小学生のとき、世界地図帳にオートボルタという国を見つけた。アフリカの内陸である。不思議な響きの国名の意味を、私は先生に尋ねた。先生は、「フランス語で、ボルタ川の上流という意味だ」と教えてくれた。アフリカの奥地に、深く入り込んだ大河の、さらに上流の国。子供心に、大陸の奥の奥に広がる密林を想像し、そんなところにも独立国があるもんだ、と感心した。40年経って、私はその国の日本大使となった。国名はブルキナファソに変わっていた。
アビジャンに着任して5ヶ月。ブルキナファソのコンパオレ大統領への信任状捧呈を、ようやく行えることになり、私は首都ワガドゥグに飛んだ。コートジボワールの北の隣国であるブルキナファソは、たしかに大陸の奥の奥にあったが、子供の頃想像していた密林というものからは程遠い、乾燥した大地の国であった。森と緑が豊かなコートジボワールを見慣れた目には、疎らに木々が生える白茶けたブルキナファソの地は、かなり対照的だ。ちょうど砂塵が降る季節でもあって、照りつける太陽の下で、人々は喘ぎながら生きているように思えた。
私はこれまで、ブルキナファソをコートジボワール側から見ていた。コートジボワールにとって、ブルキナファソは単なる北の隣国というだけではない。多くの移民労働者が、コートジボワールに働きに来て、そのまま何代にもわたって住んでいる。その数、3百万人とも4百万人とも言われる。彼らは、独立以降60年代、70年代を通じて、南部地域のカカオやコーヒーなどの大農園に大挙して移住し、労働力となってきた。ブルキナファソの人々の労働は、農園にとどまらず、あらゆる分野に及んだ。アビジャンで、工場や事務所で働く労働者やバス・タクシーの運転手から、道端の苗木売りに至るまで、およそ身体を使って働いている人の出身を問うと、まず北方の内陸にある外国の出身者である。その中でも、ブルキナファソ出身者は格段に多い。私にとって、ブルキナファソとは、働く人々の国である。
ワガドゥグに着いてみると、人々が見せる生活の表情が、アビジャンとは明らかに違う。まず、相当多くの人々が往来しているのに、街の通りにゴミの散かりが殆どない。ほうぼうで、道を掃除している人に出合う。単車や自転車が、人々の主要な交通手段である。主要な通りには専用レーンがあり、専用信号機に従って規則正しく走っている。駐車場が決まっていて、皆が実に几帳面に、単車と自転車を並べて駐車している。何となく秩序があることを感じて、街を歩いて警戒する気持ちにならない。人々の表情が柔らかいだけでなく、商店が鉄格子の檻で囲まれていないからかもしれない。アビジャンよりはずっと、人心が安定しているようだ。家々の塀も目の高さくらいで、特に大げさな泥棒避けもついていない。公徳心というか市民の規律が、きちんと存在していることを伺わせる。
そしてやはり、働く人々の国であった。朝7時の通勤時には、自転車の大群が街の中心に向けて流れていく。往来は活気があり、商店でも、飲食店でも、手工業の工房でも、誰もが働いている。遊んでいる人、ぶらぶらしている人を、余り見かけない。まして、アビジャンで見られるような、道端に寝そべっているような人はいない。商店街に行くと、野菜売りのおばさんや、商品を抱えた若者が、熱心に売り込みに来る。人々は、街の中の空き地を見つけて、丁寧に畝付けされた畑をつくって野菜を育てている。信任状捧呈式の前日に、郊外に出て近くの農園を視察した。広大な畑に数多くの農民が腰をかがめて働いている。耕運機などもなく、全て手作業。しばらく目にしなかった、これこそが農業だという風景だ。話に聞いていたとおり、ブルキナファソの人々は働いている。
それでもブルキナファソは貧しい。世銀の統計(2007年)では、一人当たり年間の国民総収入(GNI)が430米ドルだから、日本の90分の1。世界全体209ヶ国(地域含む)のうち、186位である。内陸国であり、気象条件も厳しく、資源もないからなのだろう。そんな数字にもかかわらず、国土や経済が荒れ果てているような気配は全くない。むしろ人々は規律正しく、秩序があり、常にしっかり働いている。生活は活気に満ちている。この国が、どうして貧しいと言われているのか。ほんとうに貧しいところが、どこにあるのか。貧しいという言葉の意味を、この国をもう少しよく理解することを通じて、私なりに考えてみようと思う。
ブルキナファソという国名は、何を意味するのか聞いてみた。ブルキナというのは、ジュラ語で「清廉潔白な人(homme intègre)」という意味だという。具体的にはどういう人のことを言うのか、とさらに聞いたら、どうも日本語でいう真面目な人ということのようである。ファソというのはモシ語で「父祖の地」つまり「国」ということ。だから、ブルキナファソというのは「真面目な人々の国」という意味である。国名を口にするたびに、国民としてあるべき姿を思い起こす。「ボルタ川の上流」というより、ずっといい国名だ。私は、真面目な人々の国の大使になった。
