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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

民主主義の落とし穴

2008-11-04 | Weblog
人為的に引かれた国境。その国境により囲まれた国では、欧州諸国やわが国と同じ政治制度が、必ずしも同じようには機能しないということがあるかもしれない。選挙という制度についても、そこのところを注意する必要があるだろうか。

パレスチナ大使は、外交官としてパリに長く滞在し、ヨーロッパの人々が概念で考えていることが、中東やアフリカでは通用しない場合があることを痛感したという。
「ヨーロッパの人たちは、選挙が行われて、民主主義の手続きで大統領が選ばれさえすれば、当然のように平和と安定が訪れると考えている。それは、民主主義へのナイーブな信仰だ。国境が不自然に引かれたアフリカでは、欧米流の民主主義が、却って紛争を作り出すということさえある。」

民主主義が駄目だといいたいわけではない、とパレスチナ大使はいう。
「アフリカにはアフリカの民主主義が、昔から存在している。村落では、部族長の権威とは別に、村の長と長老たちが、村人たちの互選で選ばれている。彼らで構成される村の評議会は、村に関する重要な決定を行い、争いごとを裁いている。他の村との揉め事も、評議会どうしの交渉で解決する。アフリカのことはアフリカ人に任せておれば、それでも十分に民主的なのだ。」

なぜ欧米流の民主主義が、却って紛争を作り出すことになるのか。問題は選挙、つまり多数決という手法であるという。
「欧州諸国が来て、民主主義とはこういうものだと示したのが、一国全体の指導者を一国全体で選挙して選ぶ、というものだ。ところが、人為的に国境で区切って成立したアフリカの国にこれを当てはめると、厄介なことになる。つまり、その地域の中での部族の人口比率で、選挙結果は始めから明らかになる。多数部族が常に政権をとり、その部族の中で主要ポストを独占し、経済利益を優先的に得る。少数部族は常に憂き目だ。少数部族が多数部族に対抗するには、武力に訴えるしかない、と言うことになる。それでアフリカではクーデタや紛争が起こる。」
民主主義や選挙を行って、指導者を選んだからといって、必ずしも社会全体が納得する政権が出来るわけではない。選挙を終えても、安心できない事情がそこにある。

エチオピア大使は、かつて政治家として国内で活躍。エチオピアの隣国ソマリアの内戦に、調停者として関わった経験を持つ。その経験から、やはり選挙の弊害について話してくれた。
「エチオピアでもソマリアでも、伝統的には地元の政治は部族の合議制だった。ところが、選挙というのは誰か個人を選ぶものだ。ここに問題がある。」

ソマリア人は、非常に頭のいい人々であると、エチオピア大使は言う。民主主義の過程を通じて、自分に大きな権力と利益を導くことが出来ると分かるや、そこに個人的野心を抱えた、多くの政治家たちが現れる。彼らの間で、大変な権謀術策に出る。
「その権謀術策は、やがて武力闘争に発展し、内戦になっていく。例えば、国政選挙を通じて、一人の人間が指導者として選ばれたとしよう。その指導者が、権益を独占しようとするので、選に落ちた指導者たちは、あの手この手でこれに対抗する。また、選ばれた指導者は、その権益を自分の配下の連中に配る。そうすると、その配下の小さなボス連中が、これを取り合って、互いに紛争を始める始末だ。誰も人々の代表とは言えなかった。誰もが強欲を代表していた。これがソマリア問題だった。」

これまで、部族などの共同体が、富の再分配を司っていた。欧米流の政治は、それを個人の手に任せる。争いがあるとしても、村どうし、部族どうしであったところを、政治勢力のボスという個人どうしの争いにしてしまう。
指導者として一人の人間を選ぶ、そのために選挙こそが適切な手段であることは、私たちには何の疑いも無い。しかし同時に、選挙はその一人が全ての権力を握ることを正当化する。そこから、却って社会の不公正と、場合によっては内戦という非人道な帰結を生む。民主主義にも落とし穴があるということかもしれない。

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