先日、こちらの絵本を記事にしたら、多くの方々に面白いと言っていただいた。そこでもう一冊、ベナンの本屋で見つけた絵本をご紹介しよう。
===「ザンスとサボ」(梗概) ポッソトメ地方の童話===
ザンスとサボの兄弟は、両親を亡くした
両親は倉庫に、トウモロコシと粟と米と豆を遺した
漁村では、網に付ける重りを作る
重りを作るには、火をおこして金属を溶かす
サボは火をおこす真似事をしようと思った
火を付けたら風が起きて、大きな火になった
台所が燃えて、倉庫も燃えて、何もかも灰になった
食べるものが無くなり、夜中にお腹がすく
豆を煮る匂いがした。サボは壁をよじ登って煮豆を盗んだ
なんと、そこはまじない師の家だった
まじない師に見つかり、兄弟は追いかけられる
湖に逃げたら、漁師が舟を出そうとしていた
-向こう岸まで渡して。僕たちは飢え、まじない師に殺されます
-早くお乗りなさい。こんな夜中に何をしているのか
-僕たちは孤児です。倉庫も燃えてしまいました
-家に連れて行ってあげよう。食事をあげよう
舟の上には、籠の中に、エビと、カニと、魚と、牡蠣が入っている
カニがサボを挟もうと、はさみを伸ばす
サボは、籠を遠ざけようと、少し押す
おっと、籠がひっくり返って湖に落ちた
-馬鹿者が、何をしでかすのだ。この舟から、とっとと出て行け
-漁師さん、怒らないで。弟はちょっと変わり者なのです
ザンスは、籠を探しにどぼんと水に飛び込む
心配だ。水の中は、危ないものが沢山。ワニもいる
ザンスはようやく、水からあがってきた
籠には半分しか残っていなかったが、大きな魚が捕れた
みんな満足して、家路につく
家に着いたら、鳥かごにオウムがいた
サボが鳥かごに触ると、扉が開いてオウムが逃げた
漁師の奥さんが怒る。このオウムは、おじいさんの形見なのよ
-問題ばかり起こす奴らだ。もうここから出て行け
追い出されて、兄弟は木に登る
あ、あれを見て。大蛇が子供を飲み込んでいる
ザンスは助けを呼びに村へ、サボは蛇のところに走る
サボは鉈(マシェット)で、蛇を一刀両断。子供は救われた
村人はサボを褒め称える。
漁師の奥さんがため息をついて言う
サボはいたずらっ子だが、勇気ある子だ
漁師も二人に言う。これからは我が家に住みなさい
ザンスとサボは、新しい家族を見つけた
=== (おしまい) ===
再び、私の観察である。
(1)やはり、いきなり両親が死ぬ。人が死ぬことは、村では日常である。両親に死なれると、子供は孤児だ。そして、頼りあって生きるアフリカの社会では、孤児というのはもっとも悲惨な境遇の代名詞である。バウレ族のことわざにも孤児が出てきた。兄弟は最後に、頼るべき家族を見つけて、めでたしめでたし、となっている。
(2)やはり、まじない師(féticheur)が登場する。兄弟は、まじない師に追いかけられる。これは、とても怖い話なのだ。ある部族のまじない師は、祭事のために、身寄りのない子供を捕まえて、生け贄にすると信じられているからである。
(3)子供でも鉈(マシェット)を持っている。マシェットというと、ルワンダの紛争でも、シエラレオネの紛争でも、おおぜいの人々を殺す武器になったから、とても怖いものに思えるが、実は日常の道具なのである。たしかに、コートジボワールでも、農村の道で、刃渡り50センチくらいのマシェットを腰に差した人によく出会う。
(4)兄弟は、はっきり言ってろくなことをしない。両親の遺産を灰にしてしまう。他人の家の料理は盗む。助けてくれた漁師の釣果も、水に落としてしまう。オウムも逃がしてしまう。それでも、子供を一人助けると、勇気ある人間ということになり、もう過去の全てが帳消しになる。失敗は簡単に逆転できる。
(5)そのような悪さをして、ごめんなさい、という言葉は出てこない。相手に損害を与えても、謝るとか反省するとか、そういうことにつながる叙述は出てこない。怒る漁師に応える言葉も、「弟は変わり者(numéro)です」の一言だけである。
(6)登場人物は、女性を除いて皆、上半身裸の裸足である。貧しいということか、服は要らないということか、そこは分からない。
この話は、孤児の兄弟が、新しい家族を見つけるに至る冒険譚である。しかし、悪に責め立てられるが最後に正義が勝つ、というような展開があるわけではない。行き当たりばったりに出来事が流れて、落ち着くところに落ち着いてひと安心、それだけだ。なぜ主人公が兄弟でなければならないのかも分からないし、ザンスとサボの性格付けも、今ひとつ弱い。絵も、今風でオシャレとはとても言えない。粗雑で子供の絵のようだ。
いったい親はこの絵本を本屋で見つけて、子供に買い与えようと思い、そして子供はこの本を愛読するのだろうか。不思議である。
絵本の記事は私も興味を持ちました。前回のは創作ものなのでしょうが、今回のと合わせてどちらも昔話的な手法で描かれているような気がします。筋の運びが極端であるのに、細部や登場人物の内面をリアルには表現しないところにそれを感じます。
まったくの想像ですが、児童文学の土壌が未熟なのではないでしょうか。絵本作家だけではなく、子どものための文学作品や児童文学作家が存在しているのかどうかも興味のあるところです。機会があればまた紹介していただければと思います。
本当の子供が描いているのでは?
ヘタウマに描いたプロの絵、とは思えないですし。
子供の時に、こんな絵本もらったら、悲しくなっちゃいますよ。