コートジボワールは、2007年4月のワガドゥグ合意で南北再統合が達成されるまで、5年にわたる南北分裂を経験した。その間、南側の政府軍と、北部の反政府軍との間で、軍事対立を続けてきた。だから、ワガドゥグ合意は、南北再統合の主要な課題として、政治的な側面とともに、軍事的な側面を挙げて、その2つが並行して進むことを求めている。つまり、国民和解政府の形成と大統領選挙の実施とともに、反政府軍を武装解除して政府軍に統合するという軍事的統合が、重要な課題なのである。
10日に行われた、ワガドゥグ合意実施協議では、大統領選挙の実施の延期とともに、この軍事統合にともなう問題が話し合われたようであった。5年間にわたって敵味方であった2つの軍隊を、ひとつの組織に纏めなおすというのだから、簡単な話ではない。そのあたりの情報を得ようと、19日にアマニ・ヌゲサン国防相と会談した。以前に、日立製医療機器の供与式典があったときに、すでに待合室で会っているので面識がある。今回は正式な表敬訪問として国防省を訪れた。
アマニ・ヌゲサン国防相は、陸軍、海軍それぞれの大臣補佐官を従えて、執務室で待っていた。ソファーでお茶を飲みながら、というのではなく、会議テーブルに案内される。いきなり実務的な構えである。定型の挨拶を交わした後、国防相は切り出す。
「こうして直接お話を聞きに来ていただいて、大変嬉しく思う。外交団は、往々にして私から話を聞かないで、いろいろなことをご自分で判断される。これは良くない。」
コートジボワールとして、訴えたいことがいろいろある、ということだろう。情報収集が重要な職務である大使としても、そうした大臣の姿勢は歓迎だ。早速、ワガドゥグ合意実施協議での話し合いの論点や、今後の見通しなどを、いろいろと質問する。
北側の「新勢力」の軍人たちを、政府軍の中に統合するというのには、難しい課題がいくつもあるという。もちろん、政府軍として吸収できる人数は限られている。軍事対立により膨れ上がった軍人の数を、平和になった今、そのまま維持できるはずはない。更に、統合ということに伴う、技術的な問題もある。例えば、将校たちの軍位をどうするか。「新勢力」に属していた軍人たちは、5年の間に不相応に昇進したりしている。それをそのまま認めると、政府軍の軍人たちとの間で、不公平なことになる。
それにも増して重要なのは、平和になって不要になり、解雇されることになった兵士たちを、どのように社会復帰させていくか。すでに国連の協力などを得て、職業訓練や小規模融資などの活動事業が行われつつある。しかし、2万人から3万人を数えると考えられる旧兵士たちに、新しい生活への段取りをつけてやるには、まだまだ対応が足りない。だから、是非日本からの支援が欲しい、と国防相は言う。
「政府軍に支援してくれというのではない。北部の人たちへの支援が欲しいのだ。お金が欲しいと言っているのではない。北部の旧兵士たちに、新しい生活を与えてほしいのだ。社会復帰のための事業、就職口が見つかるような事業、技術研修、そういうプロジェクトを、日本の力でどんどん展開してほしい。」
南北分裂の間、北部に「戦争経済」が出来上がってしまった。必ずしも戦争で儲ける人たちということではなく、戦争があればこそ生活できる人たちの問題である、と国防相は言う。北部の兵士たちは、今もって武器を振りかざして、検問で手数料を徴収する。南北分裂の間、北部勢力は、その支配の経費や行政の財源に充てるために、そうした手数料徴収を行った。これを一度に廃止すると、そうした兵士や行政官たちは、生存不能になってしまう。
「だから、平和になったら自分は一体どうなるのか、という問いに、きちんと答えを見出してやらなければならない。その答えが無ければ、誰もが戦争にしがみつく。戦争で稼ぐ、という発想を、人々の頭から消去する必要がある。」
だからこそ、兵士の社会復帰のために国際協力を得ることが、大変重要なのだ、と国防相は力説する。
日本大使に会って、この話をしないわけにはいかない、としてアマニ・ヌゲサン国防相は別れ際に私に言う。
「2002年の南北分裂の危機が発生したとき、自分は国民教育相だった。北部の反政府軍の占領地域から、多くの教師や児童たちが、南部に逃げてきた。児童たちの教育機会は奪われ、南部の多くの学校が混乱に陥った。この事態は、国民教育相としての自分にとって、大変な試練となった。その時に、支援をしてくれたのが、日本だった。給食支援、疎開児童の通学支援、その他の支援をしてくれた。日本の支援のお陰で、南部の教育の崩壊が回避できた。学校の継続により治安が維持され、南部の政府側は、存続の危機を耐え抜くことができたのだ。」
