コトヌ漁港の「女性の家」は、魚の仕分けや卸売りなどの作業を行う水揚場に隣接している。水揚場は広い敷地にコンクリートを打ち、鉄骨でがっしりと骨組みした屋根に覆われている。漁が上がる夕方になれば、魚を選別する区画や、競売りを行う区画は、女性仲買人たちで賑やかになるはずだ。まだ午前中なので、水揚場は閑散としていて、一部の区画では、漁師の男たちが網の手入れをしたりしている。
ずいぶんしっかりした造りの水揚場だ、と思っていたら、これも日本の支援で出来たもの、という。あれ、日本が建設したのは「女性の家」だけではないのか、と驚く。漁港管理事務所のオウォラビ漁港長(女性)が言う。
「水揚場どころか、漁船の埠頭も接岸スロープも、皆日本の支援です。事務管理棟も、つまり私の事務室も、日本の協力で建てられたものです。おかげで水揚げの作業が飛躍的に合理化されました。ここコトヌの漁民は、皆が皆、日本の人たちに大変感謝しています。」
私の不勉強であった。日本の協力は、コトヌ漁港の事業全体をにらんだ、総合的な計画に基くものであった。日本は、「女性の家」の建設に先立って、2003年から2005年にかけて、コトヌ漁港に無償資金協力を行った。総額10億5千万円。コトヌ漁港の漁業関連施設を、全部近代化した。さらに言えば、その近代化プロジェクト自体が、一朝一夕に仕上がったものではない。その無償資金協力に先立って、日本の水産庁は、コトヌの水産局に対して、もうかれこれ10年にわたって、JICAを通じて水産技術や水産行政の専門家を派遣して、漁業の指導をしている。海の国、漁業の国日本だからこそできる協力である。その技術協力の積み重ねのうえに、施設整備が計画されたのであった。
コトヌ漁民は1600人を数え、ほとんどが零細漁民である。丸木舟を少し大きくした程度の船に、帆を張って漁に出かける。網を仕掛け、釣り糸をたれて、一日の漁獲をアイスボックスに入れて浜辺に持ち帰る。舟は無数にあるので、漁の終わった後、埠頭に係留しておくのでは場所が足りない。だから陸に上げて駐船する。以前は、土が剥き出しの岸辺に船を引き揚げた。日本の協力で、そこに接岸スロープを造った。スロープには横木が埋め込んであり、舟を横木に載せて引っ張れば、摩擦が少なく軽々と陸に揚げられるようになっている。
漁業組合の事務管理棟は、単なる事務所ではない。営業用の大型冷凍庫を備えた倉庫になっている。以前は、豊漁の日があっても、魚を冷凍保存することが出来なかった。だから売れ残って腐らせてしまうか、せいぜい燻製にして安く売るしかない。つまり豊漁を収入に生かすことができなかった。この零下25度に保たれた倉庫が出来てからは、魚に買い手が付くまで保管することが出来る。だから、漁業の収益が格段に良くなった。冷凍庫は、大量に氷を作る製氷機にもなっている。この氷を漁民だけでなく、コトヌ魚市場で流通に携わる人々で分けて使う。それで市場での魚の日持ちも良くなった。日本の協力を足がかりに、コトヌの漁業はビジネス面で大きく脱皮した。
漁業組合の経営がどのくらい順調にいっているのか、私はオウォラビ漁港長に聞く。彼女は、そう来ると思っていた、日本の方々は必ず数字を訊きますからね、先月の収支報告をお見せしましょう、と言って一枚の紙を渡してくれる。
「ご覧のとおり、大幅の黒字です。これは実は、製氷機のおかげなのです。」
みると、氷の売上で収入の4分の3を上げている。氷は全部で1日4トン生産される。外から買いに来れば、1キロ40フラン(10円)で頒布する。
「ここの氷は、零下25度で製造していますから、固く凍っていてなかなか融けないのです。評判が高くなり、コトヌの街じゅうから買いに来ます。ここは年中夏で、年中氷が必要です。とてもいい値段で、順調に売れます。氷がこんなにいいビジネスになるとは、嬉しい驚きでした。」
冷凍庫の前に行ってみた。ちょうどクリスマス前で、祭りや宴会用の需要が高く、大勢の人々が氷を買いに来ていた。ビールのケースや穀物の空き袋に氷をどっさり詰めたものを、専門の業者のような人々との間で取引している。日本の無償資金協力は、零細漁民を支援してその生活向上を図る、という趣旨であったに違いないのだが、近代的な設備を得て、コトヌ漁港の人々は新たな商機に繋げようとしている。援助を受けた側の人々の創意工夫が、そこに新たな次元を開いている。
コトヌ漁港の水揚場。漁網を修理する漁民たち
水揚場~~魚の選別区画
コトヌ漁港の埠頭。正面は事務棟と水揚場
漁船を接岸させるスロープ。奥の空色の建物が「女性の家」
氷を売る
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