、1983年のPC-98の標準OSとして採用されていない限り、何を頑張ったところでBTRONがPC用OSとして普及する見込みは一切ないです。

1
inabahakuto
@inabahakuto

それは、早く出すためなら、コピーや技術を盗んでもいいって感じですかね?
まあ、中国はそうやって大きくなったわけですがね

0
inabahakuto
@inabahakuto

日本の学校全てで使われれば、数が半端では無いので、その後が変わってます
日本が強ければ、関税障壁ウンヌン言われなくなる
なんで、技術者って、社会の流れを無視するのかねー😵‍💫
まあ、パヨってしまう元凶だな

0
bcc2528
@bcc2528

@inabahakuto

それは、早く出すためなら、コピーや技術を盗んでもいいって感じですかね?

おっしゃっている意味が1ミリもわからないのですが、TRONプロジェクト自体は1984年に設立、BTRONの規格は1986年頃に制定開始、そこから数年後に試作品を作ったという流れの中で、どうやって1981年に構想すら立ち上がっていないTRONの技術を盗んだというんですか?

1
coccoid
@coccoid

BTRONの実身/仮身モデルは、オブジェクト指向というよりハイパーテキスト風味なので、altoというよりNLSじゃないですかね。

0
YewShmz
@YewShmz(悠 清水)

あー、BTRON向けのC標準ライブラリを私なんかが作っていた辺りが問題だったかもw
いや、OSが出た時点でCの標準ライブラリがないってことなのでね。
実身/仮身モデルのお蔭でファイル/ディレクトリ周りをどう落とし込むかがもう、ぐだぐだでした。
※そう言えば途中で抜ける羽目になったけどあのライブラリってリリースされたんだろうか……

コメントの応酬もリンク先も読んでいないのであれですが、OSをリリースする時点でCの標準ライブラリくらいは動いていて既存プログラムを動かせる状況であれば、それを足掛かりに実身/仮身モデルをどう使うかの模索も進んだんじゃないかと思いますがね。

3
sannwao
@sannwao(Naohisa Shibata)
(Edited)

BTRONのコメント、盛況ですねぇ。
私の考えでは、当時の日本でソフトウェアの知識や理念、そしてその重要性が十分に理解されておらず、適切に扱われなかったことが、BTRONが苦境に至った大きな要因ではないかと思っています。

ちなみに、組み込み向けRTOSであるμITRONがBTRONよりも知名度で劣るという点には、改めて驚かされました。そのITRON系について少し補足します。

組み込み分野では、TRONプロジェクトは今でも強い存在感があります。シェアに関しては民生用途と産業用途で出荷台数の規模が大きく異なるし、どの製品でどのOSが使用されているかしゃべれないので、正確な数字は誰も把握できていないのが実情です。私自身も以前は展示会等で怪しげなシェア数字を見かけたことがあります(最近は見ないですが)。

それでも、実感として日本国内のエンジニア数ベースで言えば、ITRON系はトップクラスだと思います。海外ではそこまで主流ではないかもしれませんが、μT-Kernel2.0はIEEEで標準化もされているので、国際的にも一定の認知はあるOSです(分野による偏在はありそうです)。

ただ、今後を考えるとやや悲観的な見方もしています。国内半導体産業の縮小や日本の組み込みエンジニア人口の減少に伴い、ITRON系利用者も減っていくのではないでしょうか。私自身も必要に応じてFreeRTOSを使います。しかし新規案件が減るだけで、完全に姿を消すことはないとも思います。

※誤解されそうな記述をしたので少し補足します。組み込み系は斜陽産業ではないので需要は減少傾向ではないです。世界的にはイケイケです。しかし国産のMPUにそんな勢いは感じられません。

5
usagimurasame
@usagimurasame
(Edited)

1981年には、日本のパソコンメーカーもパソコン用OSを作って製品に採用していましたよ。
NECのN5200用のPTOSなんか。
MS-DOSよりよほどOSらしいものです。
MSにマルチタスクOSを作ってくれと頼みにいって、断られたので自身でつくったとのことでした。

B-TRONや教育用パソコンにNECが参加しなかったため、参加者はパソコン販売においての敗者の弱者連合でしかなく、元々勝ち目はかなり薄かった。
シェア9割(実際はそうでもないが過半数はとってた)を握るNECとその他のメーカー連合。
NECはCPUは8086と互換性がありより高性能なV30/V50をもち、さらにインテルが開発してある、チップセットはNECが開発をすすめていた。
そこに、弱者連合のメーカーが寄り合い仕様を統一しCPUを開発するところから始めた。時間もかかる。ソフトの互換性もMS-DOSとはない。
出来上がったトロンパソコンは、NECとHWの性能差が甚だしかったことでもわかる。