国防相は続ける。
「この時の日本の恩を忘れることは、罪だと思っている。」
また思わぬところで、日本の支援が、感謝の実を結んでいた。
10日に行われた、ワガドゥグ合意実施協議では、大統領選挙の実施の延期とともに、この軍事統合にともなう問題が話し合われたようであった。5年間にわたって敵味方であった2つの軍隊を、ひとつの組織に纏めなおすというのだから、簡単な話ではない。そのあたりの情報を得ようと、19日にアマニ・ヌゲサン国防相と会談した。以前に、日立製医療機器の供与式典があったときに、すでに待合室で会っているので面識がある。今回は正式な表敬訪問として国防省を訪れた。
アマニ・ヌゲサン国防相は、陸軍、海軍それぞれの大臣補佐官を従えて、執務室で待っていた。ソファーでお茶を飲みながら、というのではなく、会議テーブルに案内される。いきなり実務的な構えである。定型の挨拶を交わした後、国防相は切り出す。
「こうして直接お話を聞きに来ていただいて、大変嬉しく思う。外交団は、往々にして私から話を聞かないで、いろいろなことをご自分で判断される。これは良くない。」
コートジボワールとして、訴えたいことがいろいろある、ということだろう。情報収集が重要な職務である大使としても、そうした大臣の姿勢は歓迎だ。早速、ワガドゥグ合意実施協議での話し合いの論点や、今後の見通しなどを、いろいろと質問する。
北側の「新勢力」の軍人たちを、政府軍の中に統合するというのには、難しい課題がいくつもあるという。もちろん、政府軍として吸収できる人数は限られている。軍事対立により膨れ上がった軍人の数を、平和になった今、そのまま維持できるはずはない。更に、統合ということに伴う、技術的な問題もある。例えば、将校たちの軍位をどうするか。「新勢力」に属していた軍人たちは、5年の間に不相応に昇進したりしている。それをそのまま認めると、政府軍の軍人たちとの間で、不公平なことになる。
それにも増して重要なのは、平和になって不要になり、解雇されることになった兵士たちを、どのように社会復帰させていくか。すでに国連の協力などを得て、職業訓練や小規模融資などの活動事業が行われつつある。しかし、2万人から3万人を数えると考えられる旧兵士たちに、新しい生活への段取りをつけてやるには、まだまだ対応が足りない。だから、是非日本からの支援が欲しい、と国防相は言う。
「政府軍に支援してくれというのではない。北部の人たちへの支援が欲しいのだ。お金が欲しいと言っているのではない。北部の旧兵士たちに、新しい生活を与えてほしいのだ。社会復帰のための事業、就職口が見つかるような事業、技術研修、そういうプロジェクトを、日本の力でどんどん展開してほしい。」
南北分裂の間、北部に「戦争経済」が出来上がってしまった。必ずしも戦争で儲ける人たちということではなく、戦争があればこそ生活できる人たちの問題である、と国防相は言う。北部の兵士たちは、今もって武器を振りかざして、検問で手数料を徴収する。南北分裂の間、北部勢力は、その支配の経費や行政の財源に充てるために、そうした手数料徴収を行った。これを一度に廃止すると、そうした兵士や行政官たちは、生存不能になってしまう。
「だから、平和になったら自分は一体どうなるのか、という問いに、きちんと答えを見出してやらなければならない。その答えが無ければ、誰もが戦争にしがみつく。戦争で稼ぐ、という発想を、人々の頭から消去する必要がある。」
だからこそ、兵士の社会復帰のために国際協力を得ることが、大変重要なのだ、と国防相は力説する。
日本大使に会って、この話をしないわけにはいかない、としてアマニ・ヌゲサン国防相は別れ際に私に言う。
「2002年の南北分裂の危機が発生したとき、自分は国民教育相だった。北部の反政府軍の占領地域から、多くの教師や児童たちが、南部に逃げてきた。児童たちの教育機会は奪われ、南部の多くの学校が混乱に陥った。この事態は、国民教育相としての自分にとって、大変な試練となった。その時に、支援をしてくれたのが、日本だった。給食支援、疎開児童の通学支援、その他の支援をしてくれた。日本の支援のお陰で、南部の教育の崩壊が回避できた。学校の継続により治安が維持され、南部の政府側は、存続の危機を耐え抜くことができたのだ。」
国防相は続ける。
「この時の日本の恩を忘れることは、罪だと思っている。」
また思わぬところで、日本の支援が、感謝の実を結んでいた。
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