さて、大使公邸の強盗襲撃事件についてニュースを聞いたら、誰もがコートジボワールはまだまだ治安が大変ですね、過去に紛争があった国に住むというのは、危険で心配なこともあるものですね、というだろう。もちろん、強盗団が徒党をなして、しかも武器を持って、一国の大使の邸宅を襲う、そして警察との間で銃撃戦が交わされた。まるでアクション映画さながらの出来事であり、こんなことがこのアビジャンで現実に起きたとは、驚きである。
その「驚く」ところから、疑いがはじまる。いくつか不審な点がある。まず、物盗りが目的だったとして、警備が普通の家よりはるかに厳重な、大使公邸を狙うだろうか。大使という職業の人間が、自宅に大金を置いているということはまずなかろう。何か金目のものが欲しいのであれば、もっと静かに、もっと確実に、奪い取るための標的、行き先があるだろう。少なくとも私が強盗団の首領であれば、大使公邸は狙わない。
さらに、大使公邸というのは普通、回りを厳重に壁で囲い、壁には有刺鉄線を張って、十分な防護をとっている。つまり外から簡単に侵入されないように出来ている。それは反対に言えば、一旦敷地内に入ると簡単には外に逃げられないはずだ。今回の事案では、公邸の敷地に入りながら、警察の部隊が到着するや、すぐに逃げている。袋の鼠にならなかったということは、門から中にそれほど深くは入り込んでいなかったということだろう。賊ははじめから、邸宅内部に入ることを目的としていなかったのではないか。
次に、銃撃戦。このアクション映画まがいの派手さが怪しい。そもそも真夜中で真っ暗な時刻に、逃げるためだけに、銃を発砲する意味があるだろうか。そして住宅街の街路くらいしか余地がない公邸の周辺で、本気で警察部隊と交戦したならば、おそらく双方に相当の死傷者が出た可能性が高い。しかし、警察部隊の側はもちろん、強盗団の側にも、誰も撃たれたという様子はない。何のための銃撃戦だったか、銃声を聞かせるための銃撃戦だったのではないか、と疑わせてしまう。
そして最後に、これだけの出来事が起こったということは疑いもない事実なのに、なぜ次の日に報道されなかったのだろう。次の日どころか、どの新聞も、今もって取り上げようとしない。そして、数日たってから、どうして1紙だけが思い出したように報道したのだろうか。その記事も、大変なことが起こったというような書き方ではなく、治安の悪化を嘆くという、簡単なものである。
さて、もちろん、このアビジャンには、未だに紛争の残党がいて、彼らによる強盗が頻発している。そして銃器が未だに野放図になっていて、銃撃というような事件もありうる、というのは確かな事実だ。だから、私は決して、そうした犯罪者たちや危険に対して、警戒を解くつもりはない。
しかしながら、私たちが今回の事件を耳にして、ああ、コートジボワールはとんでもなく治安の悪い、恐ろしいところだ、という印象だけを持つとすればどうだろう。それは、そういう印象を皆に持って欲しい、と望む人々の思惑に合致することになるかもしれない。そんな思惑を持っている人々が、この事件の背景にいて、ひょっとしたら糸を引いているかもしれない。例えば、紛争が激しかった時期に、政情不安定で利益を得てきた人たち。「コートジボワールは平和と安定の地になった」という安心が国際社会に広がらないほうがいい人たち。治安回復のための政府の努力がまったく成果をもたらしていない、と言いたい人たち。たしかにそういう人たちには、実に都合のいい事件である。
以上は、あくまでも一つの推論である。憶測で語ってはならない私の立場からは、これより先は書けない。ただ、外交官というのは、物事を一筋縄にだけ考えていてはいけないのだ、ということだけ、記しておこう。アフリカにはアフリカの、社会の文法がある。そして、ここからの推理は、読者にお任せすることとしよう。
その「驚く」ところから、疑いがはじまる。いくつか不審な点がある。まず、物盗りが目的だったとして、警備が普通の家よりはるかに厳重な、大使公邸を狙うだろうか。大使という職業の人間が、自宅に大金を置いているということはまずなかろう。何か金目のものが欲しいのであれば、もっと静かに、もっと確実に、奪い取るための標的、行き先があるだろう。少なくとも私が強盗団の首領であれば、大使公邸は狙わない。
さらに、大使公邸というのは普通、回りを厳重に壁で囲い、壁には有刺鉄線を張って、十分な防護をとっている。つまり外から簡単に侵入されないように出来ている。それは反対に言えば、一旦敷地内に入ると簡単には外に逃げられないはずだ。今回の事案では、公邸の敷地に入りながら、警察の部隊が到着するや、すぐに逃げている。袋の鼠にならなかったということは、門から中にそれほど深くは入り込んでいなかったということだろう。賊ははじめから、邸宅内部に入ることを目的としていなかったのではないか。
次に、銃撃戦。このアクション映画まがいの派手さが怪しい。そもそも真夜中で真っ暗な時刻に、逃げるためだけに、銃を発砲する意味があるだろうか。そして住宅街の街路くらいしか余地がない公邸の周辺で、本気で警察部隊と交戦したならば、おそらく双方に相当の死傷者が出た可能性が高い。しかし、警察部隊の側はもちろん、強盗団の側にも、誰も撃たれたという様子はない。何のための銃撃戦だったか、銃声を聞かせるための銃撃戦だったのではないか、と疑わせてしまう。
そして最後に、これだけの出来事が起こったということは疑いもない事実なのに、なぜ次の日に報道されなかったのだろう。次の日どころか、どの新聞も、今もって取り上げようとしない。そして、数日たってから、どうして1紙だけが思い出したように報道したのだろうか。その記事も、大変なことが起こったというような書き方ではなく、治安の悪化を嘆くという、簡単なものである。
さて、もちろん、このアビジャンには、未だに紛争の残党がいて、彼らによる強盗が頻発している。そして銃器が未だに野放図になっていて、銃撃というような事件もありうる、というのは確かな事実だ。だから、私は決して、そうした犯罪者たちや危険に対して、警戒を解くつもりはない。
しかしながら、私たちが今回の事件を耳にして、ああ、コートジボワールはとんでもなく治安の悪い、恐ろしいところだ、という印象だけを持つとすればどうだろう。それは、そういう印象を皆に持って欲しい、と望む人々の思惑に合致することになるかもしれない。そんな思惑を持っている人々が、この事件の背景にいて、ひょっとしたら糸を引いているかもしれない。例えば、紛争が激しかった時期に、政情不安定で利益を得てきた人たち。「コートジボワールは平和と安定の地になった」という安心が国際社会に広がらないほうがいい人たち。治安回復のための政府の努力がまったく成果をもたらしていない、と言いたい人たち。たしかにそういう人たちには、実に都合のいい事件である。
以上は、あくまでも一つの推論である。憶測で語ってはならない私の立場からは、これより先は書けない。ただ、外交官というのは、物事を一筋縄にだけ考えていてはいけないのだ、ということだけ、記しておこう。アフリカにはアフリカの、社会の文法がある。そして、ここからの推理は、読者にお任せすることとしよう。
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