なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 王宮にて“眠り病”の治療法が提唱され、しかしそれに係る難題に直面した、その日の夜。

 フィリップは彼らしからぬ不良行為──夜中の寮外脱走に及んでいた。それも「遠い親戚が例の病で倒れたので、会いに行かなくてはならない」と嘘を吐いて、王都外まで馬車まで出して貰って。

 

 乗合馬車の停留所まで送ってもらい、既に夜中の11時を回っているということもあって「次の便が来るまで一緒に待とうか?」と言ってくれた御者を丁重に返す。

 馬車のランタンが見えなくなるまで待ってから、フィリップは大きく伸びをして、王都とも馬車が来る方向とも違う、何も無い平野の方へ足を向けた。

 

 「……さて、と」

 

 フィリップは平地の只中に立つと、辺りをぼんやりとだが確かに照らしてくれる月と星に感謝しつつ、いつも照準補助に使っている癖で左手を突き出した。

 

 一応、前後左右を確認して、自分の影を覗いて、改めて正面を見据える。

 

 「いあ いあ はすたあ」

 

 淡々と──授業で習った公式を暗記しているときのような、無機質な声で紡がれる、風属性の王を讃える祝詞。

 

 「はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ──」

 

 只人であれば、精々がハスターの配下である異形の怪物、ビヤーキーを召喚する程度の魔術。運が良ければ、ハスターの毛先じみた竜巻を召喚することもあるかもしれない。

 

 だが、そこ止まりだ。

 この呪文は根本的に間違っている。風属性の王などという称号は、ハスターに宛てるには余りにも不足だ。そんな祝詞を、ハスターは自分自身への賛美とは受け取らない。受け取れない。認識さえできない。

 

 それが、魔王の寵児たるフィリップの詠うものでなければ。

 

 「──あい あい はすたあ」

 

 詠唱が終わり、魔法陣が──展開、されない。

 

 フィリップは徐々に慣れつつあった召喚に際した手応えが全くないことに気付き、掌を見つめてぎゅっぱぎゅっぱと両手を開閉する。

 

 首を傾げ、もう一度試す。

 だが、結果は同じだ。何も、起こらない。

 

 いつぞやのようにビヤーキーが出てくることも、ハスターの毛先のような横殴りの竜巻が出てくることも無い。

 

 何も起こらない、何も出てこないタイプの召喚ミス。

 それはハスターではなく、クトゥグア召喚の練習をしていた時に頻発していたものだ。

 

 フィリップにとってハスター召喚は切り札としてそこそこ有用で、そこそこ使い辛い面倒なカードだが……それでも、爪牙としては十分に鋭利だった。

 

 その一本が失われてしまったのは、少し痛い。タイミングを考えると痛みも倍増だ。

 もしもハスターが死んでいるのであれば、旧支配者の中でもトップクラスの存在格を持つ彼の神格を殺し得る何者かが、同じ宇宙の中で暴れているということになる。

 

 果たして、その原因は──

 

 「目的意識の過剰ですよ。フィリップくん」

 

 耳触りの良い、耳障りな声がする。

 

 弾かれたように振り返るフィリップだが、目に入るのは遠くに光る王都の明かりと、星と月に照らされるだだっ広い平原だけ。

 相手は邪神だ。そういうこともあるだろうと、納得できないことはないが──ことナイアーラトテップに関しては、フィリップに語り掛けるのに顔を見せないなんてことは無いだろう。

 

 ……まぁ、ナイアーラトテップの顔なんて、あってないようなものなのだけれど。

 

 「……あぁ、そこか」

 

 きょろきょろと周囲を見回して、漸くナイアーラトテップを見つける。

 

 星々の消えた漆黒の夜空に、赤く燃える三つの月。

 見下ろされるのはあまり気分のいいものではないが、神父姿の化身でも、どうせ見上げる体格差だ。猫耳教師の化身はフィリップが見下ろす形になるが、アレは話しているだけで不快なので、首が疲れるくらいは我慢しよう。