0
mylifewithviolin
@mylifewithviolin

こんにちは。筆者の方はBTRONのことだと明示されていますが、詳しくない方はそれでもRTOSのTRONと混同される可能性が高く、この記事自体が世界標準OSとしてのTRONの評価を下げるような誤解を招く恐れがありましたので、TRONについて比較的穏便な紹介記事(BTRONが広がらなかった理由の分析を含む)」をピックアップさせていただきます。

1
T-Kana1276
@T-Kana1276

皆さん、難しく考えすぎでは?
元々、OS はそんな たいそうな ものでは、ありません。
Dr.中松 様が、フロッピーを 発明するまで、
大型コンピュータを含め、磁気ドラムや、磁気テープのように、
シーケンシャル・ファイルしか 存在していなかった時代ですので、
TSSなど FDDをHDDに進化するまで、必要ありませんでした。
そもそも BIOS程度で、ブートストラップに至っても、ダイオード・マトリクスや
コア・メモリー(後の D-RAM:TDKなど)の 登場を 待つ必要があります。

そもそも、大型コンピュータの パンチ・カードを 書き換え可能にするため
中松 博士は、IBMに 日本政府から 出向して、Key tp floppy を 開発します。
シークという概念の始まりです。

その、FDDを 島さんが 開発した マイクロ・プロセッサーの後継機種 で 補助記憶装置として
利用すために、BIOSにない 機能を 実装する為、
CP/Mなどの、Disk Operation System が開発されます。
(サブセット?DR-DOS・・・・MS???[PC-DOS]などなど)

たしか、アメリカに留学した学生さんが、CompuServeに グラフィック機能を利用し
visual テキストadinを 公開し[使用したことがあります]

PC-DOSに正式採用され、名称をPC-DOS/V だったと 記憶しています。(MS-DOS/Vも相当)

ちなみに、その頃 TRONプロジェクトでは、超漢字プロジェクトがあり(後の UniCode)
その デモンストレーションの為に IBMが B-Tron マシンを 制作したと、聞き及んでいますが。

その頃、microsoft と IBM は TRONプロジェクトの 出資者だった と 思います。
ちなみに、後にMicrosoft phoneの 通信用 内部OS が μTRON になりました。
(軍事用を 除く、リアルタイムOSの 選択肢が TRON[Open 無料]ゆえ なる 話も)

他に、PDP-7(11)ように AT&Tが Unixを提供しますが、独禁法の影響で 商業化が難しく
のちに、マルチックスOSに 進化します。

マイクロプセッサー とは、別の技術で 運動方程式の解法に 特化した

ベクトル・プロセッサ(スーパー・コンピュータ)後の DSP(考え方は チューリングマシン)に進化。

ちなみに、現代の「富岳」は マイクロ プロセッサーの コネクション マシンに該当します。(スーパー・コンピュータと いうより。)

くわえて、1980年代後半の 汎用機は、起動時にイニシエーション・プロセス と
いう作業があり、CPUそのモノの 命令セット 自由に 設定する事ができました。

さらに、HDDの 設置台数を 無限化 する為に、光チャネル[光ファイバー]が 一般化し、
現在の オプト・エレクトロ ニクスの 礎となります。

間もなく、「富岳」のように ICチップ同士を 光配線で、接続するのも
もうまもなく、と思われます。(旧VIPS:NTT研究所にて 開発中)

たしか、基礎知識てきに こんな 背景だった?
そんな 記憶が あります。(リアルタイムに体験してきた[おおよそ]ものと、しては。)

参考になれば幸いです。
失礼します。

追伸、汎用機=>マイクロプセッサーの間に ミニコンなる 文化も存在します。(参考まで)
ちなみに、初期の自作マイコンは、コマンド・プロセッサでは なく ミニコン型でした。
DEC の端末 VT-100に憧れ、Video(キャラクターOnly)[ブラウン管]画面が 普及した おり。
コマンド プロセッサが 普及 したと、記憶しています。
余談ですが。

0
T-Kana1276
@T-Kana1276

消息筋?知り合いから 聞きかじった はなしでは、

アップルより マッキントッシュが発売され、quicktimeが もてはやされ(ゼロックス/アルト GUI)

日本のFM-TOWNS(初期型 DR-DOSベース)で DAPSと いわれる 他社の ソフトで、動画再生できるようになり。(ちなみに、以前のFM11,16βなどは 初めから V-Textです。 TOWNSのベースは ワープロのOASYS[V-Text版][DOSオプション有] になりますが。)
後に TOWNS-OS Ver2.0(MS-DOSベース)で 正式に 動画 再生できるようになって、
その後に Windows3.1がマイナーバージョンアップで Windows3.1MME(マルチメディア 拡張)版にて
(動画 AVIが登場)
まもなく、Windows95(MS-DOS/Vベース)が 発売されます。
この当時は、まだ イベントリブン型マルチタスクで、真の意味でのマルチタスクは
Windows-NT_2000(XP)を待つことになります。(2000年うるう年の影響で今世紀)

