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ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

<竹内宿禰>の名に思いを込めた?亡命百済人たち

2023-04-27 07:35:35 | 日本文化・文学・歴史

日本の古代史上たしかに実在していただろうとされる人物は葛城襲津彦ですが、その親と伝えられている
<竹(武・建)内宿禰>は架空の人物と考えられています。しかし、その後裔氏族とされる蘇我氏や平群氏・紀氏・
葛城氏などが大和時代から飛鳥時代にかけて政治の中枢で活躍しているのです。この矛盾をどう考えたら良いので
しょうか?記紀の編者たちにとって架空の竹内宿禰を挿入するべき理由があったとしたら、その理由はなにか?
今回のテーマです。

武内宿禰の呼称は<タケシウチノスクネ>。表記される場合には<タケ>が<武・竹・建>と記されますが、今回
の謎解きには<竹>が重要なので<竹内宿禰>と表記します。
 竹内宿禰は古事記では成務朝から仁徳朝まで、日本書紀では景行朝から仁徳朝までその活躍が伝えられており、
書紀の年紀では三百歳の長寿を保ったとされます。現実には有り得ない記述であり暗号的な部分であろうと思いま
した。ヒントは<長寿>。今でも長寿といえば<百歳>のイメージがあり、これがキーワードで<百済>を導き出す
ための仕掛けであろうと感じました。

 長寿→百歳(ひゃくさい)→百済(ひゃくさい)→日本語の呼称は「くだら」

百済を「くだら」と読む明確な答えは分からないが、私の推量では<管羅・くだら>。
管を<解字>すれば<竹+官>。竹は<竹内宿禰>に象徴されるもの。官は<国家を支えていくための諸機関。>
と推量しました。
現在このような仕掛けは言葉遊びとして軽んじられていますが、漢字の成り立ちには言葉を書き表す文字として
その意味のイメージを図形化して視覚記号としてとらえる手法があり我が国で作られた<国字>があります。
 榊(さかき)峠(とうげ)畠(はたけ)働(はたらく)
 笹(ささ) など
解字をすれば大方はうまくできていると思いますが<笹>だけは「竹の中で小形の竹の総称」を指す言葉
なのに<竹+世>ではイメージが湧きません。<竹の世>と解せばどうかと竹の熟語をさがしてみると
 「竹園」「竹の苑」「竹の園生」は<皇族の雅称>として用いられていました。
「竹+世」の<笹>も皇室に関連し、和風諡号が<大サザキ>である仁徳天皇ひいては竹内宿禰の子孫が皇族
であった時代を<竹の世>そして<ささき・笹木>としたのではないかと思いました。

皇族といえば『記』の孝元天皇条によると、天皇の皇子・比古布津押之信命が宇豆比古(木国造の祖)の妹
山下影日売を娶り、竹内宿禰が生まれたと記している。そして彼の後裔氏族として波多八代宿禰・許勢小柄宿禰
・蘇我石河宿禰・平群都久宿禰・木角宿祢・怒能伊呂比売・久米能摩伊刀比売・葛城長江曾都毘古・若子宿禰の
名が記されています。
たしかにこの九氏族の中で葛城襲津彦の娘・磐之比売が仁徳天皇の后となり履中・反正・安康らの天皇を輩出し
蘇我氏も娘たちを入内させ用明・推古・崇峻天皇らを担ぎ絶大な権力をふるっていました。
また、特に注目すべき点は井上秀雄著『古代朝鮮』(講談社学術文庫)によると
 『紀』の朝鮮出兵伝説にはいろいろ不審な点がある。これら派遣将軍は、上毛野君を除くとすべて建内宿禰の
 子になる。この建内宿禰は六代241年以上も歴代天皇に仕えたといわれる典型的な伝説上の人物である。
 この建内宿禰伝承は大化改新後、律令体制への転換期に有力氏族によって造作された政治的な伝承と考えられ
 ている。この建内宿禰伝承をつくりあげた有力な六氏族がそろって神功紀後半から仁徳紀にかけての朝鮮への
 派遣将軍となり、朝鮮支配に大きな功績を残したとしている。これはたんなる偶然の一致とは考えられないで
 あろう。
この指摘は葛城襲津彦が応神紀で突然登場し<夕月君を迎えに行った>記述を思い出しました。
この葛城襲津彦の娘の磐之比売は仁徳天皇の皇后となり、履中、反正、安康天皇らを輩出し皇族以外の女性から
皇后になったさきがけとなりました。しかしながら皇位をめぐる争いは兄弟間でもおこり雄略天皇によって宗家
は滅ぼされてしまいました。
また、蘇我氏の場合は、石川宿禰の子が満智、満智の子は韓子、その子は高麗。この高麗とは高句麗のことで、
韓子は韓国の娘と日本人との間にうまれた子の意味で、共に朝鮮半島由来の名であり、しかも満智も『日本書紀』
応神天皇25年条にある<木満致>のこととみなす説があり、満致は百濟出身の貴族で、直支(とき)王没後に幼
主・久爾辛王にかわって実権を握り、国母・八須夫人と通じた。このため日本に「召喚」されたという説があり、
百済出自の可能性さえありそうです。
竹内宿禰の後裔氏族とされる葛城氏らは百済からの渡来人を祖としていたものの、百済の成立には倭人が王になっ
たという伝承があり、当ブログでは2010年11月14日に「謎解き詠花鳥和歌 女郎花と鵲-33」で第4代<脱解王>
について記しています。竹内宿禰の<竹>と<脱解>が<だけ>とも読め音通していると今回気がつきました。
重要な事なので、10年以上も前のブログを転載します。

