既成政党への不満が如実にあらわれた。それが1936(昭和11)年の帝国議会・衆議院総選挙だった。社会主義を掲げる無産政党から次々に当選者が出て、その数は前回の5人から22人に増えた。朝日新聞には、時代を画するという意味で「画時代!無産党進出」の見出しが躍った。
顕著だったのが当時の東京5区(定数5)で、政友会、民政党の2大政党を押しのけ、無産派の候補が1、2位を占めた。目黒や世田谷などを含む5区は住民が急増した住宅地で、地縁血縁が薄かった。そのぶん浮動票が多く、選挙の「風」が強く吹いた。
「彼らは既成政党とは違う。そんな期待感が、とくに都市部で形成されていた」。そう語るのは日本近現代史が専門の源川(みながわ)真希(まさき)・東京都立大学教授だ。
人々が既成政党に冷ややかになるのには理由があった。政争に明け暮れる姿を見せつけられ、5・15事件以降は、軍部への及び腰が目立った。それは軍事費の増大を招き、インフレをもたらした。
東京5区でトップ当選した加藤勘十(かんじゅう)はこう訴えた。政友会も民政党も軍人に屈従している。勤労大衆は軍需インフレに苦しんでいるのに所得税増税が計画される。「果たしてそれらの人に負担の能力があるでありましょうか」。演説の速記録からは聴衆の熱気まで伝わってきそうだ。
既成政党そして軍部への反発。それが無産派候補に支持が集まった理由といわれる。ただ、東京5区の2位で当選した麻生久の演説は少しニュアンスが違っていた。「国民生活の安定が基礎になっていなければ真の国防はできぬ」。暮らしの問題と国防をからめて語っていた。
麻生は最大の無産政党である社会大衆党の書記長だったが、じょじょに軍部の政策に親近感を持つようになっていた。当時の陸軍には、国防のために国民生活の安定や格差是正、農村の救済が必要だという主張があった。それは社会主義の考え方に近いという立場を麻生は取っていた。
「当時の有権者も自分たちの生活と重ねあわせながら、投票先を選んでいたのだろう。景気はよくなってほしいし、物価が上がるのは困る。しかし候補者の主張が将来何をもたらすのかを見抜くのは、簡単なことではなかった」と源川教授は言う。
1年後に行われた衆院選でも無産派候補の人気は衰えなかった。しかし日中戦争が起きると、社会大衆党はこれを公然と支持する。挙国一致体制をつくるとして、率先して党を解散し、大政翼賛会に流れ込んだ。結局は軍国主義の伴走者になった。裏切られたと有権者が気付いたときにはもう遅かったのかもしれない。
無党派層の厚さを考えるなら、いまは日本中がかつての東京5区に近いと言えるだろう。今回の参院選でも比較的新しい政党が議席を伸ばした。国から税金を取り戻すと訴える党。日本人、日本人と連呼する党。当選した政治家たちが、これからどう振る舞うか。その振る舞いに危険はないか。目を凝らすのも一票を投じた者の責務であろう。
太平洋戦争のさなか、42年にあった「翼賛選挙」で、東京5区の有権者は元軍人を全国最多得票でトップ当選させた。世界大戦は共産主義者とユダヤ組織が仕組んだものだと主張する人だった。陰謀論にも人々が違和感を持たない、そんな時代になっていたのか。
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