著者:編集部
取材を受けた人:平野雨龍さん
今回は香港のアクティビストである日本人に、なぜ香港のアクティビストになったのか?という疑問から生い立ちについてインタビューしてみた。
※この記事は政治的内容をテーマとしているものではありません。一人の人間の人生をテーマにした記事です。
香港人に共感、母国(日本)への愛国心が
平野雨龍さんは千葉県出身の「香港の民主化」を目標としているアクティビストだ。平野さんは母国、日本への愛国心が強い女性で香港という地域を守りたい香港人の意識に共鳴し2019年から何度も足を運び香港でのデモ活動に参加している。2024年6月に香港に行ったときは香港の空港で空港職員によって入境拒否となった。
平野さんの原点は「修学旅行で行った広島の原爆ドーム」
平野さんは千葉県出身で三人兄弟の長女として生まれた。千葉で高校を卒業するまで育った。幼い頃から両親によって虐待を受けて育ったという。高校では平和教育の授業などがあり戦争や平和などにも関心を持つようになっていった。高校最後の3年生のときの修学旅行では広島の原爆ドームに行き戦争の悲惨さを心で感じたという。この原爆ドームの見学が平野さんのその後の人生の原点とも言えるターニングポイントだ。
舞台役者、「神風特攻隊」の舞台に出演。大学入学、そして中退
高校最後の修学旅行で広島の原爆ドームを訪れた平野さんはそこでいろいろなことを感じたという。その時の見学をきっかけに戦争や平和への関心が膨らみ舞台役者を目指していた平野さんは「神風特攻隊」という戦争をテーマとした舞台へ出演していた。虐待を受けて育った平野さんは、行きたくなかった大学に無理やり行かされた。平野さんは大学に入学し夢であった舞台役者になるために舞台の稽古に集中していた。入学して間もなく何度か大学には行ったが辞めたという。
2019年、香港逃亡犯条例反対、200万人デモ。
2019年、香港では逃亡犯条例に反対するデモが200万人規模で行われていた記憶はまだ新しいだろう。あの頃、連日、テレビや新聞では一面を「逃亡犯条例、反対デモ」のニュースでいっぱいだった。当時25歳だった平野さんは香港に行きデモに参加したという。香港警察が撃った催涙弾は目が開けられなくなるくらい痛かったという。催涙弾やゴム弾がいつ飛んでくるかわからない危険がある中、平野さん何度も香港に足を運びデモに参加していた。
平野さんは、日本人の両親から生まれ、日本で育ち、日本で生活しているニッポン人。
なんで、ニッポン人の平野さんが香港のデモに参加しているのか疑問に思う人も少なくないと思う。
平野さんは「日本を愛する愛国心が香港という地域を守りたい香港人の意識に共鳴した。」と語っている。
さらに平野さんは次のように語っている
「私は民主主義に対しての強い意識は無いです。ナショナリストなので、土地に対する思いの方が強いです。だからこそ、土地を守ろうとする香港独立派に共鳴したのです。」
母国、日本を愛する愛国心が香港人が香港を愛する愛好心に共感したという。そのため、何度も香港に足を運びデモに参加していた。しかし、2024年6月に香港に入境することはできなかった。
今年6月、香港入境拒否
2024年6月に再び香港を訪れた平野さんは香港の空港で空港職員によって呼び止められ入境拒否となり強制送還となった。香港でのデモ活動を通して10万人以上のSNSのフォロワーや香港での記者会見なども行っていた影響で香港では目立っていたのかもしれない。
帰国後、香港が好きな平野さんは現在は新たな目標に向かっている
平野さんの活動のリンク
2019年の記者会見配信
https://youtu.be/-1k5jzQZ6kQ?si=Ehfl8IzcFJcevoOI
選挙ドットコム
https://go2senkyo.com/seijika/193460
中国製不買運動の様子
https://youtu.be/B_db3QHQNeA?si=5yP7pSePj7aNuCwK