謎解き詠花鳥和歌 女郎花と鵲ー33

2010-11-14 07:08:39 | 日本文化・文学・歴史


 『万葉集』巻八に載る山上憶良詠<秋の七草>歌は日本の成立に係わった7つの民族名を伝えようとして残された暗号歌であると私は唱えているが、この憶良の想いのつまった暗号を後の世に伝えようと密かに行動をおこしたのは、大伴家持である。そしてこの伝えは心ある歌人たちによって確実に伝承され、約200年後『古今和歌集』が編まれたがその歌の正しい解釈のためになされた「古今伝授」という秘伝の中に<三木三鳥>という新たな暗号が仕組まれた。

 古今伝授は秘伝とされたため紀貫之・藤原俊成・定家らを経て代々二条家に伝わり15世紀後半に東常縁から飯尾宗祇に伝授されるまで世に知られる事もなかった。古今伝授を三条実枝から預かっていた細川幽斎は武将でもあり、関ヶ原の合戦のあった1600年石田三成の軍勢に囲まれあやうく死を覚悟する状況となった時に、それを知った後陽成天皇は勅使を派遣して和議を講じさせた。天皇は「幽斎が討ち死にすると、古今伝授を伝える者がいなくなるので、本朝の神道奥儀、和歌の秘密が永く絶え、神国の掟も空しくなる。」と言い、憂えたと伝えられている。
掟とは政府または役所からそうするように定められたきまりの事なので、日本の成立あるいは正史である『日本書紀』を編纂する時に七種の存在を伏せることにしたが、しかし暗号として残すことに暗黙の了解があったともうけとれる。

 また和歌以外にも「伏見稲荷神符」の絵解きという形や、平安時代には源順や源為憲らによって字母歌の中に仕掛けられた暗号の存在が指摘されている。さらに『新古今和歌集』が編まれた1200年代には藤原定家が「詠花鳥和歌各12ヶ月」と題する花と鳥をそれぞれ詠み込んだ月並みの歌を残しているが、この花の中には秋の七草が含まれており、花と鳥をセットにすることによって、暗号を解くヒントになっているのではと私は考えた。
そして「謎解き詠花鳥和歌」をスタートさせたのだった。秋の七草の<女郎花>は<百済>と解いており、<女郎花と鵲>の組み合わせも<百済>を指していると予測できたが、誰にも納得できるような理由づけは難しくずいぶん遠回りしてしまった。

