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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

クリスマスが過ぎた

2008-12-26 | Weblog
クリスマスが無事に終わった。無事に終わったというのは、なにか特別の行事があってそれを終えた、という意味ではない。何事も起こらず、ということである。ここでは、クリスマスに至る日々に何も面倒なことが起こらず、クリスマスも普段の日と変わりなく過ごせれば、ひとまず安堵である。クリスマスの時期というのは、社会の不満が表面に出やすく、騒動が起こりかねないからだ。

男たちは、クリスマスを祝うために、家庭にお金を持って帰らなければならない。それは一家の主人の面子の問題だ。だから、給料やボーナスの支払いが悪いと、人々はプラカードを持って街に出る。兵隊なら、物騒な騒ぎを起こしかねない。9年前の1999年のクリスマス前に、手当て未払いに怒った一部兵隊たちが、示威行動に出た。それをきっかけに、「軍服のサンタクロース」によるクーデタが起こり、コートジボワールは混乱への道に迷い込んでいった。

社会の不満が出やすい時期を、政治に利用しようという動きが出てくるかもしれない。今年は特に、11月30日に予定されていた大統領選挙が延期された後である。反発する政治勢力が、人々を刺激して大きな騒ぎを起こそうと動くかもしれなかった。また12月はじめには、北部の武装解除をめぐって、「人民党」と「新勢力」の間で、激しい論争が闘わされた。この対立は、今の挙国一致内閣を分裂させ、折角軌道に乗った和解と統一への道筋を、困難にしてしまうのではないかと危惧されていた。

クリスマスの直前に、国連平和維持活動(UNOCI)のチョイ特別代表を、公邸に食事に招いた。私は、今年のクリスマスは大丈夫ですかねえ、と聞く。チョイ代表は、大丈夫だ、今年は兵士たちにはきちんと給料と手当てが支払われている、という。
「政府もよく分かっている。軍の兵隊たちをまず優先して、給料を支払っている。だから、兵士たちは満足だ。一方、選挙の関係者は、かわいそうに後回しである。有権者登録の作業に雇われた人々には、給料が満足に支払われていない。だから昨日も、彼らはアビジャンでデモを繰り広げていた。でも、武器を持っていない人々のデモは、まあ構わないというわけだ。」

チョイ代表によれば、そもそも1999年のクリスマス・クーデタは、各方面の油断が原因であって、あくまでも突発的なものであった、もう政府もどこも、クリスマスの時期を用心しているから、同じ愚を繰り返すことはないという。
「1999年のクリスマス、ベディエ大統領(当時)は、クリスマスを故郷で祝おうと、護衛の部隊と一緒にアビジャンを遠く離れていた。アビジャンの騒動が起こって、これに対抗するため、慌ててフランス軍の出動を求めようとしたら、パリはパリで、頼みのフランス政府の要人は、皆スキーに行って不在だった。対応がまったく取れないうちに、事態がどんどん進んでいった、というのが、あのクーデタ事件の真相なのだ。」

さて、12月初旬に危惧されていた、北部の武装解除をめぐっての閣内対立がどうなったかといえば、バグボ大統領が仲裁に入って、一応納まった。実のところ、「人民党」幹部と「新勢力」のスポークスマンの間で、激しいやり取りが行われている間中、バグボ大統領はカタールを訪問中で不在であった。それが、バグボ大統領が帰ってきて、君たちいい加減にしろ、と鶴の一声である(12月9日)。それで静かになった。どうも結果的には、「人民党」と「新勢力」とで、大統領の見せ場を作ってやったようなことになっている。

それに引き続いて、バグボ大統領(すなわち元の南部政府軍側)の代表団と、ソロ首相(すなわち元の北部反乱軍側)の代表団が、ブルキナファソの首都ワガドゥグに集まって、「ワガドゥグ合意」の第4合意書というものを作り上げた(12月22日)。これは要するに、北部の「新勢力」の軍勢を、どのように政府軍に統合するか、余った兵士たちをどのように武装解除するか、そして南北の国庫をどのように統合するかについての、南北双方の合意である。

南北双方、といっても、今は一つの政府を作っているじゃないか。合意が必要というなら、政府の中で話し合えばいい。それを、それぞれ代表団を作って、わざわざワガドゥグまで出かけていって、と少しばかりあきれるところがあるが、それが「ワガドゥグ合意」プロセスなるものなのである。コンパオレ・ブルキナファソ大統領の権威があってこそ、話し合いを進めることができる部分がある。昨日(12月25日)には、バグボ大統領とソロ首相が、またしてもわざわざワガドゥグまで出かけていって、代表団が作り上げた第4合意書に正式署名した。これでともかくも、12月前半に大騒ぎした武装解除問題に、公式に手打ちが行われた。

少し心配は、西の方角にある。12月22日、24年間の長きにわたってギニアを治めてきたコンテ大統領が、糖尿病を悪化させて死去した。本来は、国会議長が暫定大統領となるというのが憲法上の規定なのに、これを拒否する軍の一部がクーデタのような動きを示して、混乱が始まっている。もし西隣のギニアが内戦状態にでもなったら、コートジボワールにも多大な影響が及ぶ。内戦の避難民が越境して逃げてくるし、コートジボワールの西部国境地域は、どちらかの軍勢力の後方支援地域に利用されて、否が応でも内戦に巻き込まれることになる。ギニア情勢の推移には、十分注意をしていく必要がある。

ともかくも、クリスマスが何事も無く過ぎた。あとは静かに新年を迎えることができれば、と期待するのである。

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