緑の続く道が切れて、集落に出た。藁葺きの小さな家々の間に、車が入っていく。赤土を固めた塀の角から、子供達が走り出て、歓迎の手を振る。
先週、大統領府のジェジェ外交顧問と会ったとき、地方の村を訪れたいという話をしたら、それなら自分の故郷の村に招待する、ということになった。早速この週末、アビジャンから300キロ西北に走り、ベテ族の村、ザイボヨ村(Zahibohio)に到着したところである。
村の中心に広場があって、マンゴーの木が木陰を作っている。そこに椅子が並べられて、歓迎会場が出来ていた。まず村の長老達に挨拶をする。「ア・ヤオー」車中で習った即席のベテ語で、こんにちは、と声を掛ける。「ア・ヤオー」色彩豊かな布を腰から肩に掛けた長老達も、口々に答えて握手する。ムスリムの長老達もムスリムの服装で並んでいる。ここでは宗教が異なっても一緒に平和に暮らしているのだ、と紹介される。他の村人代表、若者やご婦人方、それぞれ一団になって座っているので、皆に挨拶をする「ア・ヤオー」。
正面の賓客席に座り、村人皆と車座になる。最初に、水が運ばれる。村では、客に水をふるまうのが、歓迎の儀式である。これはインドでもそうだった。インドでは白く濁った雨水だった。目をつぶって飲み込んだものだ。ここでは幸い、ペットボトルの水であり、安心して一杯飲み干す。
お客人にも村の服を着て頂こう。長老達の数人がそう宣言して、私のところに来て、織布を腰に巻き、肩に掛けてくれる。即席の村人が出来た。次に、お客人を村人として迎え入れよう。この村での名前を進呈する。私は「ドゥ・アギー」と命名された。高きにも高きところ、という意味だそうだ。立ち上がって「ドゥ・アギー」と名乗って手を振ると、拍手がわく。
長老のうち、西洋のソフト帽のような黒い帽子を被った人が立ち上がって、演説を始めた。村長さんである。私の隣の人が、演説を簡単に訳してくれる。歓迎の言葉が続く。「それではお客人から、消息をお伝え頂こう。」最後に村長さんはそう述べた。ここでは、遠路をやってきた客人から、遠くの地の「消息」を聞く、というのが流儀のようである。立ち上がって、挨拶の言葉を述べる。
「私は、遠く日本から来ました。日本の人々は、アフリカのこと、コートジボワールのことを、大好きです。」おおっ、と拍手がわく。コートジボワールが危機にあったことに、日本の人々は心を痛めていたが、今や平和回復の努力が実を結びつつある。この村は、異なる宗教や部族の人々も、調和を以て一緒に暮らしていると聞いており、コートジボワール全体の良い模範ではないか。未来を青年達に期待する、というような内容を話す。
「ウヮナ・ロゥバ・アメ」もう一つの即席ベテ語で締めくくる。大変嬉しく思います、という意味の感謝の言葉だ。皆、ぽかんとしている。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」繰り返す。皆、顔を見合わせて、ひそひそ相談をしている。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」繰り返す。誰かが、「ウヮナ・ロゥバ・アメ」ではないか、と言い出す。そうだ、そうだ。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」通じたらしい。拍手、拍手。「ドゥ・アギー」拍手、拍手。
村の青年団の中から、五、六人が、立ち上がって歌い出す。そのまま前に出て、体で拍子をとりながら節回しを、掛け合いで歌う。これは、アルクゥーといって、言祝ぎの歌だそうだ。隣に座っているジェジェ大統領顧問のためにも、別に一曲はじまった。村の出身の彼に、栄達を祈るというような内容らしい。彼は立ち上がって、青年団にお札を渡す。続いて、女性達も立ち上がって、もう一曲歌い出した。
歓迎の儀式が、ゆったりのんびりと過ぎていったころ、ウェェ、ウェェと鳴き声。長老の一人が立ち上がって、お客人に村からの引き出物だ、と言って、子羊を一匹引きずり出した。あ、ありがとう、と、これは受け取らざるを得ない。こちらも、と用意したお土産を進呈する。一つはジンの一瓶。ジンは先祖に捧げる酒なので、村のご先祖様にという意味になる。もう一つはウィスキー2瓶。皆で飲んで下さい。そして、ノートと鉛筆をたくさん袋に入れて、これは村の子供達に。
ジェジェ大統領顧問が、私に「ここにまた戻ってきます」という趣旨のことを言え、と促す。言われたとおり、短く演説をする。そうすると、司会役の長老が、何やら言葉を述べる。神様に対して、つつがなく式が終わった、ということを報告したらしい。「ウェイ」と参列の村人達が全員で唱和して、私の歓迎式典は終了した。子羊は、車のトランクに積み込まれた。
