2002年に武装蜂起した反乱軍。それ以来国の北半分を占領し、政府軍との間で交戦状態にあった。そうした事態から国民和解に向けて道筋を作ったのが、2007年3月のワガドゥグ合意である。反乱軍すなわち「新勢力」軍は、政府軍と統合されることになった。そしてこの合意によりつくられた国民和解内閣で、「新勢力」の代表、すなわち、それまで反乱の首謀者であった人物が、なんと首相になった。ソロ氏である。
幕末の御一新で、西郷隆盛が江戸城に乗り込んできたが、バグボ将軍がそのまま残って、西郷隆盛は大老になった、というところだろうか。そして勝海舟などを幕閣に率いて、政治を行っているようなものである。ソロ首相は、現大統領、元大統領、元首相などと、とにかくベテラン老練政治家が並ぶ中で、とにかく若い。反乱を起こした頃、まだ学生運動の闘士上がりだったから、今でも30代半ばである。
そのソロ首相と会うことになった。私も着任して2ヵ月、ソロ首相に会談を求めてきたのだが、まだ実現していない。私との時間が取れなかったのは、大統領選挙にむけての作業や、政府軍・「新勢力」軍の統合など、問題山積で忙しかったのか。私の側も、反乱軍を率いた豪傑だ、という先入観もあって、何となく肌が合わないような気がしていた。それに、いろいろ具体的な話があれば、それぞれその担当大臣と会ってきたので、ソロ首相に何としても会う必要はなかった。しかしながら、今日は会って話がある。あることについて、こちらから頼みがある。
首相府の応接室で待っていると、ソロ首相が執務室から出てきた。つい先週も外交団への説明会で会って挨拶をしてはいるが、そのときも何となく心理的な距離があった。ところが、こうして一対一で会ってみると、こざっぱりして律儀そうな政治家である。ちょっと第一印象とは違う。しゃべり方も、論理的かつとても丁寧だ。
ソロ首相は、自分には大統領選挙の実現に向けて、強い決意がある、と述べる。
「みなさんは、私が実は選挙をしたがっていない、と見ているようだ。それは違う。私が首相になってから、どれだけ色々な進展があったか。有権者登録も、着実に進みつつある。」
私は、日本は大統領選挙を心待ちにしていたから、このたびの延期は残念である、と言葉を挟む。言うべきことは言っておかなければ。同時に、真の平和を達成するためには、十分な準備が必要だということも理解する、とも付け加える。
ソロ首相は、私の言葉を受けてこう述べる。
「コートジボワールの平和を達成するために、コートジボワールの指導者が、責任を持って、国のために最適の選択肢を、熟慮の上で選んできているのだ。そこのところを、よく国際社会に分かってほしい。」
「それは、先日の会議でガボン大使が述べていた、アフリカの名誉の問題ですね。」
私は、ガーナ大使からの貴重な示唆を、ちゃっかり借用する。ねらい通り、ソロ首相の琴線に触れた。
「自分はフランスで勉強したが、アフリカ人学生たちは決して劣等生だということはなかった。むしろ、フランス人の学生に比べて、勉強熱心で優秀なくらいだ。それでも、欧米の諸国は、未だにアフリカにはよく教えてやらないと分からないのだ、という態度を取る。それがいけない。」
話がかみ合ってきた。私は、ここぞとソロ首相に日本を売り込む。フランスや米国のほうばかりを見がちなコートジボワールに、日本もここにいる、と認識させたい。私は首相に、日本にも目を向けるように促す。
「日本は先進国、世界第二の経済大国である。今年はG8の議長国であるし、来年からは国連安全保障理事会の理事国を務めるなど、国際社会に大きな役割を果たす国だ。その一方で、アジアの一国であり、独自の視点や立場をとることが出来る。コートジボワールは、日本を友人とすべきだし、貴首相も私を頼りにしていただいて結構である。」
そこまで話を進めておいて、私はいよいよ本題に入った。
「明後日に、天皇誕生日のレセプションを、私の大使公邸で行います。首相のご出席を得られれば、これに勝る光栄はないのですが。」
各国の国祭日に閣僚が列席してくれることはよくあるが、ソロ首相が来ることはこれまでなかった。だからこれは駄目もとで頼んでいる。しかし、もし日本のレセプションにソロ首相が来てくれれば、これは大変大きなメッセージとなる。コートジボワールが日本を重視しているということだ。
ソロ首相は、直ちに躊躇なく答える。
