マリという国がある。コートジボワールの北側にある隣国である。同じく北側の隣国であるブルキナファソとともに、コートジボワールに大量の移民労働者を供給している。統計が無くて分からないのであるが、数百万人という数だといわれる。
マリ人は、いわゆる北の部族の人たちであり、ブルキナファソ人と同じく、質実剛健、勤勉で忍耐強いといわれている。こちらに来て、アフリカを相手にビジネスをしている日本の商社の人と話すと、やはり同じような評価である。マリに行ってみると、マリが今後ビジネスの相手として有望な国だと感じるという。何より、役人が優秀だ、きちんと仕事をする、反応が的確だ。
とにかく広大な国で、北部は広大なサハラ砂漠。でも南部にはニジェール川が流れて、灌漑による農業が行われ、国内に多くの金属資源を有する。かつて西アフリカで繁栄したマリ帝国やソンガイ帝国の末裔を標榜するこの国で、人が優秀で、国の制度や組織が健全に動いているのであれば、マリの発展には大きな希望が持てるのではないか。ところがマリは、なかなか最貧国から抜け出せない。なぜか。それは周りを全て他の国に囲まれている、内陸国だからだ。
「内陸国というだけでない。市場や貿易の出入口をコートジボワールに全面的に依存していた。コートジボワールの混乱は、マリの経済にとって重大な衝撃だった。あたかも根を切られた植物のようになった。」
マリ大使に挨拶に行ったら、そういう話になった。マリ大使は、私に説明する。
「マリの主要産品は綿花。その輸出の100%を、アビジャン経由で行っていた。一方、国内の建設事業に必要なセメント。これは95%がアビジャンの工場で生産されたものを輸入していた。すべてのマリの輸出入のうち9割は、アビジャン港経由であった。だからコートジボワール国内の戦争は、マリの経済に大打撃を与えた。」
アフリカの地図は、道路で読まなければならない。きちんと舗装され、大型トラックが荷物を輸送できる道路は、限られている。舗装道路の通り方が、国の流通を左右し、地政学を支配する。マリについて見れば、大西洋への出口は、コートジボワール以外にも、セネガル(ダカール港)経由、ギニア(コナクリ港)経由がある。しかし、全経路を通じて舗装がしっかりしていたのは、コートジボワール経由の輸送道路だけだった。だから、マリの経済に必要な物資の輸入、マリの産物の輸出、すべてをコートジボワールのアビジャン港に依存していた。
マリ大使は、今はかなりの輸出入が、ブルキナファソからガーナを経由する、大回りのルートで行われているという。
「コートジボワールが危機に陥って以降、コートジボワール以外の国を経由してでも輸出入ができるようにすることが、マリにとって国家戦略の急務となった。マリは道路整備に力を注ぎ、セネガル、ギニア、ブルキナファソと、全ての隣国との国境までの国内幹線道路の舗装を完了した。」
残念ながら、それでもセネガル、ギニアについては、それぞれの国内に入ってからの道路の舗装が不十分だ。この両国とも、マリのために道路舗装をする義理は無い。
「セネガルに向かうトラックは、悪路による転倒や、豪雨による道路寸断の危険を覚悟しなければならない。なんといっても、コートジボワール経由の1200キロの道路が、最も条件がいいのだ。また、アビジャン港の能力は、西アフリカの他のどこの港よりも断然大きい。マリは、コートジボワールの正常化を、どこよりも待ち望んでいる。」
ここに、また違った意味で、コートジボワールの和平を強く期待する国がある。
「セメント生産を他国に依存するとは、不安この上ないですね。マリに石灰岩くらいは産するだろうし、自国生産を考えるべきではないですか。」
私はマリ大使に聞く。
「それは、以前には国内にセメント工場はあったさ。でも、マリが急進社会主義の時代の工場だ。当然ながらソ連の支援で建てたものだったから、ソ連崩壊後は部品も来なくなった。新しい工場を建てる必要から、アフリカ開発銀行に融資を願い出た。フランスがこれに反対した。なぜって、それはマリへのセメント供給は、コートジボワールのセメント工場があれば十分である。マリ独自の工場は無駄である、とこういう理由だった。」
フランスにすれば、コートジボワールにフランスが建てた工場が、地域全体のセメントを一括して生産する態勢こそが、最も効率がいいのである。経済合理性からは、理解できる反対である。でもその態勢は、マリにとって、コートジボワールに国家建設の生命線を握られるということを意味した。そして恐れていたとおり、その後コートジボワールは混乱した。
コートジボワールは、西アフリカ地域の経済全体にとって、重要な存在だ。それはこの国の圧倒的な経済的な大きさだけでなく、経済が機能するための重要な役割を持っていた。いわば西アフリカの心臓だったのだ。その心臓が故障すれば、例えばマリには血が巡らなくなり、西アフリカ経済全体に機能不全が生じる。コートジボワールの和平と正常化を、急がなければならない理由が、そこにもある。