 

 今はそれより、召喚術の失敗の方が大きな問題だ。

 

 フィリップは足を投げ出して草原に座り、それこそ月を見上げるような格好で目を合わせる。

 

 「目的意識の、過剰? 不足とか、具体性の欠如とかじゃなくてですか?」

 「はい。加えて、使役しようという意思も足りません」

 

 何処からともなく聞こえる声に、フィリップは意味を解せず首を傾げる。

 

 意思なら十分にあるつもりだ。

 目的意識だって、過不足なく、端的に持っている。

 

 今までだって、ハスターは何度も召喚して使役してきた。今更「そのやり方ではダメだ」なんて言われても分からないし、何よりこの呪文と方法はナイアーラトテップに教わったものだ。

 それが違うというのなら、問題があるのはフィリップではなくナイアーラトテップの方だろう。

 

 「君の状態では無理からぬことですが、邪神を甘く見過ぎです。人間程度の魔力や意志力で使役できると思うのは、それは慢心や傲慢ではなく単なる愚考ですよ」

 

 三つの月が哄笑に揺れる。

 フィリップが好きな白銀とも黄金ともつかない美しい色の失せた、下品な赤を鬱陶しそうに一瞥して嘆息する。

 

 ハスターが使えないのなら、まぁ、それでいい。

 この一週間、フィリップから逃げ続けていた保護者の片割れが、漸く姿を見せたのだ。

 

 「そんなことはどうでもいいので、古龍の血と心臓を取って来てくれませんか? というか、“眠り病”をどうにかして欲しいんですけど」

 「駄目です」

 

 即答され、思わず目を瞠る。

 そりゃあフィリップだってナイアーラトテップが唯々諾々と従うとまでは思っていなかったが、なんだかんだと小言を垂れて嘲りながらも、最後にはフィリップの意を汲んでくれると予想していたのだが。

 

 赤く燃える三つの月からは、何の感情も読み取れない。

 だがただの意地悪や揶揄ではないだろう。何か、ナイアーラトテップの中では譲れないものがあるはずだ。

 

 「そんな目をしても、駄目なものは駄目ですよ、フィリップくん。私もそうですが──大抵の邪神は、君の()()なんて聞き入れるつもりはありませんし、聞きたくもありません」

 

 また解せないことを言われて、フィリップは眉根を寄せる。

 そんなことをした覚えはないし、言われるまでもなく、邪神に乞い願うことに何の意味も無いと知っている。彼らは人間の嘆願なんぞには、虫の鳴き声程度の価値も見出さないだろう。

 

 今までだって、旧支配者、外神問わず、邪神に何かを乞うたことなど一度もない。

 

 「懇願なんて──」

 「していない。それはそうでしょう。君は事実として、それを口に出していない。ですが、魔術経路で繋がった邪神には、君の精神の根底までお見通しです。フィリップくん、分からないようであれば明言して差し上げましょうか──」

 「うわっ!?」

 

 突如として目の前に現れたナイ神父に、フィリップは手が滑って後ろ向きに倒れ込む。

 ナイ神父は素早く屈みこむと片膝を突き、フィリップの首に手を回して支えた。

 

 月光の下、口付けでもするような体勢で、鼻先にナイ神父の甘いマスクがあって──フィリップは思わず額をナイ神父の鼻に叩き付けた。

 

 おっと、と笑って、全くノーダメージのナイ神父が離れる。彼はいつものように一本芯の通った直立姿勢に戻ると、手を差し伸べてフィリップを立ち上がらせた。

 

 「友達を助けて、なんて懇願は──そんな甘い心は、お捨てになられては如何です?」

 

 色濃い嘲笑を浮かべたナイ神父に言われて、フィリップはもう「懇願なんてしていない」とは言えなかった。

 

 だって、心当たりがある。

 これまで邪神を召喚したときに、邪神に何か()()()()()なんて考えたことは無かったのだ。あったのは目的意識。邪神はその手駒に過ぎなかった。

 

