「夢がありますね」と私が言うと、平間康介さんは答えた。「ほんと、夢だけですよ。」
平間さんは32歳、気鋭のビジネスマン。2年前にトーゴの首都ロメにやって来た。ずっと西アフリカを放浪して歩いて、最後にロメに落ち着いたのである。ロメを選んだ理由。それは日本人が一人も居ないから。居ないというなら、最初の日本人になってやろう。平間さんは、当初フランス語さえ出来なかった。しかし、以前に商社で仕事をした経験と、挑戦の精神だけを資本に、トーゴで会社を作った。
最初は、日本から中古車を仕入れる仕事を手掛けた。ロメ港に設けられた輸入貨物の置き場で、自分で輸入した1台の中古車を前に一日中座って、買い手を探すところから始めた。その車がうまく売れたので、新たに輸入した車を使って、空港送迎などのハイヤー業務を試みた。そのうち、小型バスを輸入して、バス路線を通すことにした。
「コートジボワールの人々が、ガーナを越えて、ロメにおおぜい買い付けに来ている。ところが、彼らは行き帰り、途中のアクラ(ガーナの首都)でバスを乗り換えなければならない。多くの商品を手にしての乗り換えは大変なので、ロメを出てから、ガーナ領内を通過して、コートジボワール国境まで直行でつなぐバス路線があればいいのだが、という声を聞いたのがきっかけでした。無いというなら、よし作ってやろう。」
平間さんが提供しようとしたのは、定時に出発し、予定時間に目的地に到着するバス路線である。なんだ、当たり前の話じゃないか、と思われるかもしれないが、日本では当たり前でも、アフリカではそうではない。こちらのバスの運行は、満席になるまで客を待って発車する。途中で客が降りたら、運転手はその場で、そこから先に向かう新しい客を探して乗せる。最後の目的地までの客は、その都度待たされる。だから、ここでこそ定時運行のバスを走らせてみたい。
そのためにバス会社を設立した。アフリカだから、企業の設立でも何でもいい加減にできるのだろう、と日本の同僚には思われている。とんでもない、いろいろな認可が必要、しかもバスが走るトーゴとガーナの両国で必要だ。これらを申請し、一つ一つクリアし、「アルセボン株式会社」として業務を開始した。現在、週に2便を仕立てている。収支は、まあとんとんですね、と平間さん。
半年前にようやく、インターネットが開通した。そこで、ブログを通じてトーゴの情報を提供し始めた。日々の新聞から、情報を拾って日本語に訳して掲載する。日本のどこで誰が必要とするのかは全く不明だが、トーゴの情報をこつこつ送る。
「私がトーゴに関心を持ったとき、トーゴの情報を探しても皆無で、困りましたからね。それなら、ここで私が情報を提供してやろうと、そう考えました。」
事務所のトーゴ人職員に、毎日の現地紙から、重要と思われるニュースを探して、英語に翻訳するように命じた。それを平間さんが英語から日本語に翻訳して掲載する。
「私自身がトーゴの事情をよりよく知るための作業でしたが、それに加えて、毎日きちんとこなさなければならない仕事がある、ということにしたかった、というのがこの作業を始めたもう一つの理由です。毎日、朝一番で記事を読み、昼までに訳す。給料を貰っているのだから、ただ座ってお茶を飲んでいては駄目だ。きちんと働く、この気持ちを持ってくれ。そういう感じでした。」
はじめ職員は、作業を面倒がった。平間さんは、君が訳した記事を、日本の多くの読者が読む、そして君の国のことを良く知るようになる、素晴らしいじゃないか、と励ました。給料を貰うだけが仕事ではない。仕事に喜びがある。職員も、だんだんそれを感じるようになり、今では進んで記事の翻訳に携わるようになった。
「とにかく、仕事に緊張感がない。真剣に取り組む、ということがない。会社運営の重大な問題について、皆で協議をしていると、遅れて入ってくる奴がいて、皆元気ぃと声を掛ける。その途端に、茶飲み話になる。そのまま、ふらっと出て行く奴もいる。おい、何なんだお前ら、今までの議論はどうなったんだ。頭を抱えます。」
もっと緊張感をもって仕事に取り組むように、出来高制を導入した。地位が低い職員でも、仕事をとってきた人には、給料を奮発した。何故あいつがこんな高い月給なんだ、と不満が出たら、すかさず答える。あいつは新しい顧客を連れてきた、お前は今月ただ座っていただけじゃないか。
これはやばい、という危機感が生まれた。たしかに皆、よく働くようになった。しかし、職員の間に待遇のめりはりを付けると、別の変化があらわれた。
「以前にあったような、友達同士のような和やかな雰囲気が、次第に消えていった。他人の足を引っ張ったり、嫉妬や中傷も出てきた。なんだ、これでは日本の職場と一緒じゃないか。」
日本式の仕事のやり方を導入したら、効率や出来高は向上するが、職場のストレスは高まる。そして、アフリカ流の良さが失われる。どちらがいいのかと思いましたね、と平間さんは言う。
毎日が、驚いたりあきれたりの連続だ。でも、トーゴと日本の間にあるいろいろな違いや困難に、平間さんは全くめげない。
「無い」と言われれば、大概の人は「残念」で終わる。「だから駄目だ」といって、日本に帰ってしまう。でも、平間さんの姿勢は違う。無いならば、僕が作ってやる。駄目ならば、克服してやる。その気持ちで臨むと、ものごとが違って見える。トーゴのような、まだまだ何も出来ていない国だからこそ、この国では何か出来そうな予感を感じる。
「まあ、何でも面白がらなけりゃ、やってられないですよ。」
平間さんは、逞しいというよりは、飄々とした風貌で、そう語った。
参考:平間さんのブログ
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私たちは次なる社会のパラダイムをどこに求めていけば良いのか・・・その事を真剣に考えなくてはいけません。私たちが日常あたりまえと思っていることを疑ってみる・・・便利・前向き・進歩・・・ほんとに正しいのかな?
ブログを読んでいて考えさせられました。
ただ1つの真実は平間さんは幸せであるという事だと思います。