この時、複数のタスクが ファイルaccess する事が起こり、DOS時代の ファイルI/Oに
信頼性が問題視され、DBマネージメント・fileaccess(ODBC)が 一般化する。

そういう意味で、全世界の言語を使用でき 動画も扱え、DTPも出来る、B-TRONは 後の
GUI インターフェースに 多大な 影響を与えた事は 自明の理?かな。

はなしは、戻りますが、i-Tron に関しては、人命に関わる? ノンストップ性?
リアルタイムOSとして、確固たる地位が 間違いないように 考えます。

Dr.坂村 の 個人的興味が 世界の Dataへの 親和性を 生んだことは、
まぎれもない、事実。

個人的に 真の意味での クラウド・システム i-Mode(FOMA[TRON])は スマホ[携帯型PCフォン]の 未来系に 思っているのですが。[ちょっと 先進すぎ?でした?]
(いまほど、通信異常は起こらず、安定していました。国際ISDNを携帯で[なつかしい:Bチャン・パケット:モデム無し])

余談の、余談ですが。

0
T-Kana1276
@T-Kana1276
(Edited)

TRONからは離れますが、80年代ということで
⚫︎ハドソンのH-DOS, Human68K
⚫︎NECのPC-100
のあたりも、触れてくれるとちょっと嬉しい

との事ですが、
Human68Kに関して、北海道のハドソンさんが X-68000(シャープ製)向けに
委託生産した、CP/Mファイルシステム互換OSに、インテルMPUではなく モトローラMPU用です。(リアルタイムOS としては、MC68シリーズ向けにOS-9があり ホンダ製エンジンの燃料制御など・・・/OS-9000は いまだ 現役です。)
なを、NECのPC-100に関してですが、NECの汎用機を製造している部門が製造したパソコン(端末)です。
富士通が 電子計算機事業部が9450と 呼ばれる 汎用機のVKT(ビデオ・漢字・端末)の
機能をもつ ノンストップ・システム向けに 開発された 機器に対抗した 高級機です。
ちなみに NEC PC-8000シリーズは PC-100 の先代にあたります。
PC-88シリーズ(8801含む)と PC-98(9801を含む)は NECの製造ですが、社内ベンチャーで
汎用機の部門とは 異なる仕様(心なしか IBM-PCに似ている気がします。)です。
なを これらのNECパソコンの標準ではMicrosoft製Nベーシックのみ 使用できます。
MS-DOSはオプションで、当時の ASCIIなど ベンチャーゆえ フットワークの軽さから
外注化が容易だったため、採用された 経緯があります。
じつは、 MS-DOSは CP/Mの コンパチ OSですので、日本の殆どのメーカーは
当時 CP/Mを採用していました。
(当時の生き証人の コメントで、「電子立国 日本の自叙伝」より、IBMが パソコン分野に
進出するにあたり、先に決定していた Microsoft BASICのプラット・フォームとして CP/Mの 開発元へ 商談の際、諸事情により 購入を断念し PC-DOC[CP/Mコンパチ]の開発を 依頼する事から はじまります。その受注の[判断する]キッカケを作ったKeyManが 後の初代ASCIIの社長になります。)
そもそも、TRONの技術は ライセンスフリーで、賛助会員である マイクロソフトは
内部での使用は 自由だったのです。(NTなど、もしかする と関係しているの かも?)
忘れてはいけないのは、マイクロソフトは アプリケーションメーカであった 過去があり、
特定の マシンを持たない為、OSの開発に 重要な 自社の機器に 優遇する。その 必要性が無い為に、こだわり が少ない?。(個性)
マイクロソフトの発展に少なからず影響を与えたのは、ASCII出版社の存在と、ローマ字(ラテン語)表意文字 変換システム(東芝のワープロ向け)だったものが、NEC のパソコンの アドイン(フロントエンド)として、ライセンスが 可能になった 事があると 思います。(JustSYSTEM/個人的には。)[TRONの超漢字+ローマ字変換 で 第三外国語 対応]
それまでは、JIS(JEF漢を含む)漢字コード表(和文 タイプライター由来)から 写植のように
拾ってきていましたので。(入力するのは 専門職の時代)

ちなみに クロードシャノン様の 暗号化理論に則り、JEF漢は 埼玉県(旧:大宮)の市役所の戸籍かんり システムを 富士通が ローマ字以外では、初めて 実用化されました。
ロシアとの関係性が深い、日本は 初めから ロシア文字(ローカル文字)は 標準装備です。