 まず私は鵲と昔脱解とをつなげ、さらに蘇我氏らの祖という武内宿禰とがつながれば<百済>とつながると考えた。

昔脱解は倭の東北1千里の多婆那国に生まれたが、海路駕洛国に上陸を試みるが果たせず、鶏林の東の阿珍浦に着く。渡航の目的は王になることとしており駕洛の初代の王・金首露と戦うが果たすことは出来なかった。しかし『三国史記』によると上代の新羅の王位継承者の第四代は昔脱解としており、その後朴氏(初代~3代も)の王が4代つづき、9代から12代は昔氏、13代は金氏(17代以降金氏)、14代から16代がまた昔氏が王であった。
このような王位継承の例は世界に類例がなく作為されたか、この三姓の王朝が併存していたのではとも考えられている。
古代の朝鮮半島の歴史は複雑で不明な点も多く、昔脱解は新羅王とされるが『北史』列伝、新羅条に「その王はもと百済人にて海より逃げて新羅に入り、遂にその国に王となる」との記述もあるので、鵲→昔脱解→武内宿禰→蘇我氏→百済とつながる可能性を述べていきたい。

*鵲と昔脱解
  『三国史記』新羅本紀に
「或はいわく、この児は姓を知らず。初め箱の来たる時、一の鵲ありて飛び鳴きて之 に随う。宜しく鵲の字を省きて    以て昔を氏となすべし。また箱に納めしを解きて出ず。宜しく脱解と名づくべし。」と記されており、鵲は昔脱解の命名の基である。

*昔脱解と武内宿禰

 昔 脱解の呼称は
  ソク ダヘ(鳥越憲三郎)、せき だっかい(朴炳植)せき氏(岡田英弘、井上秀雄)
  だっかい(平林章仁)など様々な本に様々なルビがふられている。つまり正確な称は不明である。

  漢字の日本語読みでは
   昔 セキ シャク
   脱 ダツ タツ エツ タイ 
   解 カイ ゲ

「せき だっかい」は一般的な日本語の音読みだが、名前の部分は「だっげ」とも読める。「令の義解(ぎげ)」とか「領解(りょうげ)違い」などの例がある。

「だっげ」が口承で伝わる場合には「だげ」「だけ」に変化していく可能性はあろう。
 さらに旧仮名づかいの表記では濁点をふらないために「たけ」と表記する。

「たけ」の漢字表記は「丈、竹、長、茸」など

 武内宿禰は「たけしうちのすくね」と呼称しており、「建内宿禰」「竹内宿禰」とも記
 される。「武」は「たけし」。「建」は「たてる」。

 武内宿禰に昔脱解の名前を投影させたとしたら
  竹(脱解)し内(家)の宿禰。
  <昔脱解  の 家系 の 宿禰>の意味で名づけられたのではないか?
武内宿禰は個人の名前ではなく蘇我氏他の系統を示す象徴的人物として作られた名前だから200年も朝廷に仕えることが出来たと思われる。

古来、日本では「伽耶(駕洛)」の国を「金官伽耶」というが、初代王の「金首露」から
「金(氏)の官」と呼び「金官伽耶」あるいは「金官加羅」。

また「百済」は本来「ペクジェ、ハクサイ」と呼ぶべきを「くだら」と呼び慣わしている。
何故「くだら」か?思うに「脱解」を「竹」と譬え、「竹の官」で「管」。つまり「管羅
(くだら)」と呼ぶようになったのではないだろうか。

「新羅」は本来は「シンラ」「シルラ」と言うべきところを「しらぎ」と呼んでいる。
新羅の初代の王は朴氏。朴は「ボク、ハク、ほお」で、朴の木は早春に白い大きな花を咲かせる木。「ハク」は「白」に通じるので
 朴(白)木→シラキ→シラギ→新羅と変化したとも思われる。

「秋の七草」の藤袴では
 藤袴→蘭(あららぎ)→阿羅木(あららぎ)→新羅城(あららぎ)と解いている。(参  照)

現代の私たちが慣用句として用いている呼称の中に、古代の人々が機知を働かせ、造語し、後世に暗号として伝えようとしたと思われ、その作為のひとつに武(竹)内宿禰があり、金官加夜があり、百済(くだら)があったのであろう。完

 2011年と2023年のブログをドッキングさせて、今回の謎解きが完了しました。
古代人の仕掛けは壮大で、正しい歴史を伝えたいという思いの深さに感動しました。  草野 俊子


 

 

 

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