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-「不快さへの寛容」こそが、自由を守る最後の防波堤である- 元AV女優の三上悠亜さんがウェディングドレス姿を披露したことをきっかけに、SNS上で激しいバッシングを受けました。 しかし、彼女の過去や着用衣装にいったいどんな「非」があるのでしょうか? 繰り返される差別、そして無自覚な加害。 これは一人の表現者の問題にとどまらず、私たち社会全体が試されている問題といえます。 ■ まず、はっきりと申し上げておかねばならないのは「職業に貴賤はない」という大前提です。 どんな仕事にも尊厳があり、それを選んだ人の人生には多様な背景と覚悟があります。 元AV女優の三上悠亜さんが表舞台に立つたびに起きる「炎上騒動」は、彼女の存在を通して社会が未だに職業差別の呪縛から抜け出せていないことを露呈しています。 アパレルブランドとのコラボ、イベント出演、そして今回のウェディングドレス着用。いずれも本人の実績と人気に裏打ちされた活動であり、三上さん側に何ら非はありません。 にもかかわらず、 「神聖な衣装を汚すな」 「売春婦が表に出るな」 「穢れた人間にドレスを貸すな」 といった残念なコメントが公然とあふれる現実には、がっくりと肩を落としてしまいます。 ■ 何より重要なのは、こうした社会の「不快さ」にどう向き合うかという姿勢そのものです。 自由で寛容な、真に多様性ある社会とは「誰もがちょっとずつ不愉快なことを我慢する社会」です。 「自分の結婚式に同じドレスを使われたくない」という感情があるのも理解します。それもまた自由です。 でも、その気持ちは自分の中に留めておくものであって、公共の場で大声で糾弾する瞬間、あなたは差別の加害者へと変わり、自由で寛容な社会や多様性は少しずつ毀損されていきます。 公共空間には、自分とは異なる価値観、異なるキャリア、異なる人生を歩む人たちが存在する。 それを認め、共存する努力をすることこそが、多様性や表現の自由の根幹です。 「嫌なら見ない」「興味ないならスルーする」 その成熟がなければ、多様性はただのスローガンになり、やがて誰もが息苦しい社会に閉じ込められてしまいます。 ■ 一連の三上悠亜さんの毅然とした対応に、私は敬意を表します。 職業に貴賎はない。自分とは大きく異なる表現や価値観であっても、恣意的に排除するべきではない。 自由社会とは、好きなものだけが目に入る社会ではありません。「不快さへの寛容」こそが、自由を守る最後の防波堤なのです。