昭和12(1937)年7月、通州(現北京市通州区)で、支那人の保安隊と学生による日本人居留民大虐殺があった。事件の翌日、居留区に入った日本軍は二百数十名の遺体を前に絶句した。切断された四肢や頭部、抉(えぐ)り取られた局部や目、剥がされた頭皮、割かれた妊婦の腹、鼻に針金を通され、手指を全て切断された子供…。およそ人倫に外れた、凄惨(せいさん)な暴虐の限りを尽くした痕跡の数々-。
日本では戦後、通州事件は長い間隠蔽(いんぺい)され、忘れ去られた出来事となってきた。その「惨殺」がどのように行われたのか、詳細な事実はほとんど知らされなかった。犠牲者は亡くなっているし、脱出者は凶行の現場を見ていないからである。ところが、支那人の男性と結婚し、支那人を装って通州に暮らしていた1人の日本人女性が、群衆に紛れて、蛮行の一部始終を見ていたのである。
群衆が見守る中、悪鬼の所業をなしたのは兵隊と学生であった。彼らは変質者ではなかった。学生の青竜刀で斬られた老婆(ろうば)は彼女に「かたきをとって なんまんだぶ」と、念仏をとなえて息をひきとった。老婆のいまわの念仏が心から離れなかった女性は、支那人と離婚して帰国後、ある住職と出会い、50年間黙してきた体験をつぶさに語り出した…。