「分かりました。出席しましょう。」
快諾だ。もうそうなると私には、ソロ首相が、「肌の合わない」どころか、古くからの同志であるかのように思えた。
幕末の御一新で、西郷隆盛が江戸城に乗り込んできたが、バグボ将軍がそのまま残って、西郷隆盛は大老になった、というところだろうか。そして勝海舟などを幕閣に率いて、政治を行っているようなものである。ソロ首相は、現大統領、元大統領、元首相などと、とにかくベテラン老練政治家が並ぶ中で、とにかく若い。反乱を起こした頃、まだ学生運動の闘士上がりだったから、今でも30代半ばである。
そのソロ首相と会うことになった。私も着任して2ヵ月、ソロ首相に会談を求めてきたのだが、まだ実現していない。私との時間が取れなかったのは、大統領選挙にむけての作業や、政府軍・「新勢力」軍の統合など、問題山積で忙しかったのか。私の側も、反乱軍を率いた豪傑だ、という先入観もあって、何となく肌が合わないような気がしていた。それに、いろいろ具体的な話があれば、それぞれその担当大臣と会ってきたので、ソロ首相に何としても会う必要はなかった。しかしながら、今日は会って話がある。あることについて、こちらから頼みがある。
首相府の応接室で待っていると、ソロ首相が執務室から出てきた。つい先週も外交団への説明会で会って挨拶をしてはいるが、そのときも何となく心理的な距離があった。ところが、こうして一対一で会ってみると、こざっぱりして律儀そうな政治家である。ちょっと第一印象とは違う。しゃべり方も、論理的かつとても丁寧だ。
ソロ首相は、自分には大統領選挙の実現に向けて、強い決意がある、と述べる。
「みなさんは、私が実は選挙をしたがっていない、と見ているようだ。それは違う。私が首相になってから、どれだけ色々な進展があったか。有権者登録も、着実に進みつつある。」
私は、日本は大統領選挙を心待ちにしていたから、このたびの延期は残念である、と言葉を挟む。言うべきことは言っておかなければ。同時に、真の平和を達成するためには、十分な準備が必要だということも理解する、とも付け加える。
ソロ首相は、私の言葉を受けてこう述べる。
「コートジボワールの平和を達成するために、コートジボワールの指導者が、責任を持って、国のために最適の選択肢を、熟慮の上で選んできているのだ。そこのところを、よく国際社会に分かってほしい。」
「それは、先日の会議でガボン大使が述べていた、アフリカの名誉の問題ですね。」
私は、ガーナ大使からの貴重な示唆を、ちゃっかり借用する。ねらい通り、ソロ首相の琴線に触れた。
「自分はフランスで勉強したが、アフリカ人学生たちは決して劣等生だということはなかった。むしろ、フランス人の学生に比べて、勉強熱心で優秀なくらいだ。それでも、欧米の諸国は、未だにアフリカにはよく教えてやらないと分からないのだ、という態度を取る。それがいけない。」
話がかみ合ってきた。私は、ここぞとソロ首相に日本を売り込む。フランスや米国のほうばかりを見がちなコートジボワールに、日本もここにいる、と認識させたい。私は首相に、日本にも目を向けるように促す。
「日本は先進国、世界第二の経済大国である。今年はG8の議長国であるし、来年からは国連安全保障理事会の理事国を務めるなど、国際社会に大きな役割を果たす国だ。その一方で、アジアの一国であり、独自の視点や立場をとることが出来る。コートジボワールは、日本を友人とすべきだし、貴首相も私を頼りにしていただいて結構である。」
そこまで話を進めておいて、私はいよいよ本題に入った。
「明後日に、天皇誕生日のレセプションを、私の大使公邸で行います。首相のご出席を得られれば、これに勝る光栄はないのですが。」
各国の国祭日に閣僚が列席してくれることはよくあるが、ソロ首相が来ることはこれまでなかった。だからこれは駄目もとで頼んでいる。しかし、もし日本のレセプションにソロ首相が来てくれれば、これは大変大きなメッセージとなる。コートジボワールが日本を重視しているということだ。
ソロ首相は、直ちに躊躇なく答える。
「分かりました。出席しましょう。」
快諾だ。もうそうなると私には、ソロ首相が、「肌の合わない」どころか、古くからの同志であるかのように思えた。
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