ラギューン母子病院の建設現場は、隣の建物から見下ろすと、基礎工事を終えて、いよいよ建物本体の壁にコンクリートを打っていくという段階である。小児科・産婦人科の診療棟(床面積3600㎡)と、これとは別に分娩棟(床面積600㎡)の、計2棟の工事が進められていた。日本の建設会社「戸田建設」が、施工を請け負って、地元の建設業者により建設を進めている。完成すれば、年間3万6千人が診察に来て、年間6500件のお産が行われる病院になる。
診療棟の建設現場では、手前に二本のポールが立てられて、日の丸とベナン国旗が掲げられている。土曜日であり、週末であるのにもかかわらず、多くのベナン人の現場作業員が働いている。チームごとに違う色のヘルメットを被っている。
「この、ちゃんとヘルメットを被るというところからして、大変だったのです。ここでは、工事現場でヘルメットを着用する習慣はありません。安全第一という考えを身に付けることから始めなければなりません。また、われわれが求める工事の品質は、ベナンでは誰も経験したことのないレベルなのです。しかし、ベナンのレベルに合わせていては、設計どおりのものは出来ません。」
コンサルタントとして建設現場で陣頭指揮をとる、「日本設計」の樫村修二さんは、こちらでの工事の苦労を語る。
「例えばコンクリートは、岩を砕いて作った砕石を使わないと、計算どおりの強度が出ません。ところが、ベナンではそれを川砂利で済ませようとする。砕石を作れ、それをふるいにかけて、きちんと大きさを揃えよ。砂とセメントの割合を、正確に計量しろ。そうした指示を出すごとに、はじめの頃は随分嫌がられました。一度打ったコンクリートを、強度不足を指摘して壊させたこともありました。そうしてお互いにぶつかりあって、今ではベナンの建築業者も、日本の要求水準にだんだんついて来れるようになりました。段取りをきちんと守り、良いチームワークで働けるようになりました。」
土曜日なのに保健省から説明に来てくれたヤルウ官房長は、病院の建設というだけでなく、日本の企業は教育をしてくれている、と言う。
「ベナンの建築関係者にとっては、大変いい勉強になっていると思います。正確さとか、仕事の質だけの問題ではありません。古い診療棟を壊したら、その下に以前の発電所の強固な基礎がありました。ベナン企業だったら、そのままにして上に建てていきます。ところが日本企業は、相当の手間暇をかけて掘り下げ、全部取り除きました。そんなの、建築すれば見えなくなるところですよ。そういう姿勢が、こちらの建築業者には驚きなのです。また、保健省には、毎日きちんと進捗状況の報告がきます。こういう日本の仕事振りは、省の役人にも大変よい刺激になります。」
さて、診療棟から分娩棟の建設現場に移る。こちらは2階建ての予定で、同じくヘルメットの作業員が忙しく働いている。
「この基礎工事だったら、8階建てが建てられる。8階建てにするべきだ。」
病院の関係者と思われる人が、私のところに来てそう言う。日本の建築工事がとても丁寧で、しっかりしていることを誉めてくれている、と思ったら、どうも違って、かなり本気である。これだけ深く掘る基礎工事でたった2階建てとは、どう考えても勿体無い、という。私は、日本は地震の国ですからね、万全の建物をつくるのです、と説明する。
「ベナンには地震は来ない。この工事は贅沢すぎる。今からでも遅くない。8階建てに設計変更するべきだ。」
何度も私に訴える。
一つの病院を建てるというのは、さすがに大仕事である。長い建設工事の間には、ベナンと日本の仕事文化やものの考え方の違いが、際立ってくることも多いだろう。それは時には摩擦になり、時には刺激になる。それらの苦労を乗り越えて、やがて完成の喜びが来る。その時には、ベナンと日本の両方の関係者が喜びを分かち合う。そこではもう、援助する側と援助される側というふうには、二分できない。両方で取っ組み合いの末に一緒につくり上げたものだから。
日本の関係者のために雇われている、日本語の上手なベナン人通訳君が、私に言う。
「じつは私も、この母子病院で生まれました。私だけでなく、コトヌ市民はほとんど皆、ここで生まれています。その大切な病院が老朽化して、とても心配だった。それを日本がすっかり建て直してくれる。コトヌのお母さんたちは、ここで赤ちゃんを産むたびに、日本の協力を思うでしょう。そして日本の建てた病院で生まれたという人々が、どんどん増えていく。僕は、日本語を話す人間として誇らしい。」
ベナンの人々に末永く大切に使ってもらえれば、日本の人々もこの病院のことを嬉しく誇らしく思うのですよ、と私は応えた。
ラギューン母子病院の診療棟建設現場
ラギューン母子病院の分娩棟建設現場
分娩棟の建設現場
ラギューン母子病院の完成図
診療棟の完成図
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