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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

心に命じる声

2008-11-29 | Weblog
いまもなお、私の心に命じる声がある。「復讐しろ」
しかし、平和を願って倒れたやつのため、どうやって復讐するというのだ。
戦いを止めろと言いに行ったやつのため、どうやって戦えというのだ。
答えが出ない。出ないまま、5年が過ぎた。

君とは、27年前の春、一緒に外務省の門をくぐった。同期入省のわれわれ皆、夢と志は人一倍だった。同期生は、人生の節目を分かち合って年齢を重ねる。語学研修への初めての旅立ち、慣れない外国生活、様々な人々との出会い、恋愛、結婚、子供の養育、僻地への赴任、いろんな人生の節目を分かち合ってきた。つらくてもやりがいのある仕事に、ひとつひとつ、互いに智恵を出し合って取り組み、経験を重ねてきた。

同じ予備校の、同じ寄宿舎で出会い、同じ釜の飯を食った。ともに関西出身だったこともあり、君とは一番気の許せる友として、いつも大阪弁で語り合った。君の頑固さに辟易したこともあったが、それでも、「そんなん、そら理屈ゆうもんや」と言われれば、そうやな、理屈では物は動かんわな、と納得してしまう迫力があった。

そう、君の人生は「理屈」ではなかった。君にとっては、紙を書くだけが外交ではなかった。信念への共感と、真剣さへの感動が、人を動かし、外交を動かす。自分で汗を流し、自分で責任をかぶって、使命のために行動することこそが、外交官としての君の真髄だった。そして、自分のことのように他人の面倒を見るやつだった。他人のために怒れるやつだった。だから、紛争に疲弊して、数々の不幸や困難に苦しむイラクの人々を見て、君はそういう場面にはいつもそうだったように、親身に立ち働いたに違いない。

英国大使館から長期出張も日数を重ね、夏には任務を終えるはずだったのが、11月末になっても現地で頑張っていたのは、もちろん君が日本にとって欠かせない人間になってしまっていたということもあろう。でも、私には分かる。この正義漢は、イラクの人々の不幸をそのままに、自分だけロンドンに帰ることを許さなかったのだ。

運命の年の5月。君はG8外相会議に出席の川口順子外務大臣に、現地情勢を報告するため、パリに出てきた。君は私に言った。
「おれ、今ほど身体も気持ちも元気なとき、無いで。身体なんか、まるで二十代や。」
分かる。私もコソボに行ったときにそうだった。ここに自分の果たせる役割がある。そして自分には挑戦すべき困難がある。自分にはそれを克服する能力がある。そして、そこに人々の顔がある。どん底に苦しみながら、喜びを分かち合うことも出来る人々が、そこにいる。自分が走り回れば、それだけ人を幸せに出来る。自分に課された使命、それを実感するとき、人は勇気を得る、強靭になる。

だから、5年前の今日、ティクリートにむかって灼熱の道をひた走る車の中で、奥克彦は満身に闘争心を漲らせていたに違いない。誰もが躊躇する仕事だった。しかし、奥克彦は情熱と覚悟でそれを乗り切ろうとした。それに立ち向かうための志とその正しさを、奥克彦は微塵も疑っていなかったに違いない。一筋の理想を追って、獲物を狙うライオンのように、奥克彦は駆っていたに違いない。

静かに横たわるだけになってしまった君を前に、だから私は自分に問うた。君が負けるわけがない。君が負けてはいけない。君が負けたことになってはいけない。君を負かそうとするものを許してはいけない。私は自分に復讐を誓った。あてどころのない復讐であった。

いまもなお、私の心に命じる声がある。あれから5年が経った。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ご活躍を (chibimae)
2008-12-01 17:20:12
彼の話を別の機会に耳にしました.
フットボール学会での森喜朗元首相の講演です.
森さんはラグビーを通して彼が上京するずっと前からご存じだったようですが,大学の先輩になったこともあり,外交官を目指すということも,ロンドンからイラクに行くということも相談や報告を受ける関係であったようです.
そして,彼の行動と思いを認め,理解しながらも,イラク行きを賛成したご自分の責任を感じ,彼が亡くなったことを心底から残念に思っていることを話されていました.
森さんを初め,その話を聞いて心を打たれた私を含む多くの人々が平和への思いと,そのための行動を忘れないことが大事なのでしょうね.でも,辛いですね.
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