 だが今に限っては、心の底では縋っていたのかもしれない。

 確固たる自覚は無い。だが──心を砕いた諦観も、破片にこびりついた嘲笑も、圧倒的な視座が齎す全能感もなく、ただただ友達を助けたい一心だった。

 

 どうかルキアとステラを助けてくれと、無意識のうちに願っていたのかもしれない。

 

 「……二人を、見捨てろと? いや、まさかそれを狙って?」

 「いえ、まさか。君が友人を大切にしようと、人間性の残滓を大切にしようと、路傍で拾った犬の糞を大切にしようと、君が自ら捨てない限り、私達が無理に奪うことはありません。不満は、ありますけれど」

 

 極小の可能性だが、無いとは言い切れない。そんな懸念を滲ませての問いを、ナイ神父は即座に否定する。

 僅かながら不快感と苛立ちを感じさせるのは、本当に的外れな問いで、その答えが心底からのものだからだろう。

 

 「……不満だから、僕の命令には従えないと?」

 

 問いを重ねるフィリップに、ナイ神父は呆れたように嘆息した。

 

 「いいえ、それは違います。心の底からの命令ではないから、従えないのです」

 「はぁ? 僕は本気で──」

 「本気なのは目的意識だけでしょう? それではダメです。それだけでは“命令”と“懇願”を区別できません」

 

 それは、分かる。

 だが理解はできるが、納得は出来ない。

 

 邪神は──神様は、仰ぎ見るべき存在だ。

 たとえそれがフィリップと同じ泡沫に過ぎないとしても、できることの幅が違い過ぎるのだから。

 

 フィリップにできないことも、彼らには簡単だ。

 フィリップに救えないものも、彼らになら救える。

 

 そんな彼らに、乞うのではなく命じる。

 戦闘状態でアドレナリンが出ているとか、我を忘れるような激情に駆られているとかなら簡単だ。平常心でも、殊更に邪神に崇敬の念を抱かないどころか、本質的には全く同じだと知っているから、外神の視座から命令を下すことはできるだろう。

 

 だが、今は──どうしても難しい。

 

 とす、と、フィリップの弱々しい拳がナイ神父の胸を打った。

 

 「……僕をどうしたいんだ、お前は」

 「君を変容させようだなんて、大それたことは考えていませんよ。ただ、君が君で在ればよいのです。私も私で在るだけです」

 

 ナイ神父はにっこりと、迷える子羊を導く慈悲に溢れた微笑を浮かべる。

 

 「……ヨグ=ソトースは?」

 

 シュブ=ニグラスは? とは訊ねない。

 彼女のフィリップに対するスタンスは愛玩だ。決して隷従ではない。ナイアーラトテップのように、フィリップの従僕で在りたいなどとは欠片ほども思っていないだろう。

 

 まぁ、ナイアーラトテップのように「懇願では従えませんね」なんて面倒なことは言わないはずだ。それだけでも少しはマシだが──結局はあれも外神だ。その最優先行動基準は、感情。

 

 やりたいから、やる。

 やりたくないから、やらない。

 

 ……それでいい。今更外神の、超越者の在り方を否定するつもりはない。その意味もないのだから。

 

 「自明なことを訊ねるのも、あまり賢い行いとは言えませんが──まぁいいでしょう。彼は全てです。ここにおらず、ここにいて、ここそのものです。彼が君を庇護しない時など、ひと時も在り得ませんよ」

 「……十分だ」

 

 強がるように言ったフィリップは、王都へと踵を返す。

 ナイ神父はその背中に、深い敬意と嘲弄の籠った立礼を捧げた。

 

 「老婆心ながらご忠告を。龍はこの星で生まれた中で最も強力な生命です。一神教の聖典に於いては魔王の化身とも描かれますが、あれはよく本質を見ている。1000年を生きた王龍ともなれば、個体次第では旧神に匹敵する存在格──一個神話体系の長にも成り得ましょう。努々、油断などされませぬよう」

 

 

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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