「PL学園の生徒数…わずか39人に」高校野球“消えた名門”PL学園の今…聞こえた校歌のメロディ、封鎖されたPL花火大会の臨時改札「なぜ衰退したのか?」
この夏、PL学園を訪れると…
「神道系の新宗教であるPL教団」と「幼稚園からの一貫校であるPL学園」、そして「KKコンビをはじめ数多のプロ野球選手を輩出した硬式野球部」は密接にして強固に結びついていた。だが、平成の時代に入って三者の関係にひずみが生まれ、瓦解が始まってゆく。 PL学園野球部とその母体であるPL教団が抱える問題を2014年から追及してきた私は、この11年の間に富田林をいったい何度訪れただろうか。2016年に入ると毎週のように通っていたし、同年7月に硬式野球部が活動を休止――いや、事実上の廃部となって以降も、花火大会や正月の時期、入試のタイミングなど年に3、4回は足を運んできたため、その回数は50回以上になるだろう。 今年も梅雨が明けたばかりの7月上旬に訪れた。学園の生徒たちが登校する朝の時間帯を見計らって、喜志駅から急勾配の坂を登っていく通学路を歩いた。しかし、見かけるのはPL学園の向かいに位置する喜志中学の生徒ばかり。もちろんPL学園の生徒の多くは、敷地内の寮で暮らしているため通学生はもともと少ないはずだが、それでも間もなく1限目の授業が始まるというのに人の気配がまるでない。
校歌のメロディが聞こえてきた
時計の針が8時を指した時、学園の校舎からは校歌のインストゥルメンタルが流れ始めた。自然とあの歌詞を口ずさんでしまう。PLの校歌ほど愛された校歌はなく、自分が卒業した高校の校歌は忘れても、今もってPLの校歌を覚えている高校野球ファンは多いはずだ。 ♪燃ゆる希望に いのち生き 高き理想を 胸に抱く ♪若人のゆめ 羽曳野の 聖丘清く 育みて ♪PL学園 永久に 向上の道 進むなり ♪ああ PL PL 永遠の学園 永遠の学園 作詞・湯浅竜起 作曲・東信太郎 かつてPL学園の野球部には、野球にいのちを賭すほど希望に燃えた15歳が全国より集まり、羽曳野の丘陵地帯で汗を流して気高き理想郷である甲子園を目指した。永久(とこしえ)に続くと思われたPL野球部の黄金期もいつしか終焉を迎え、2000年代に入ってからは相次いで暴力事件が発覚し、衰退していく。
【関連記事】
- 【つづきを読む】「先輩がパイプ椅子で後輩を殴打」PL学園野球部で暴力事件、出場停止も…甲子園優勝7回の最強野球部で何が? 名門の崩壊がはじまった日
- 【つづきを読む】PL学園の暴力事件…原因は本当に野球部だけにあったのか? “事実上の廃部”から9年…街はひっそり「ほんまにがっかり」PL花火も消えた夏
- 【つづきを読む】「PL野球部の復活はないでしょう」信者数激減、財政難、イノシシ出没…PL学園“あの伝説のスカウト”が明かした名門の今「悔しいけれども…」
- 【実際の現地写真】「えっ…PL花火用の臨時改札が封鎖されている…」「PL学園の校歌が聞こえた“校舎の沿道”」現地を歩くと…「清原・桑田も当時いたグラウンドや寮の様子は?」現地写真30枚超を一気に見る
- 【NEW】大阪桐蔭はなぜ「またも」負けたのか!? 現地で見えた新スタイルの“迫力不足”…リードしても「まだいける、桐蔭倒せるやんと相手に思われて…」