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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

日本人がいる村

2009-01-05 | Weblog

アブランク村を出て、隣村のアジャラ村(Adjara)に着く。ここにもう一人の青年海外協力隊員である、藤村裕亮さんを訪ねる。アジャラ村には「青年余暇センター」という公民館があって、藤村さんはここで青少年相手のスポーツ振興活動などをしている。藤村さんも、前任者を引き継いで二代目の協力隊員である。公民館の近くには、小学校と中学校が並んでいて、放課後の子供たちや青年たちが公民館を訪れる。毎日50人くらい来るという。

藤村さんは、やって来る子供たちを集めて、一緒にゲームなどをして遊ぶ。机には、手作りの人生ゲームや双六が置いてある。折り紙なども、一緒に折ってみせる。壁には日本語のレッスンが貼り付けてあって、みなに片言の日本語を教える。また、青少年たちには兄貴分として、彼らの話を聞き、相談などにのってやる。そして彼らと一緒に、いろんな青少年活動を行っていく。日本語などを教えるだけでない。きちんと礼をすることとか、大人を敬うこととか、掃除をして整理整頓することとか、そういう規律や道徳を教える。藤村さんの薫陶を受けたベナン人の男の子たちが、私に丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれる。

まだこちらに来て1ヶ月ほどなので、藤村さんの本格的な活動はこれからだ。それでも、もう子分たちがいる。子分たちは、藤村さんを師と仰いでいる。何の師か、というと空手道場の先生なのだ。藤村さんは、空手の専門家である。2人の男の子が出てきて、私に空手を実演して見せてくれた。「一、二、三、四」と、日本語で掛け声をかけて、手足をきびきびと動かしていく。本格的な空手の型だ。頼もしいベナン人空手選手が、ここに誕生している。

私は、今晩コトヌでベナン在留の日本人の懇親会を開くので、来ませんかと誘う。ところが藤村さんから、お誘いは有り難いが行けないと断られた。着任後まだ3ヶ月に満たないから、任地を離れることが許されない。それが協力隊員の掟である。任地は厳しい。生活は何もかも勝手が違い、夜の間などやることもなく一人で寂しい。地元にとけ込んで、人々の認知を得て仲良くなるには月日がかかる。その苦しい時期を逃げてはいけない。だから3ヶ月の間を、歯を食いしばって乗り切る。3ヶ月経つと、だいたい軌道に乗る。藤村さんはもう十分、地元にとけ込んでいるように思えたが、掟は掟だ。

アジャラ村の村長さんが、私が来ていると聞いて車で駆けつけてきた。是非、村役場までお越しいただいて、と話が大げさになりそうなのを、時間がないのでと丁重に断ってから、藤村さんのことを宜しくと頼む。
「いや、こちらこそ日本の皆様に宜しくです。このアジャラ村は、日本人がいる村としてちょっと有名なのです。藤村さんの前任者のジュンコさん(注:協力隊員の阿部順子さん)が、ハンドボールの専門家として、地元のハンドボールのチームを指導し、なんと地域の学校対抗のトーナメント大会を実現しました。これが地元テレビの取材を受け、全国放映されたのです。アジャラ村としては、大変な栄誉でした。藤村さんのことももう知られていて、彼の活動にも期待しています。」

男の子、女の子が次第に集まってきた。写真機を向けると、女の子は逃げる。どうして駄目なの、と聞くと、だって、制服なんだもん。写真に撮られるためには、綺麗な服を着ておめかしをしなければ、と女優のようなことを言う。藤村さんが出てくると、皆がわっと取り囲んだ。そこで一枚。底抜けに明るい連中である。この子供たち、青年たちの人生の記録の中に、藤村さんの姿、つまり日本人の姿や日本人が教えてくれたことが、必ず残っていくのだ。何十年か経って、その体験がどこかで何かを生み出すはずだ。

 アジャラ村「青年余暇センター」~~双六ゲーム

 空手の演技~~藤村さんと弟子

  壁に貼られた日本語のレッスン

 集まった青少年たちと藤村さん


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