先週、大統領府のジェジェ外交顧問と会ったとき、地方の村を訪れたいという話をしたら、それなら自分の故郷の村に招待する、ということになった。早速この週末、アビジャンから300キロ西北に走り、ベテ族の村、ザイボヨ村(Zahibohio)に到着したところである。
村の中心に広場があって、マンゴーの木が木陰を作っている。そこに椅子が並べられて、歓迎会場が出来ていた。まず村の長老達に挨拶をする。「ア・ヤオー」車中で習った即席のベテ語で、こんにちは、と声を掛ける。「ア・ヤオー」色彩豊かな布を腰から肩に掛けた長老達も、口々に答えて握手する。ムスリムの長老達もムスリムの服装で並んでいる。ここでは宗教が異なっても一緒に平和に暮らしているのだ、と紹介される。他の村人代表、若者やご婦人方、それぞれ一団になって座っているので、皆に挨拶をする「ア・ヤオー」。
正面の賓客席に座り、村人皆と車座になる。最初に、水が運ばれる。村では、客に水をふるまうのが、歓迎の儀式である。これはインドでもそうだった。インドでは白く濁った雨水だった。目をつぶって飲み込んだものだ。ここでは幸い、ペットボトルの水であり、安心して一杯飲み干す。
お客人にも村の服を着て頂こう。長老達の数人がそう宣言して、私のところに来て、織布を腰に巻き、肩に掛けてくれる。即席の村人が出来た。次に、お客人を村人として迎え入れよう。この村での名前を進呈する。私は「ドゥ・アギー」と命名された。高きにも高きところ、という意味だそうだ。立ち上がって「ドゥ・アギー」と名乗って手を振ると、拍手がわく。
長老のうち、西洋のソフト帽のような黒い帽子を被った人が立ち上がって、演説を始めた。村長さんである。私の隣の人が、演説を簡単に訳してくれる。歓迎の言葉が続く。「それではお客人から、消息をお伝え頂こう。」最後に村長さんはそう述べた。ここでは、遠路をやってきた客人から、遠くの地の「消息」を聞く、というのが流儀のようである。立ち上がって、挨拶の言葉を述べる。
「私は、遠く日本から来ました。日本の人々は、アフリカのこと、コートジボワールのことを、大好きです。」おおっ、と拍手がわく。コートジボワールが危機にあったことに、日本の人々は心を痛めていたが、今や平和回復の努力が実を結びつつある。この村は、異なる宗教や部族の人々も、調和を以て一緒に暮らしていると聞いており、コートジボワール全体の良い模範ではないか。未来を青年達に期待する、というような内容を話す。
「ウヮナ・ロゥバ・アメ」もう一つの即席ベテ語で締めくくる。大変嬉しく思います、という意味の感謝の言葉だ。皆、ぽかんとしている。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」繰り返す。皆、顔を見合わせて、ひそひそ相談をしている。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」繰り返す。誰かが、「ウヮナ・ロゥバ・アメ」ではないか、と言い出す。そうだ、そうだ。「ウヮナ・ロゥバ・アメ」通じたらしい。拍手、拍手。「ドゥ・アギー」拍手、拍手。
村の青年団の中から、五、六人が、立ち上がって歌い出す。そのまま前に出て、体で拍子をとりながら節回しを、掛け合いで歌う。これは、アルクゥーといって、言祝ぎの歌だそうだ。隣に座っているジェジェ大統領顧問のためにも、別に一曲はじまった。村の出身の彼に、栄達を祈るというような内容らしい。彼は立ち上がって、青年団にお札を渡す。続いて、女性達も立ち上がって、もう一曲歌い出した。
歓迎の儀式が、ゆったりのんびりと過ぎていったころ、ウェェ、ウェェと鳴き声。長老の一人が立ち上がって、お客人に村からの引き出物だ、と言って、子羊を一匹引きずり出した。あ、ありがとう、と、これは受け取らざるを得ない。こちらも、と用意したお土産を進呈する。一つはジンの一瓶。ジンは先祖に捧げる酒なので、村のご先祖様にという意味になる。もう一つはウィスキー2瓶。皆で飲んで下さい。そして、ノートと鉛筆をたくさん袋に入れて、これは村の子供達に。
ジェジェ大統領顧問が、私に「ここにまた戻ってきます」という趣旨のことを言え、と促す。言われたとおり、短く演説をする。そうすると、司会役の長老が、何やら言葉を述べる。神様に対して、つつがなく式が終わった、ということを報告したらしい。「ウェイ」と参列の村人達が全員で唱和して、私の歓迎式典は終了した。子羊は、車のトランクに積み込まれた。
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