なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 唐突に現れたもう一体の龍──成龍らしいので、恐らくは親子なのだろう赤い龍をミナに任せたフィリップは、錆色の龍と鬼ごっこをしていた。

 

 フィリップは銀色の鉄鞭を尾のように引き、相対位置認識欺瞞を全開にしながら疾駆する。スタビライザーの役目をしていたらしい翼を失くした龍は、その背中をふらふらと頼りない足取りで追いかける。

 龍は追い付けないのではなく、追い付かない。追い付いてはいけないのだ。長い首の先に頭が付いているから、超至近距離では却って物が見辛い。龍の最適な焦点距離は、手を伸ばした場所かそれより遠くだ。

 

 フィリップはそれを知っているわけではないが、付かず離れずの距離を保ちつつ、龍の鼻先を駆け回って衛士たちから引き離していく。

 

 衛士団長の戦線復帰は何分後なのか。それは分からないが、無理だと思ったら諦めて邪神を召喚するためにも、戦闘状態に身を置いておく必要がある。戦闘本能で思考を麻痺させないと、また「誰かのためなんて云々」とケチを付けられてしまうからだ。

 

 それに、なるべく衛士たちから離れる必要もある。「対爆防御を!」なんて叫んだって戦闘中では聞こえないかもしれないし、そもそも聞き入れてくれるかも怪しい。

 

 「……いいぞ」

 

 今のところ、陽動と時間稼ぎは成功している。

 

 予想に違わず、古龍はフィリップを殺すためにブレスを使ってこない。

 人間が不快な臭いを放つカメムシを殺すのに最上級魔術を使わないようなものだろうが、手で払いのけているのは不快感が閾値を超えるまでだ。我慢の限界を超えれば、スリッパとか、殺虫剤とか、燻煙とか、色々と使う。ルキアは旅先でネズミが出たとき、血の一滴も漏れない超重力の渦に捕らえてテントの外に捨てていた。翌朝にはフィリップが謎の肉塊を不審そうに観察する羽目になったのだが、それはさておき。

 

 「──!!」

 

 龍は不随意な体に苛立ったように咆哮し、無数の剣を自分の周囲に浮かべた。物質と魔力の剣が森を穿つ混合弾幕。対多攻撃であり、掃討攻撃でもある厄介なものだ。

 

 しかし、フィリップはほっと安堵の息を吐く。

 もし衛士たちから離れるように動いていなければ、負傷兵を運んで俊敏さの落ちた衛士たちが巻き込まれていたところだ。横殴りの剣雨は流石に躱しようが無いが、今は位置関係的に撃ち下ろしだ。それならまだ『拍奪』でどうにか透かせる。

 

 走るフィリップに当たる軌道だった剣は、全部で20発を超える。拍奪によって狙えていなくとも、フィリップを狙ったものではない弾幕が致命的に降ってくる。

 

 一度のミスも、一歩のズレも許されない極限回避の連続。

 肩に掠り、足に掠り、脇腹に掠り、しかし紙で切った以上の傷を残さずに弾雨の中を駆け抜けた。

 

 「──っ、は!」

 

 思わず息を止めていたことを、フィリップは喘ぐような呼吸をして漸く自覚した。

 

 龍は黄金の双眸を僅かに見開いたようだった。

 まさか躱すとは思っていなかったのだろうが、それは流石に侮り過ぎだ。フィリップはまだ余力を残している。

 

 とはいえ。

 

 「──!!」

 

 再度の咆哮。再度の剣雲展開。

 まだスタミナに余裕があるとはいえ、そう何度も連続されると流石にキツい。

 

 フィリップは一か八か、思いっきりペースを緩めて龍の胸元に飛び込んだ。

 鱗に包まれた腹のすぐ下、龍が寝転がったり伏せたりすれば押し潰されかねない位置で、懸命に相対速度を合わせて走る。龍の身体を傘にした形だ。

 

 ずどどど、と着弾音が連続する。

 刺さった後には傷だけを残して消える魔力の剣はいいが、実体を持った剣は走るのにすこぶる邪魔だった。足を取られるだけならいいが、最悪斬れるというのだから恐ろしい。いや、ちょっと躓いたら、その直後には錆色の腕にへばりついた汚れになっているのだが。

 

 細心の注意を払って剣畑を駆け抜け、炎のブレスが焼いていない深い木立の中へ逃げ込む。

 それでも追ってくるなら、龍は木々を踏み潰し、薙ぎ倒しながらの進攻になる。歩みが止まることは無いとしても、水の中のように歩が鈍るはずだ。

 

 そう判断しての退避を、黄金の瞳が忌々しそうに見つめる。

 フィリップは敢えて木の陰には隠れず姿を晒しているが、あと少し動けば死角に入る位置だ。今見逃せば探し出すには骨が折れると確信できる、そんな位置。

 

 「追ってこないか……?」 

 

 錆色の龍は無防備にも喉を見せるように天を仰ぐ。めんどくせぇー! と叫ぶようにも見えて、フィリップは思わずくすりと笑みを溢す。いや、笑ったのは外神の視座だ。そのいやに人間的な感情の発露が、上位者気取りの劣等種には似合いに見えた。

 

 だが、笑っている場合ではない。

 ふっと息が詰まるような、瞬きが鈍化するような意識の遅延が始まる。

 

