大事には至らなかったとはいえ、コートジボワールの人々は、今回の事件を聞いて、誰もが1999年に起こったクーデタを思い出したに違いない。今回と同様、兵士たちが給料未払いを求めて騒ぎ始めたことが発端となって、コートジボワールの歴史上はじめてのクーデタが成立した。そして、それが今に至るすべての混乱のはじまりとなった。
1999年12月23日。クリスマスを前にして、アビジャンで兵士達が騒ぎ出した。騒いだのは、中央アフリカの国連PKOに派遣され、帰ってきたばかりの兵士達であった。彼らは、当然受け取るべき手当をまだ受け取っていない、と主張していた。司令部に談判に行っても、当直将校では交渉相手にならず、埒があかない。兵たちが武器庫に押しかけると、倉庫の扉が開いた。武器をとって街に繰り出し、放送局や空港に押しかけて、占拠してしまった。
当時のベディエ大統領は、前日に早々と、ラジオで国民に対する「年末の挨拶」をして、故郷の町ダウクロ(偶々であるが、今回騒擾のあった場所の一つである)に引っ込んでいた。だから、対応が遅れた。一説では、この「年末の挨拶」で兵士への謝辞と、手当についての言及がなかったので、兵士が不満を爆発させたという。兵士だけでなく一般の人々も、当時の政治の怠慢や汚職などに対して強い不満を持っていたから、騒ぎは大衆の共感を呼んで拡大し、政府が機能しなくなった。あっけなく政権は崩れ、ベディエ大統領はフランスに亡命した。一方で、すでに引退していた元参謀総長のゲイ将軍が担ぎ出されて、クーデタが成立した。
ゲイ将軍は、翌24日テレビに登場する。軍服を着て演説し、「民主主義の回復」と「政治の大掃除」を唱えた。人々の多くはゲイ将軍に政治刷新を期待し、「軍服のサンタクロース」と呼んで、この政変を歓迎した。こうしてコートジボワールの人々は、クリスマスと世紀の変わり目を、波乱のうちに迎えた。
しかし軍服を着たサンタクロースが、袋の中から取りだして人々に配ったプレゼントは、必ずしも幸せを呼ぶものだけではなかった。
ひとつは、政治の不安定である。ゲイ将軍は、確かに民政への移行という公約を守り、翌2000年に大統領選挙を行った。しかし、そこに至るまでの政治的暗闘で選挙は混乱、各勢力のボイコットなどで、選挙の投票率は惨憺たる結果となり、バグボ現大統領が選出されるも、国民からの十分な支持がきちんと立証できるようなものではなかった。選挙から疎外された人々、選挙結果に疑義を持つ人々は、さまざまなやり方でバグボ政権に挑戦していく。
もうひとつは、秩序の乱れと規律の低下である。独立以来1993年までの、ウフエ・ボワニ大統領の安定した治世。同大統領の没後も、民主主義と法の支配に基づいた政治を運営してきたコートジボワールでは、社会制度がきちんと機能し、治安も維持されてきた。しかし、このクーデタでの混乱に乗じて、一部の人々が暴行や略奪に走るようになった。商店が襲われ、強盗が頻発し、人々は家を鉄条網と鉄格子で守らなければならなくなった。警察や軍は頼りにならず、殺人は横行し、人心は乱れた。
今からおよそ9年前に起こったこのクーデタは、コートジボワールの政治・社会についての、人々の見方や価値観を大きく変えてしまったように思う。それは、国の分裂と紛争という、長い苦渋の日々の出発点となった。たしかに政治の混乱については、これではいけないと諸勢力の間で協議が始まり、安定にむけての人々の努力が重ねられてきた。大統領選挙がきちんと行われれば、国の統一はしっかりと回復しよう。しかし、国民の心からいったん失われた、社会秩序への信頼感。それを取り戻すには、長い時間がかかるのかもしれない。
1999年12月23日。クリスマスを前にして、アビジャンで兵士達が騒ぎ出した。騒いだのは、中央アフリカの国連PKOに派遣され、帰ってきたばかりの兵士達であった。彼らは、当然受け取るべき手当をまだ受け取っていない、と主張していた。司令部に談判に行っても、当直将校では交渉相手にならず、埒があかない。兵たちが武器庫に押しかけると、倉庫の扉が開いた。武器をとって街に繰り出し、放送局や空港に押しかけて、占拠してしまった。
当時のベディエ大統領は、前日に早々と、ラジオで国民に対する「年末の挨拶」をして、故郷の町ダウクロ(偶々であるが、今回騒擾のあった場所の一つである)に引っ込んでいた。だから、対応が遅れた。一説では、この「年末の挨拶」で兵士への謝辞と、手当についての言及がなかったので、兵士が不満を爆発させたという。兵士だけでなく一般の人々も、当時の政治の怠慢や汚職などに対して強い不満を持っていたから、騒ぎは大衆の共感を呼んで拡大し、政府が機能しなくなった。あっけなく政権は崩れ、ベディエ大統領はフランスに亡命した。一方で、すでに引退していた元参謀総長のゲイ将軍が担ぎ出されて、クーデタが成立した。
ゲイ将軍は、翌24日テレビに登場する。軍服を着て演説し、「民主主義の回復」と「政治の大掃除」を唱えた。人々の多くはゲイ将軍に政治刷新を期待し、「軍服のサンタクロース」と呼んで、この政変を歓迎した。こうしてコートジボワールの人々は、クリスマスと世紀の変わり目を、波乱のうちに迎えた。
しかし軍服を着たサンタクロースが、袋の中から取りだして人々に配ったプレゼントは、必ずしも幸せを呼ぶものだけではなかった。
ひとつは、政治の不安定である。ゲイ将軍は、確かに民政への移行という公約を守り、翌2000年に大統領選挙を行った。しかし、そこに至るまでの政治的暗闘で選挙は混乱、各勢力のボイコットなどで、選挙の投票率は惨憺たる結果となり、バグボ現大統領が選出されるも、国民からの十分な支持がきちんと立証できるようなものではなかった。選挙から疎外された人々、選挙結果に疑義を持つ人々は、さまざまなやり方でバグボ政権に挑戦していく。
もうひとつは、秩序の乱れと規律の低下である。独立以来1993年までの、ウフエ・ボワニ大統領の安定した治世。同大統領の没後も、民主主義と法の支配に基づいた政治を運営してきたコートジボワールでは、社会制度がきちんと機能し、治安も維持されてきた。しかし、このクーデタでの混乱に乗じて、一部の人々が暴行や略奪に走るようになった。商店が襲われ、強盗が頻発し、人々は家を鉄条網と鉄格子で守らなければならなくなった。警察や軍は頼りにならず、殺人は横行し、人心は乱れた。
今からおよそ9年前に起こったこのクーデタは、コートジボワールの政治・社会についての、人々の見方や価値観を大きく変えてしまったように思う。それは、国の分裂と紛争という、長い苦渋の日々の出発点となった。たしかに政治の混乱については、これではいけないと諸勢力の間で協議が始まり、安定にむけての人々の努力が重ねられてきた。大統領選挙がきちんと行われれば、国の統一はしっかりと回復しよう。しかし、国民の心からいったん失われた、社会秩序への信頼感。それを取り戻すには、長い時間がかかるのかもしれない。
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