アショ君は、歳のころ30代。かつて工場労働者だったが、独立して商売を始めた。上水の配管工事や、下水の排水溝の整備など、水回りの工事を請け負う仕事である。最近、太陽電池の販売と設置工事も行うようになった。この田舎で太陽電池とは。アフリカのど真ん中で「環境に優しい」でもあるまい、と思ったら、どうも違うらしい。
コートジボワールでも、公共の電気供給はまだまだ不安定である。大型の発電機を、停電用に取り付けておけばいいのだが、ずいぶん高額な投資になる。太陽電池だと、比較的安価で、当座の電源のバックアップくらいは確保できる。電気そのものが来ていない辺鄙な村でも、この太陽電池があれば、ちょっとした電化が可能だ。日が暮れてからも、しばらく電灯の恩恵にあずかれる。少ない電力で動かせる電化製品、ラジオや携帯電話などは、太陽電池があれば十分だ。もっと重要なことは、電気のない村でも、コンピューターが使えるようになる。まさに、太陽電池がIT文明開化をもたらすのだ。
アビジャンから300キロ離れたこのベテ族の地域でも、太陽電池はだんだん浸透し始めているという。村を訪れたときに、私はアショ君から、彼のビジネスの話を聞いた。新しいもの、有用なものを見つけて、どんどん売り込む意気込みに、大変感銘を受ける。こういう青年が経済の活力の基礎となる。なんと頼もしいではないか。
ところが、アショ君が私に言うには、コートジボワールはやっぱりだめだ、日本にはとてもなれない、と悲憤慷慨である。彼の言い分を聞こう。
「コートジボワール人は、二言目には独立、独立と言う。政治的独立だけではだめで経済的独立もだ、新植民地主義からの脱却だ、と口では大変偉そうだ。ところが、実生活で何をやっているかというと、ただお金がやって来るのをまっているだけ。それでは、自立ということはとても覚束ない。お金は欲しいけれど、働くのは嫌だ。これがコートジボワール人の平均的な考えだ。
とにかくすぐに、結果をほしがる。自分が太陽電池などの販売話をもちかけても、それがどういう人々に売れるか、どんな売り方ができるか、そういったことには一切関心がない。皆ただ一つの質問しかしない、自分のマージンはいくらだ。商品そのものにさえ、関心を示さない。それも、一人や二人ではない。どの店に行っても、皆そういう調子だ。
コートジボワール人にとって、お金は空から降ってくるもの。仕事とは、それを拾い集めることである。お金を作り出すことは考えない。アビジャンからここまで来る間の道に、どれだけ廃車が朽ちて捨てられていることか。車が動かなくなったら、何とか修理をするのが常識だろう。ところが、ちょっとやってみて駄目だったら、もう諦めて捨ててしまう。車など、またどこかで手に入るさ、誰かが呉れるさ、と思っている。
誰かが一工夫して成功したとしよう。本来だったら、俺も彼に倣って工夫して、成功しよう、こうじゃないか。ところがコートジボワールでは、彼だけが成功するのは面白くない、とくる。彼が貧乏から出て行かないように、自分たちと同じ悲惨に引き戻そう。これで進歩があるか。これで独立があるか。」
「君のような考えをする人がいるということは、コートジボワールの将来も、まだまだ捨てたもんじゃないよ。」私はアショ君に言った。
コートジボワールでも、公共の電気供給はまだまだ不安定である。大型の発電機を、停電用に取り付けておけばいいのだが、ずいぶん高額な投資になる。太陽電池だと、比較的安価で、当座の電源のバックアップくらいは確保できる。電気そのものが来ていない辺鄙な村でも、この太陽電池があれば、ちょっとした電化が可能だ。日が暮れてからも、しばらく電灯の恩恵にあずかれる。少ない電力で動かせる電化製品、ラジオや携帯電話などは、太陽電池があれば十分だ。もっと重要なことは、電気のない村でも、コンピューターが使えるようになる。まさに、太陽電池がIT文明開化をもたらすのだ。
アビジャンから300キロ離れたこのベテ族の地域でも、太陽電池はだんだん浸透し始めているという。村を訪れたときに、私はアショ君から、彼のビジネスの話を聞いた。新しいもの、有用なものを見つけて、どんどん売り込む意気込みに、大変感銘を受ける。こういう青年が経済の活力の基礎となる。なんと頼もしいではないか。
ところが、アショ君が私に言うには、コートジボワールはやっぱりだめだ、日本にはとてもなれない、と悲憤慷慨である。彼の言い分を聞こう。
「コートジボワール人は、二言目には独立、独立と言う。政治的独立だけではだめで経済的独立もだ、新植民地主義からの脱却だ、と口では大変偉そうだ。ところが、実生活で何をやっているかというと、ただお金がやって来るのをまっているだけ。それでは、自立ということはとても覚束ない。お金は欲しいけれど、働くのは嫌だ。これがコートジボワール人の平均的な考えだ。
とにかくすぐに、結果をほしがる。自分が太陽電池などの販売話をもちかけても、それがどういう人々に売れるか、どんな売り方ができるか、そういったことには一切関心がない。皆ただ一つの質問しかしない、自分のマージンはいくらだ。商品そのものにさえ、関心を示さない。それも、一人や二人ではない。どの店に行っても、皆そういう調子だ。
コートジボワール人にとって、お金は空から降ってくるもの。仕事とは、それを拾い集めることである。お金を作り出すことは考えない。アビジャンからここまで来る間の道に、どれだけ廃車が朽ちて捨てられていることか。車が動かなくなったら、何とか修理をするのが常識だろう。ところが、ちょっとやってみて駄目だったら、もう諦めて捨ててしまう。車など、またどこかで手に入るさ、誰かが呉れるさ、と思っている。
誰かが一工夫して成功したとしよう。本来だったら、俺も彼に倣って工夫して、成功しよう、こうじゃないか。ところがコートジボワールでは、彼だけが成功するのは面白くない、とくる。彼が貧乏から出て行かないように、自分たちと同じ悲惨に引き戻そう。これで進歩があるか。これで独立があるか。」
「君のような考えをする人がいるということは、コートジボワールの将来も、まだまだ捨てたもんじゃないよ。」私はアショ君に言った。
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