 この感覚。

 フィリップの精神は理解できずとも、肉体は理解している。肉体が発している死の警告、遺伝子による逃避命令。即ち、死の気配だ。

 

 「当てが外れた──!!」

 

 フィリップは拍奪の歩法も抜きで全力疾走し、龍との距離を詰める。

 それは何か戦略的な思考に基づく判断ではなく、身体に命じられるがままのことだった。

 

 龍の首は長く、頭部はその先に付いている。

 頑強そうな筋肉と硬質な鱗に覆われているが、かなり柔軟で360度近い可動域を誇る。その気になれば自分の全周に炎を撒くことも可能だろう。

 

 衛士たちの鎧のような超級の防具に身を包んでいても、その直下には火が通るほどの極高温領域の展開。炎に包まれた者は呼吸すら許されず死に至る。その射程は50メートルを超え、発射部である頭部の可動域は広い。

 

 長射程。広範囲。防御困難。

 タンク役の衛士が持っていた盾があれば、負傷は片手だけで済むかもしれない。盾だって「ただ前に出す」だけでは性能を活かし切れないので、フィリップが持ってもそうなるとは思えないが。

 

 故に、ブレスを撃たれたら終わりだ。絶対に、何を措いても、撃たれる前に阻止するか射程外へ逃れる必要がある。

 だが後方へ逃げるには、50メートルをチャージ時間の1秒以内に走破する必要がある。フィリップもそこそこ健脚とはいえ、流石に無理な数字だ。

 

 故に、前。

 口から炎を吐く龍の、射界の外。可動域の広い砲塔が絶対に照準できない場所へ。

 

 即ち、砲身(あたま)の真上。

 

 「う、おぉぉぉ──ッ!」

 

 タイミングを合わせ、全力でジャンプする。

 龍の鼻先が下がり、ナイフのような牙が並んだ大口が開く。先走って漏れる炎に爪先が当たり、反射的に足を引っ込める。

 

 両手は龍の鼻先に。膝を胸に付けるように足を抱え、前に伸ばす。

 急接近に驚いた龍が頭を持ち上げると、フィリップは龍の鼻面から頭の方へ滑っていく。咄嗟に角に掴まると、龍はブレス攻撃を止めて滅茶苦茶に頭を振り、フィリップを振り落とそうとした。

 

 「痛っ、いたたた、いたたたた!?」

 

 見かけによらずざらざらした角と掌が、見た目の通りにトゲトゲした鱗と身体が擦れて痛い。だがなんとかブレスは凌いだ。

 

 龍が頭を下げた瞬間を見計らって手を放し、投げ出された勢いのまま地面をゴロゴロと転がって衝撃を殺す。

 すぐに立ち上がって向き直ると、龍はフィリップに背を向けていた。

 

 「うそ!? ここに来て!?」

 

 まさか衛士たちの方に向かう気か、と身構えた直後、龍が体を丸め、その場で一回転する。

 

 自分の尻尾を追いかける犬のような仕草に虚を突かれ──“死”を前に瞠目した。

 

 回転の勢いを乗せ、振り回される長い尾。

 錆色の鱗が立ち、剣山のように棘の生え揃った鞭の一閃。ブレスと同じ、広範囲掃討攻撃。

 

 「やば──っ!」

 

 視界がモノクロになり、全てのものがスローモーションになる。

 木々が薙ぎ倒され、舞い散る木の葉一枚一枚の動きが手に取るように分かる。足元の石くれの転がり方も、吹き抜ける風の向きも、何もかもが完全に把握できた。

 

 錆色の尾、ロングソードのような棘が生え出でた巨大な鞭は、しなやかでありながら強靭な芯を持っている。

 その軌道には一寸のブレもなく、ただ振り回すのではなく明確な攻撃として“振って”いるのが分かる。ちょうど、剣のように大ぶりな棘がフィリップに突き刺さる軌道だ。

 

 どうやって避けよう、なんて、フィリップは安穏と考える。

 いや、どうやっても避けられない。それは事前に分かっていたが、不可避の軌道をじっと見つめていると、やっぱり「どうしよう」なんて考えてしまうのだった。

 

 スローモーションの視界。モノクロの景色。迫りくる致死の一撃。

 何もかもが夢や幻覚のように現実感がない。格闘技の試合を見ているような──どこか遠くの知らない誰かが戦っているのを見て、安全圏から口を挟むような。そんな奇妙な感覚。

 

 死ぬのは自分。傷付くのも自分。痛みを感じるのも当然自分なのだが、思考がそこまで至らない。その手前の、攻撃を認識したところで、ずっとぐるぐる回っている。

 

 無限にも思える思考時間。

 実時間にして一秒以下の後、フィリップの胸元へ古龍の一撃が命中した。

 

 ずずん、と鈍く重い衝撃。いつぞやのマリーの過失とは違う明確な殺意を持った攻撃は、肋骨を容赦なく砕き、内臓へ突き刺す。

 

 モノクロから若葉色に染まる視界。

 肺から強制的に絞り出された空気に血が混じり、口から零れて飛んでいく。いや、飛んでいるのはフィリップの方だ。

 

 乾いた土と焦げた落ち葉を巻き上げ、巻き込みながら、石ころのように転がって止まる。石ころと違うのは、転がるたびにびちゃびちゃと耳障りな音を立てるところだ。

 

 血泥で汚れたボロ雑巾は、ごぼっ、と聞くに堪えない音を立てて、腹の底から血の塊を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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