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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

村の婦人の起業家精神

2008-12-27 | Weblog

学校給食が、村の婦人たちによって、自給自足の原則で農業生産活動に裏付けられつつ、運営されている。村の子供たちは、一日一食はしっかり食事が食べられて、だから小学校の勉強もしっかり出来るようになるという。日本が協力して動き出した事業が、幾年も経て確かな実を結んでいる、という話を、現地に確かめに行った。

アビジャンから車で1時間ほど。幹線道路から外れて、緑の中ののんびりした道を15分ばかり進むと、アンデ(Andé)村に出た。村の小学校の校庭に、簡単なテントが立ててあり、村の人々が私の到着を待っていた。大勢の子供たちが、制服を着て並んで歓迎してくれる。ジャーポン、ジャーポンと手拍子を取り始める。私は、手を上げて応じる。

最初に農場を視察しましょう、とアビジャンから来てくれた、国民教育省のロアン学校給食局長が言う。小学校の裏手を歩いて行くと、油椰子の並ぶ畑が見渡せる。広場では親指ほどの椰子の果実を、大量に台の上に広げて乾かしている。油椰子の実は、ビタミンなどの滋養に富んでいるという。これを煮込んで、給食のソースを作る。椰子畑のほかに、キャッサバ芋(仏語でマニョク)の畑がある。稲田も作っているが、稲はちょうど刈り取ったところで、今は休耕中である。婦人方が交代で出て、手入れをしているという。

「教育省では決して、作物の種類をどうするかについて指導しません。各地には各様の食文化があります。マニョクを食べる村ではマニョク、米を食べる村では米を作ります。学校給食は、地元の日常生活の延長上になければならず、違う習慣を押し付けたりしてはいけない。」
それは大事なことだ、と思う。援助する側が良かれと思っても、現地の人々の習慣に合わないことは根付かない。あくまでも現地の人々の事情に立って、援助を進めなければならない。少し文脈は違うが、かつて日本の援助団体が、日本の米はおいしいから食糧援助に使ってくれと、船でいきなり米を何トンも送ってきて、難儀した経験がある。その国では、米を食べなかったのだ。

椰子畑の横の広場には、コンクリートのブロックで囲んで、その上から網をかけた、鶏小屋がある。沢山の白い鶏が、餌をついばみながら群れている。
「この養鶏施設は、婦人経営陣が独自の計画で作りました。子供たちの給食の材料のためというより、学校給食の経営に必要な現金収入を、安定して確保しようという考えから始めたものです。」

そのために、商品性の高い産品として、鶏を選んだ。雛から育てて、大きくして町に売りに出す。この企画が、おおいに当たった。昨年12月から、出荷を始めた。もう5回ほど売りに出して、合計1792羽を売り上げた。安定した現金収入の流れが出来た。
「われわれアビジャンの担当者が、ああしろ、こうしろ、と言ったわけでは全くないのです。ここの村の婦人たちが相談して、この養鶏施設をはじめた。自分たちで乗り出した事業だから真剣です。本当に収益に繋がるのか、皆心配でした。彼女たちは、驚くほど細かく出納記録をつけ、着実な利益を出しています。」

養鶏施設の成功で自信が付いた。今は、次の段階として、山羊を飼育する牧場を始めている。油椰子の立ち並ぶ畑の一部を木の柵で囲んで、小さな山羊牧場が作られ、山羊が十数匹群れていた。
「このような起業家精神が、どうしてこんな辺鄙な村の、しかも婦人たちの間から生まれてくるのか。これが学校給食事業の、不思議な力なのです。」

そして私たちは村にもどり、学校給食の建物にむかった。


 養鶏小屋の外観

 鶏たち

 こちらは山羊

 


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