アフリカ大陸にヨーロッパ列強が植民地を求めて入り込み、大地に勝手に線引きをして、今の国境が決まった。コートジボワールの国境もかなり人為的だから、今に至る多くの問題を引きずっている。有名無実の国境、人々の往来や移住を管理できないために、自国人と外国人の区別が曖昧にならざるを得ず、国家の一体性が問われる。
私は、セネガル大使に、セネガルではこのような問題をどう解決しているのですか、と尋ねた。
「ヨーロッパ諸国が、アフリカ大陸をチーズを切るように切り分けてしまった。確かに、セネガルもチーズの一切れだ。国境地帯に行くと、国境の東と西で、南と北で、どうして国が違わなければならないのか分からないところが、方々にある。人々は国境を越えて行き来している。」
それなら、コートジボワールと同じ、外国人問題が生じますよね。
「いや、そこは割り切っているので大丈夫。セネガルに住む人が、セネガル人である。血のつながりは求めない。ダカール(セネガルの首都)とバマコ(マリの首都)との間に、植民地時代からの鉄道がある。ダカールの東に、この鉄道に乗ってセネガルにきたマリ人たちの町がある。彼らは、人種はまぎれも無いマリの部族。でも、セネガルに住んでいるのだから、当然にセネガル人だ。彼らも、マリが自分の国だとは思っていない。なにしろ、もう百年からこのかたセネガルに住んでいるのだから。」
でも、セネガルにも部族はあるでしょう、部族意識を越えた、国としての一体感というのは難しいのではないですか。
「セネガルには、幸いにしてフランス語のほかにウォロフ語がある。それぞれの部族語とは別の、セネガルのどこに行っても通じる言葉だ。この言葉があるから、セネガルは私たちの国だ、と思える。この点は、コートジボワールはつらいのではないかな。国民共通の現地語が無いから。部族ごとにあまりに違う言葉なので、互いに意思疎通が出来ない。国の一体感を求めるための言葉が無い。」
コートジボワールには、共通語となるとフランス語しかなくて、国の一体性と独立を言葉で訴えようとすればするほど、旧宗主国のフランスを意識せざるを得ない、という自己矛盾があるわけですね。
「フランスは、セネガルにいい遺産を遺してくれている。当時、ダカールが仏領アフリカの首都であったため、フランス流に、ダカールを中心とした中央集権型統治が行われ、ダカールで育成されたセネガル人エリート、役人、技術者、教職者たちが、各地に派遣された。彼らは、派遣先に移住し定着した。このことで部族の垣根が低くなり、ダカールと地方との一体感が今に引き継がれている。」
フランス自身も、中央集権政治で国の一体性を作り上げたと言えますからね。セネガルにも同じ流儀で臨んだわけですね。
「西アフリカは、独立と国家建設の過程で、ばらばらの国になったけれど、フランスのお陰で得られた強みもある。それは、フランス語と、CFAフラン(注:旧仏領アフリカ共通の通貨)だ。国境は人為的に引かれたのかもしれないが、その壁は相当低い。国境が部族をまたいでいるというのは、国境という障壁が事実上存在しないということで、利点でもある。つまり、西アフリカ諸国の地域統合や、地域内での相互協力は、他地域と比べてもかなり容易だし、実際にも相当進みつつある。」
なるほど、欧州統合がやっと達成した共通通貨は、ここには既に存在している。欧州では未だに足かせになっている言語の問題も、ここにはないわけだ。国境の壁が低いことで、外国人問題に悩むコートジボワール。でも西アフリカでは、国境の壁が低いゆえに、地域統合と繁栄の可能性も大きいのだ、と考えることだってできる。
私は、セネガル大使に、セネガルではこのような問題をどう解決しているのですか、と尋ねた。
「ヨーロッパ諸国が、アフリカ大陸をチーズを切るように切り分けてしまった。確かに、セネガルもチーズの一切れだ。国境地帯に行くと、国境の東と西で、南と北で、どうして国が違わなければならないのか分からないところが、方々にある。人々は国境を越えて行き来している。」
それなら、コートジボワールと同じ、外国人問題が生じますよね。
「いや、そこは割り切っているので大丈夫。セネガルに住む人が、セネガル人である。血のつながりは求めない。ダカール(セネガルの首都)とバマコ(マリの首都)との間に、植民地時代からの鉄道がある。ダカールの東に、この鉄道に乗ってセネガルにきたマリ人たちの町がある。彼らは、人種はまぎれも無いマリの部族。でも、セネガルに住んでいるのだから、当然にセネガル人だ。彼らも、マリが自分の国だとは思っていない。なにしろ、もう百年からこのかたセネガルに住んでいるのだから。」
でも、セネガルにも部族はあるでしょう、部族意識を越えた、国としての一体感というのは難しいのではないですか。
「セネガルには、幸いにしてフランス語のほかにウォロフ語がある。それぞれの部族語とは別の、セネガルのどこに行っても通じる言葉だ。この言葉があるから、セネガルは私たちの国だ、と思える。この点は、コートジボワールはつらいのではないかな。国民共通の現地語が無いから。部族ごとにあまりに違う言葉なので、互いに意思疎通が出来ない。国の一体感を求めるための言葉が無い。」
コートジボワールには、共通語となるとフランス語しかなくて、国の一体性と独立を言葉で訴えようとすればするほど、旧宗主国のフランスを意識せざるを得ない、という自己矛盾があるわけですね。
「フランスは、セネガルにいい遺産を遺してくれている。当時、ダカールが仏領アフリカの首都であったため、フランス流に、ダカールを中心とした中央集権型統治が行われ、ダカールで育成されたセネガル人エリート、役人、技術者、教職者たちが、各地に派遣された。彼らは、派遣先に移住し定着した。このことで部族の垣根が低くなり、ダカールと地方との一体感が今に引き継がれている。」
フランス自身も、中央集権政治で国の一体性を作り上げたと言えますからね。セネガルにも同じ流儀で臨んだわけですね。
「西アフリカは、独立と国家建設の過程で、ばらばらの国になったけれど、フランスのお陰で得られた強みもある。それは、フランス語と、CFAフラン(注:旧仏領アフリカ共通の通貨)だ。国境は人為的に引かれたのかもしれないが、その壁は相当低い。国境が部族をまたいでいるというのは、国境という障壁が事実上存在しないということで、利点でもある。つまり、西アフリカ諸国の地域統合や、地域内での相互協力は、他地域と比べてもかなり容易だし、実際にも相当進みつつある。」
なるほど、欧州統合がやっと達成した共通通貨は、ここには既に存在している。欧州では未だに足かせになっている言語の問題も、ここにはないわけだ。国境の壁が低いことで、外国人問題に悩むコートジボワール。でも西アフリカでは、国境の壁が低いゆえに、地域統合と繁栄の可能性も大きいのだ、と考えることだってできる。
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