外国人と自国人とを区別する。そのレトリックが、政治に利用された。ある有力な政治家を排除するための論理として、彼のライバル達によって持ち出された。外国人問題が政治課題としてより一層誇張され、北部の部族を疎外・排斥する事になった結果、国が南北に分裂してしまった。
その有力政治家とは、三つ巴の大統領候補のうちの一人、ウワタラ元首相である。彼は北部部族(マンダング族)出身で、1942年生まれ。82年に西アフリカ諸国中央銀行の副総裁に選ばれ、ついで84年から87年までIMFのアフリカ部長を務めた、コートジボワールきってのエコノミスト官僚である。80年代後半の経済危機にあって、ウフエ・ボワニ大統領は構造調整改革の任務を彼に託し、1990年、首相に任命した。
93年に、ウフエ・ボワニ大統領が逝去したとき、憲法規定に従って大統領職に就任したベディエ第2代大統領にとって、ウワタラ元首相は最大のライバルとなった。95年に大統領選挙を迎えたとき、ベディエ大統領は、彼を候補者から排除する作戦に出た。「象牙性(ivoirité)」の概念を持ちだしたのである。
コートジボワールというのは、フランス語で象牙海岸という意味であり、「象牙性」というのは要するにコートジボワール人と言えるかどうか、という話である。ベディエ大統領は、コートジボワール大統領になるには、候補者が「象牙性」の観点からの要件を満たしていなければならない、と言い出した。彼は選挙法を改正して、次の通り規定した。大統領候補になるには、「父母ともにコートジボワールの生まれであり、かつて一度もコートジボワール国籍を離脱したことなく、選挙の日から遡って5年間国内に居住していること」が要件である、と。
これがウワタラ元首相を狙い撃ちしたものであることは自明であった。ウワタラ元首相の父は、コートジボワールとブルキナファソの国境をまたぐ地域の部族の出身であった。青年時代、米国にブルキナファソの旅券で留学し、IMFの官僚であった時期も、その旅券を維持していた。また、94年にはIMFに戻っており、ワシントンに在住していた。「象牙性」は、もっぱらウワタラ元首相の立候補資格を剥奪するために発案された、きわめて人工的な概念だったのだ。
ところが、これが国内にあった反移民感情によって一般化してゆき、北部出身部族や周辺国からの移民を排斥することを正当化する標語になってしまった。ウワタラ元首相は、95年大統領選挙以降も、北部の人々を支持基盤にして、有力な大統領候補であり続けた。だから、2000年大統領選挙において、彼の政敵の顔ぶれが変わっても、皆、ウワタラ元首相を追い落とすためにこの「象牙性」のレトリックを利用した。
バグボ現大統領の当選後も、その選挙結果が必ずしも疑問無しとしないものであっただけに、バグボ大統領支持派、とくに「若い愛国者達」と称する青年親衛隊が、この「象牙性」を掲げて移民や北部の人々に激しい迫害を加えた。そうした積み重ねが、コートジボワールの国内における、南部と北部の対立を増幅していった。そして2002年の北部の蜂起により、とうとう南北分裂に至ったのである。
「象牙性」に関する一連の顛末は、人工的な線引きの中で出来上がった国にとって、国としてのアイデンティティーを確認していくことが、いかに厄介な話かということを示している。国としての一体性を大切にすることは、愛国心の柱であろう。しかし、その一体性を求めるあまりに、排外の動きを強めてしまうならば、かえって一体性が失われていく。その逆説に、コートジボワールの苦しみの源があるように思える。
その有力政治家とは、三つ巴の大統領候補のうちの一人、ウワタラ元首相である。彼は北部部族(マンダング族)出身で、1942年生まれ。82年に西アフリカ諸国中央銀行の副総裁に選ばれ、ついで84年から87年までIMFのアフリカ部長を務めた、コートジボワールきってのエコノミスト官僚である。80年代後半の経済危機にあって、ウフエ・ボワニ大統領は構造調整改革の任務を彼に託し、1990年、首相に任命した。
93年に、ウフエ・ボワニ大統領が逝去したとき、憲法規定に従って大統領職に就任したベディエ第2代大統領にとって、ウワタラ元首相は最大のライバルとなった。95年に大統領選挙を迎えたとき、ベディエ大統領は、彼を候補者から排除する作戦に出た。「象牙性(ivoirité)」の概念を持ちだしたのである。
コートジボワールというのは、フランス語で象牙海岸という意味であり、「象牙性」というのは要するにコートジボワール人と言えるかどうか、という話である。ベディエ大統領は、コートジボワール大統領になるには、候補者が「象牙性」の観点からの要件を満たしていなければならない、と言い出した。彼は選挙法を改正して、次の通り規定した。大統領候補になるには、「父母ともにコートジボワールの生まれであり、かつて一度もコートジボワール国籍を離脱したことなく、選挙の日から遡って5年間国内に居住していること」が要件である、と。
これがウワタラ元首相を狙い撃ちしたものであることは自明であった。ウワタラ元首相の父は、コートジボワールとブルキナファソの国境をまたぐ地域の部族の出身であった。青年時代、米国にブルキナファソの旅券で留学し、IMFの官僚であった時期も、その旅券を維持していた。また、94年にはIMFに戻っており、ワシントンに在住していた。「象牙性」は、もっぱらウワタラ元首相の立候補資格を剥奪するために発案された、きわめて人工的な概念だったのだ。
ところが、これが国内にあった反移民感情によって一般化してゆき、北部出身部族や周辺国からの移民を排斥することを正当化する標語になってしまった。ウワタラ元首相は、95年大統領選挙以降も、北部の人々を支持基盤にして、有力な大統領候補であり続けた。だから、2000年大統領選挙において、彼の政敵の顔ぶれが変わっても、皆、ウワタラ元首相を追い落とすためにこの「象牙性」のレトリックを利用した。
バグボ現大統領の当選後も、その選挙結果が必ずしも疑問無しとしないものであっただけに、バグボ大統領支持派、とくに「若い愛国者達」と称する青年親衛隊が、この「象牙性」を掲げて移民や北部の人々に激しい迫害を加えた。そうした積み重ねが、コートジボワールの国内における、南部と北部の対立を増幅していった。そして2002年の北部の蜂起により、とうとう南北分裂に至ったのである。
「象牙性」に関する一連の顛末は、人工的な線引きの中で出来上がった国にとって、国としてのアイデンティティーを確認していくことが、いかに厄介な話かということを示している。国としての一体性を大切にすることは、愛国心の柱であろう。しかし、その一体性を求めるあまりに、排外の動きを強めてしまうならば、かえって一体性が失われていく。その逆説に、コートジボワールの苦しみの源があるように思える。
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