世界初のWindowsは 初めから、英語(ローマ字)と、漢字(JIS:ロシア文字含む)とで
3ヶ国で使用できました。(ちなみに、中華人民共和国は ロシア文字を カタカナと使用している為、カタコトでは、使用可能でした。)

結構に、日本の アイディアは、USと ともに、あります。

最後に、汎用機を初めて 製造したIBM は SYSTEM360はICで出来ていました。
システムを コーディネート&発明した 「ジーン・アムダール」様は 更なる高速化の為
LSIにジェネレーション・チェンジを考えていました、が IBMはそれを 却下。
当時 富士通の 池田氏 と共同で LSI式 汎用機を 世界で初めて 完成させ、NASAの研究所に納品します。
その時の ユーザーインターフェイス(当時のBIOS的な物)は 富士通に根付き
FM-8,11,7まで、パソコンを 半導体事業部付け だったものが、FM-77AV開発の際に
複雑ゆえに、回路設計CADなどを きっかけとして、電子計算機事業部に移管される ことと なります。(一説には FM-16はMC68000をメイン インテルCPUをサブになる 予定だったとか)
(皮肉にも、この 空白期間に NEC 社内ベンチャーPC-88プロジェクトに 大きく 引き離される結果となりました。)
現在も FMVのドライバーも 安定して動作しています。(PC-100,PC-8001も同様に安定)
(重ねて、皮肉にも、NEC のベンチャーマシンは ドライバーが 不具合が多く、殆どの ソフトは、直に ハード制御して、結果的に 速さを 体感できました。[N88(98)BASIC時代])
結果として、LSI汎用機の 草分け的存在の 日本は、(高速)汎用機の礎を 手に入れた?。

パソコンのアプリにあたっても、
スプレッド・シートのアプリは、日本のオフコンメーカーが世界で初めて、現実化しました。
IBMが 購入の打診の際に、ハードとセットなので 売れませんと、返答。
IBM が ロータス社に 打診をして、1-2-3とイウ ソフトが開発される。
これが、起爆剤になり、IBM-PCは business分野に躍進をとげました。

そんなこんなで、ニッポンって 面白い と、思うのですが。

余談
富士通が MC6809でパソコンを作ったか?は、本業に関係します。
電話交換機のCPUとして、モトローラ社より MC6800をライセンスするにあたり、
抱き合わせて、製造する 事になり、だぶついた 在庫を消化させるアイディアとして、
ベンチャー向けのバブコム80(インテル メインCPU)の 画像処理IC(カラー)として 搭載されました。(カラーのグラフ表示)
FM-8とう 名称で MC6809×2の モトローラCPUのパソコンができました。(結果的)
元が、ビジネス機ですので 標準で JEF漢(漢字ROM)が(オプション) ありました。
(メインCPUをインテル製にする ボードもオプションに有)

最後に、
個人的に DOSはOS(マルチタスクと イウ 意味で?)にあらず。(と 考えれば)
ゆえに Windowsの場合、NT移行が OSのような気がします。
アップルでいえば、iosX(NextStep?)以降では 無いでしょうか。

そう考えるとB-TRON(IBM製など)端末は(OSと見れば) 極めて 先進的機器であり、
後の OSに 与えた 影響は いかばかりかと。
失礼します。

0
satromi
@satromi
(Edited)

PC-DOSに正式採用され、名称をPC-DOS/V だったと 記憶しています。(MS-DOS/Vも相当)
ちなみに、その頃 TRONプロジェクトでは、超漢字プロジェクトがあり(後の UniCode)
その デモンストレーションの為に IBMが B-Tron マシンを 制作したと、聞き及んでいますが。
その頃、microsoft と IBM は TRONプロジェクトの 出資者だった と 思います。

全て指摘できないのですが、ここだけでも盛大に間違えてるので止めてください。
こうやって昔語りされる方、このコメントの方のように誤った記憶(妄想に近い)で言及されたり、この記事のように当時の前提を正しく理解していないで言及されたりする方が、きちんと歴史を語る方に比べて増えてしまうので困ります。

2
YewShmz
@YewShmz(悠 清水)

確かに。

超漢字プロジェクトがあり(後の UniCode)

ここだけでも失笑ものですね。つーか、どっちに対しても失礼だ。

2
coccoid
@coccoid
(Edited)

"釣られないクマー"検定?

Dr.中松 様が、フロッピーを 発明するまで、

以下、ほぼ、すべての記述がおかしいのだが...

どういうプロンプトなら、こんな文書が生成されるのだろう。
むしろ、そこが知りたい。

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