マリ人は、いわゆる北の部族の人たちであり、ブルキナファソ人と同じく、質実剛健、勤勉で忍耐強いといわれている。こちらに来て、アフリカを相手にビジネスをしている日本の商社の人と話すと、やはり同じような評価である。マリに行ってみると、マリが今後ビジネスの相手として有望な国だと感じるという。何より、役人が優秀だ、きちんと仕事をする、反応が的確だ。
とにかく広大な国で、北部は広大なサハラ砂漠。でも南部にはニジェール川が流れて、灌漑による農業が行われ、国内に多くの金属資源を有する。かつて西アフリカで繁栄したマリ帝国やソンガイ帝国の末裔を標榜するこの国で、人が優秀で、国の制度や組織が健全に動いているのであれば、マリの発展には大きな希望が持てるのではないか。ところがマリは、なかなか最貧国から抜け出せない。なぜか。それは周りを全て他の国に囲まれている、内陸国だからだ。
「内陸国というだけでない。市場や貿易の出入口をコートジボワールに全面的に依存していた。コートジボワールの混乱は、マリの経済にとって重大な衝撃だった。あたかも根を切られた植物のようになった。」
マリ大使に挨拶に行ったら、そういう話になった。マリ大使は、私に説明する。
「マリの主要産品は綿花。その輸出の100%を、アビジャン経由で行っていた。一方、国内の建設事業に必要なセメント。これは95%がアビジャンの工場で生産されたものを輸入していた。すべてのマリの輸出入のうち9割は、アビジャン港経由であった。だからコートジボワール国内の戦争は、マリの経済に大打撃を与えた。」
アフリカの地図は、道路で読まなければならない。きちんと舗装され、大型トラックが荷物を輸送できる道路は、限られている。舗装道路の通り方が、国の流通を左右し、地政学を支配する。マリについて見れば、大西洋への出口は、コートジボワール以外にも、セネガル(ダカール港)経由、ギニア(コナクリ港)経由がある。しかし、全経路を通じて舗装がしっかりしていたのは、コートジボワール経由の輸送道路だけだった。だから、マリの経済に必要な物資の輸入、マリの産物の輸出、すべてをコートジボワールのアビジャン港に依存していた。
マリ大使は、今はかなりの輸出入が、ブルキナファソからガーナを経由する、大回りのルートで行われているという。
「コートジボワールが危機に陥って以降、コートジボワール以外の国を経由してでも輸出入ができるようにすることが、マリにとって国家戦略の急務となった。マリは道路整備に力を注ぎ、セネガル、ギニア、ブルキナファソと、全ての隣国との国境までの国内幹線道路の舗装を完了した。」
残念ながら、それでもセネガル、ギニアについては、それぞれの国内に入ってからの道路の舗装が不十分だ。この両国とも、マリのために道路舗装をする義理は無い。
「セネガルに向かうトラックは、悪路による転倒や、豪雨による道路寸断の危険を覚悟しなければならない。なんといっても、コートジボワール経由の1200キロの道路が、最も条件がいいのだ。また、アビジャン港の能力は、西アフリカの他のどこの港よりも断然大きい。マリは、コートジボワールの正常化を、どこよりも待ち望んでいる。」
ここに、また違った意味で、コートジボワールの和平を強く期待する国がある。
「セメント生産を他国に依存するとは、不安この上ないですね。マリに石灰岩くらいは産するだろうし、自国生産を考えるべきではないですか。」
私はマリ大使に聞く。
「それは、以前には国内にセメント工場はあったさ。でも、マリが急進社会主義の時代の工場だ。当然ながらソ連の支援で建てたものだったから、ソ連崩壊後は部品も来なくなった。新しい工場を建てる必要から、アフリカ開発銀行に融資を願い出た。フランスがこれに反対した。なぜって、それはマリへのセメント供給は、コートジボワールのセメント工場があれば十分である。マリ独自の工場は無駄である、とこういう理由だった。」
フランスにすれば、コートジボワールにフランスが建てた工場が、地域全体のセメントを一括して生産する態勢こそが、最も効率がいいのである。経済合理性からは、理解できる反対である。でもその態勢は、マリにとって、コートジボワールに国家建設の生命線を握られるということを意味した。そして恐れていたとおり、その後コートジボワールは混乱した。
コートジボワールは、西アフリカ地域の経済全体にとって、重要な存在だ。それはこの国の圧倒的な経済的な大きさだけでなく、経済が機能するための重要な役割を持っていた。いわば西アフリカの心臓だったのだ。その心臓が故障すれば、例えばマリには血が巡らなくなり、西アフリカ経済全体に機能不全が生じる。コートジボワールの和平と正常化を、急がなければならない理由が、そこにもある。
20年以上前に、マリの経済調査で各省を回ったときに、私もそういう印象を強く受けました。コートジボワールの官僚からは、金と権力に弱い人たち、という印象を受けたのと、対照的でした。