なぜか、忙しい日程表の中に、その男への表敬が入っている。午後も遅くなって時間も無くなりつつあるし、もう一ヶ所ほど畑に立ち寄りたかった私は、先を急ごう、と言ったのだが、アワさんは、先方は大使には是非お寄り頂きたいと言っている、10分でいいから挨拶しておいてくれ、という。だから、わざわざ役場に立ち寄った。その男とは、市長である。
町の交差点の角に、二階建ての役場が建っている。敷地内に車を駐めると、がらんとした待合に通される。机に所在なげに座っている女性が、市長は、朝から頭痛で役場に来ていない、という。それなら都合がいい、名刺だけ置いて失礼しよう、と思ったが、すぐに役場にやって来るのでとにかく待ってくれと言う。呼んでおいて不在とは噴飯物だが、こちらはいずれにせよ客人だから、勝手を言うことは出来ない。アワさんも部屋を出ようとしない。すすめられた椅子に座る。
しばらくすると、何人か連れて、市長がやってきた。軍の将校のような制服を着ている。私は市長に挨拶をし、握手を交わす。市長の執務室に入り、着席をしたあと、私から自己紹介して、この地域の農村の様子を視察に来たと述べる。市長は、歓迎の演説をはじめる。コートジボワールの人々は、日本の人々が大好きだ、コートジボワールには政治的な混乱の時期があったが、今は大統領選挙にむけて国民全てが取り組んでおり、平和は回復しつつある、両国間の協力と友好が、貴大使の指導のもとで、進展することを期待する。どこでも聞く、可もなく不可もない内容。私も、可もなく不可もない応答をして、表敬を終えようとした。
市長が、立ち上がろうとする私を制して言い出す。
「両国間の友好増進といえば、人的交流が重要である。私は、招待頂ければ、日本を視察する用意がある。」
こっちには全然その用意はないのだが、というのも剣呑なので、ジョークとして聞いたというふうに、笑って受け流し、退席した。車まで来て、市長は、何か忘れてないかというような顔をしているのだが、構わない、握手してさっさと乗り込んで、私たちは出発した。
車は、町外れの墓場のところまで来て止まったまま、動かない。私は、アワさんに、何故先に行かないか、と聞く。アワさんは、先ほどの会談でも一言も話さなかったし、何やら携帯電話で話しながら、今も浮かない顔をしている。アワさんによると、先ほどの市長は、日本国大使のご来訪なのだから、大使にはきちんと警護を付けなければならない、と言っているという。警護がなければ、町を出て行ってはいけない。そのため、地元警察とのアレンジを整えているところで、警察の車が来るまで待たなければならないのだ、という。市長の余計な親切だ。こちらは、「デオ・グラシアス」のスタッフたちと一緒に一日中、山野を自由に走り回っていた。何を今さら警護なんだ、と戸惑うが、私は客人である、大人しくしていよう。
その警察の車とやらは、なかなか来ない。ずっと墓場の前で待たされる。こんなところで、一台でじっとしているほうが、よほど何か起こりそうで不安である。すでに日は傾きつつあり、もう一ヶ所の畑を訪れる予定が危くなる。それよりも、このまま日没になったら、夜道を走ることになり、それこそ警備上心配なのに、と気が気ではない。半時間ちかく待たされて、結局警察の車は来なかった。どういうやりとりになったのか、市長や警察と話がついたのか、私は深くは詮索しないまま、目的地の村に向かった。村に着く頃には日は暮れはじめ、その日のうちに稲田を視察することは、出来なくなった。
この不思議な一件については、その夜に謎が解けた。
町の交差点の角に、二階建ての役場が建っている。敷地内に車を駐めると、がらんとした待合に通される。机に所在なげに座っている女性が、市長は、朝から頭痛で役場に来ていない、という。それなら都合がいい、名刺だけ置いて失礼しよう、と思ったが、すぐに役場にやって来るのでとにかく待ってくれと言う。呼んでおいて不在とは噴飯物だが、こちらはいずれにせよ客人だから、勝手を言うことは出来ない。アワさんも部屋を出ようとしない。すすめられた椅子に座る。
しばらくすると、何人か連れて、市長がやってきた。軍の将校のような制服を着ている。私は市長に挨拶をし、握手を交わす。市長の執務室に入り、着席をしたあと、私から自己紹介して、この地域の農村の様子を視察に来たと述べる。市長は、歓迎の演説をはじめる。コートジボワールの人々は、日本の人々が大好きだ、コートジボワールには政治的な混乱の時期があったが、今は大統領選挙にむけて国民全てが取り組んでおり、平和は回復しつつある、両国間の協力と友好が、貴大使の指導のもとで、進展することを期待する。どこでも聞く、可もなく不可もない内容。私も、可もなく不可もない応答をして、表敬を終えようとした。
市長が、立ち上がろうとする私を制して言い出す。
「両国間の友好増進といえば、人的交流が重要である。私は、招待頂ければ、日本を視察する用意がある。」
こっちには全然その用意はないのだが、というのも剣呑なので、ジョークとして聞いたというふうに、笑って受け流し、退席した。車まで来て、市長は、何か忘れてないかというような顔をしているのだが、構わない、握手してさっさと乗り込んで、私たちは出発した。
車は、町外れの墓場のところまで来て止まったまま、動かない。私は、アワさんに、何故先に行かないか、と聞く。アワさんは、先ほどの会談でも一言も話さなかったし、何やら携帯電話で話しながら、今も浮かない顔をしている。アワさんによると、先ほどの市長は、日本国大使のご来訪なのだから、大使にはきちんと警護を付けなければならない、と言っているという。警護がなければ、町を出て行ってはいけない。そのため、地元警察とのアレンジを整えているところで、警察の車が来るまで待たなければならないのだ、という。市長の余計な親切だ。こちらは、「デオ・グラシアス」のスタッフたちと一緒に一日中、山野を自由に走り回っていた。何を今さら警護なんだ、と戸惑うが、私は客人である、大人しくしていよう。
その警察の車とやらは、なかなか来ない。ずっと墓場の前で待たされる。こんなところで、一台でじっとしているほうが、よほど何か起こりそうで不安である。すでに日は傾きつつあり、もう一ヶ所の畑を訪れる予定が危くなる。それよりも、このまま日没になったら、夜道を走ることになり、それこそ警備上心配なのに、と気が気ではない。半時間ちかく待たされて、結局警察の車は来なかった。どういうやりとりになったのか、市長や警察と話がついたのか、私は深くは詮索しないまま、目的地の村に向かった。村に着く頃には日は暮れはじめ、その日のうちに稲田を視察することは、出来なくなった。
この不思議な一件については、その夜に謎が解けた。
次回が待ち遠しい!
現地の写真、特に公邸の写真が見たいです。
どんな所に住んでいるのか楽しみ。
フランス時代の家も見せて比較しましょう。