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Conversation

まず前提としてウィニーと並べるのであれば「ウィニーは既に一定の法整備と判例」がある、生成AIは「今時点で規制の有無、どこに抵触するか」を議論すらされていない段階であり「ウィニーと比べてどうだから生成AIは問題ない」とするのは当然詭弁であるといわせていただく。 加えてウィニーの話などこちらはしていない以上、そちらのオーダーに沿って話す義理も無い。 敢えてウィニーと並べるならむしろ「ウィニーとの類似点」を述べる方が当然違法になりえるの可能性についても話しやすいし、先にも述べた通り現状規制の方針や内容すら固まっていない以上「明確に答えの出きらない問題」である以上そちらがそういった背景を加味したうえで「敢えてボロを出させようとしている」と認識している。 その上で言うのであればウィニーと生成AIは「価値の希釈」という点で類似している。ウィニーの問題の一つは「個人間の漫画やCDの回し見、回し読み」が世界単位誰とでもできることにある。当時まだ誰でもPCを持っていて本当に全人類扱えるというわけではないにも関わらずだ。 これは作品やデータに対し価値に正当な対価を払うということの概念を希釈する。他人に借りれるから買わない、ということをPCを持つ人間の数だけ可能にすることが一つの問題であったと言える。 生成AIの類似点は「市場への価値の希釈」だ。ウィニーと違いゴリゴリに意図しない限りデータの中から特定の作品を丸々抜き出すことは容易ではないだろう。全人類にできることじゃない。ただし、類似するものを生成することは誰にでも可能でありその規模も当初のウィニーのユーザー数とは非にならない。なぜなら生成AIはスマホ単位から使用可能でありつまるところ「本当に誰にでも利用ができる」からである。 著作権的に言うなら絵柄は守れない。というのは事実であるが、これに「ただし生成AIは除く」と言えないのは現状ウィニーと違い「法整備の議論」が「被害を被る現場側」を含めた場所で行われていないからである。事実生成AIに関する法は推進法だけであり何度も繰り返し行われているパブリックコメントが反映されたと見える箇所は一切ない、まるで一切である。 ウィニーにはほかにも問題点はあったろうが、少なくともこの「物事成果対価への価値の希釈」だけで見ても十分に社会問題になるポテンシャルがあるし、ウィニーが社会問題になったといえるのは既にウィニーが事後だからである。生成AIは今この瞬間起きていることであり、自分の主観としては充分社会問題だと言えると思っているがそういう風に語られるのはすべての規制推進両議論が国の中で十分に行われてから後世でようやく言われる言葉だと考える。 ウィニーとの共通点としてはもう一件。それはどちらもソレそのものは当然ただのプログラムであること。物理的な物体でない以上あたりまえでありこれを指して「技術は悪くない」とするのもまた詭弁である。技術は悪くなくてもウィニーは問題になったのだ。である以上生成AIも「技術は素晴らしいのだから」という方向の擁護は全く的を外しているし、単純所持が違法になったわけじゃないというのもこれまた詭弁で、単純所持を違法に出来ないのは当然で「ただのプログラム」である以上文字列の塊である。これを規制することはPCで文字を打ち込むことを規制するのと同義であり「絶対ないとは言えないが限りなく難しい」だろう。これを規制するには相当多くの議論を重ねたうえでないと難しいし、そうするコストをかけるよりは「問題になった行動を軸に規制や法の適用」をする方がはるかに人権の自由度を守れる。 総評として「ウィニーは結果違法であった」のだ。もちろんその当時はその当時で法の適用や再構築が成されていなかった以上「回し読みを違法にする気ですか?」という反論もあっただろう。生成AIも同じ「著作物を直接ぱくったわけじゃないのに規制する気ですか?」「絵柄が似てるだけなのに規制する気ですか?」と身近に擁護できそうなポイントは幾らでもあるだろうが事実社会的不都合があれば規制は起きる。 立ち戻って包丁の話でも銃の話でもいいがそれを規制するにはなんらかの「社会的不都合が存在」し、規制されるまでの間のラグタイムである脱法状態が絶対ある。 規制は未来の話で、法律を改変するかしないかも未来の話である。であるからして「今の著作権法で裁けますよね、逆に著作権法に引っかからないなら問題ありませんよね」というのはルールを意図的にハックしながら「自分は正当である」と言っていることにほかならず「今すぐに確実に裁かれるとは言えない状態だけど少なくともクリエイターの現場として不当性を訴える状況にはある」というのがこちらからの視点であり、そちらからの視点で「法律の範囲にあるから問題ないはずだが?」という言いぶりには当然反発する。