アビジャンに着任して5ヶ月。ブルキナファソのコンパオレ大統領への信任状捧呈を、ようやく行えることになり、私は首都ワガドゥグに飛んだ。コートジボワールの北の隣国であるブルキナファソは、たしかに大陸の奥の奥にあったが、子供の頃想像していた密林というものからは程遠い、乾燥した大地の国であった。森と緑が豊かなコートジボワールを見慣れた目には、疎らに木々が生える白茶けたブルキナファソの地は、かなり対照的だ。ちょうど砂塵が降る季節でもあって、照りつける太陽の下で、人々は喘ぎながら生きているように思えた。
私はこれまで、ブルキナファソをコートジボワール側から見ていた。コートジボワールにとって、ブルキナファソは単なる北の隣国というだけではない。多くの移民労働者が、コートジボワールに働きに来て、そのまま何代にもわたって住んでいる。その数、3百万人とも4百万人とも言われる。彼らは、独立以降60年代、70年代を通じて、南部地域のカカオやコーヒーなどの大農園に大挙して移住し、労働力となってきた。ブルキナファソの人々の労働は、農園にとどまらず、あらゆる分野に及んだ。アビジャンで、工場や事務所で働く労働者やバス・タクシーの運転手から、道端の苗木売りに至るまで、およそ身体を使って働いている人の出身を問うと、まず北方の内陸にある外国の出身者である。その中でも、ブルキナファソ出身者は格段に多い。私にとって、ブルキナファソとは、働く人々の国である。
ワガドゥグに着いてみると、人々が見せる生活の表情が、アビジャンとは明らかに違う。まず、相当多くの人々が往来しているのに、街の通りにゴミの散かりが殆どない。ほうぼうで、道を掃除している人に出合う。単車や自転車が、人々の主要な交通手段である。主要な通りには専用レーンがあり、専用信号機に従って規則正しく走っている。駐車場が決まっていて、皆が実に几帳面に、単車と自転車を並べて駐車している。何となく秩序があることを感じて、街を歩いて警戒する気持ちにならない。人々の表情が柔らかいだけでなく、商店が鉄格子の檻で囲まれていないからかもしれない。アビジャンよりはずっと、人心が安定しているようだ。家々の塀も目の高さくらいで、特に大げさな泥棒避けもついていない。公徳心というか市民の規律が、きちんと存在していることを伺わせる。
そしてやはり、働く人々の国であった。朝7時の通勤時には、自転車の大群が街の中心に向けて流れていく。往来は活気があり、商店でも、飲食店でも、手工業の工房でも、誰もが働いている。遊んでいる人、ぶらぶらしている人を、余り見かけない。まして、アビジャンで見られるような、道端に寝そべっているような人はいない。商店街に行くと、野菜売りのおばさんや、商品を抱えた若者が、熱心に売り込みに来る。人々は、街の中の空き地を見つけて、丁寧に畝付けされた畑をつくって野菜を育てている。信任状捧呈式の前日に、郊外に出て近くの農園を視察した。広大な畑に数多くの農民が腰をかがめて働いている。耕運機などもなく、全て手作業。しばらく目にしなかった、これこそが農業だという風景だ。話に聞いていたとおり、ブルキナファソの人々は働いている。
それでもブルキナファソは貧しい。世銀の統計(2007年)では、一人当たり年間の国民総収入(GNI)が430米ドルだから、日本の90分の1。世界全体209ヶ国(地域含む)のうち、186位である。内陸国であり、気象条件も厳しく、資源もないからなのだろう。そんな数字にもかかわらず、国土や経済が荒れ果てているような気配は全くない。むしろ人々は規律正しく、秩序があり、常にしっかり働いている。生活は活気に満ちている。この国が、どうして貧しいと言われているのか。ほんとうに貧しいところが、どこにあるのか。貧しいという言葉の意味を、この国をもう少しよく理解することを通じて、私なりに考えてみようと思う。
ブルキナファソという国名は、何を意味するのか聞いてみた。ブルキナというのは、ジュラ語で「清廉潔白な人(homme intègre)」という意味だという。具体的にはどういう人のことを言うのか、とさらに聞いたら、どうも日本語でいう真面目な人ということのようである。ファソというのはモシ語で「父祖の地」つまり「国」ということ。だから、ブルキナファソというのは「真面目な人々の国」という意味である。国名を口にするたびに、国民としてあるべき姿を思い起こす。「ボルタ川の上流」というより、ずっといい国名だ。私は、真面目な人々の国の大使になった。