なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 ミナの私室に戻ると、部屋の主はバルコニーで外を眺めていた。

 欄干に腕を預けて凭れかかる後ろ姿は、装い次第では彼女の脚線美がよく強調されることだろう。だが残念ながら、漆黒のドレスのゆったりとしたスカートがヴェールとしての役割を十全に果たしている。

 

 完全に背中を向けたミナの表情は窺い知れない。

 配下の死を悼んでいるわけではないことは、ここ何日かの付き合いから推察できるのだが。

 

 「ミナ、ちょっと真面目な──」

 

 真面目な話をしましょう、なんて舐めたことを言おうとしたフィリップだが、部屋の中ほどで足が止まる。

 フィリップの声に振り返ったミナの双眸が、いやに冷たい赤だった。

 

 既にルーシェは地下の武器庫に行ってしまった。言いつけ通り、フィリップのウルミを取りに。

 

 ぴり、と、首筋に焦れる感覚。

 手足の先が凍り付いて、思った通りに動かない。視界がぼんやりとぼやけて、どこに焦点が合っているのか、自分でも分からなくなった。窓の外から聞こえる戦火、剣戟と砲撃と哄笑の音は、遠退いたように薄くなる。

 

 「……?」

 

 覚えのある感覚だ。

 肉体の怯えに精神が共調できない時の、本能と理性の主張が食い違っている時の感覚。

 

 刃物を向けられた時ではなく、肉食獣に相対したときに感じる、本能的恐怖。

 フィリップ本人は知らず、感じず、気にも留めない脅威を、フィリップの身体が正しく恐れている。

 

 フィリップが厭い、「これも人間である証拠」と半ば無理矢理に自分(こころ)を納得させて和解した、身体の機能。人間が──人類が、発生以来脈々と受け継いできた、経験の蓄積、歴史の継承。遺伝子によって付与された、生存のための基本機能。

 

 それは決して──少なくとも人体を持っているのなら、人体で生きていたいのなら、嘲笑っていいものではない。

 

 だが、フィリップの精神は、身体の鳴らした警鐘を、文字通り全身全霊の悲鳴を黙殺する。

 何がそんなに怖いのか。ここには恐れるべきものなんて、何も無いと。

 

 そしてフィリップの主観もまた、騒ぐ細胞に首を傾げる。

 とはいえそれも無理からぬことだ。今やこの城は、肉食動物に四方八方を囲まれた檻にも等しい。堅牢な守りはじわじわと噛み砕かれ、その牙が自分に届く寸前とあっては、“餌”である人間の身が恐怖するのは当然なのだから。

 

 だから麻痺して、気付かない。

 

 ミナの赤い瞳、その奥にある縦長の瞳孔が、普段を数倍して開いていることに。

 

 こつり、こつり、硬質なヒールを鳴らして、吸血鬼が一歩ずつ近づいてくる。部屋に入ると、靴音は毛足の長いカーペットに吸われてしまった。

 

 ミナは無言だ。

 恐怖で麻痺しかかった、くぐもった音の中でもなお、その無言が薄ら寒い。

 

 「──ミナ?」

 

 どうしたんだろう──心配する精神(こころ)が、一歩前にと命じる。

 ここから逃げろ──恐怖する本能(からだ)が、一歩後ろにと命じる。

 

 結果として、フィリップは一歩も動かなかった。

 

 ──いや。

 

 動けなかった。

 

 「ミナ……?」

 

 白く、細い腕がするりと伸びて、嫋やかな指先が肩を這う。

 いつものように抱き寄せて愛玩する動きとは、ほんの少しだけ何かが違う所作。込められた力が強いのもそうだが、何より、赤い瞳が見ているのはフィリップではないという点が、決定的な違いだった。

 

 「あ──」

 

 艶めかしく赤い唇が裂け、真っ白な牙が覗く。

 

 それで、漸く。

 フィリップは、彼我の立場を思い出した。

 

 彼女は捕食者。自分は食料。たとえ表面上は飼い主とペットいう関係性でも、生物種が変わらなければ、その原始的な関係を捨て去ることはできないのだと。

 

 ──喰われる。

 そう確信する。

 

 どうして今になって、とか。そういえばミナが人を喰っているところを、悪魔が襲ってきて以来見ていない、とか。吸血鬼には飢餓状態というものがあるのだった、とか。そんなことを考える余裕もないくらい、鮮烈に、強烈に、体感した。

 

 心は変わらず、動かない。

 人食いの化け物を相手に怯えるほど、怯えられるほど、可愛らしい精神をしていない。

 

 だが、身体は別だ。

 狼の唸り声程度でも喧しく警告する本能は、しっかりと恐怖したような反応を起こす。

 

 フィリップが「邪魔」と切り捨てる不随意のそれは、しかし──無体な主を、しっかりと救っていた。

 

 「あ、っ──!!」

 

 掴んだ肩が強張り、視線を交わした双眸が震えるのを見たミナが、愕然としたように目を見開く。ぱっと、フィリップから手を放した。

 

 彼女はふらふらと、顔を押さえながらよろめいて下がる。

 それはただ眩暈がしたような動きではなく、明確に自分がフィリップから遠ざかるためのものだった。

 

 「ミナ!?」

 「ま、って、来ないで……ッ!」

 

 これは明らかにおかしい。飢餓状態なのか、或いは別の異常なのかは分からないが、普通でないことだけははっきりと分かる。

 

 心配そうに駆け寄るフィリップに向けられたミナの双眸が、血よりも赤く輝いた。

 

 「──っ、これ……ッ!?」

 

 全身が硬直する。

 だが──“拘束の魔眼”ではない。前に、ミナの方に進むことが出来ないだけで、それ以外の動きには全く支障がない。声も出せるし、手も足も動く。

 

 ならば、とミナのところへ行こうとすると、途端に身体が動かなくなる。

 拘束の魔眼よりも拘束の程度は低い。手足の硬直は外部からの強制というより、むしろ壁を殴ろうとした時につい力を緩めてしまうような、リミッターが働いた感覚だ。

 

 「ミナ!」

 

 何かの魔眼。

 それが分かった時点で、抵抗は諦める。魔眼とて魔術の一系統だ。魔力の貧弱なフィリップにレジスト出来るものではない。

 

 「飢餓状態なの? 何か、僕に出来ることは?」

 

 両手を広げ、危害を加える気はないと身振りで示す。尤も危害なんて加えようもないので、フリ以上の意味は無いが。

 

 「近寄らないで……私も、きみに近付かないから……ッ!」

 

 顔を覆う指の隙間から、異常に瞳孔の開いた爬虫類のような目がフィリップを射抜く。

 制止の言葉は単なる音の羅列ではなく、魔眼を介した命令だった。

 

 「うっ……またこれか……」

 

 フィリップは直感的に、その魔眼が支配魔術のような何かだとは理解できた。伊達に支配魔術を食らいなれていない──というわけではなく、その感覚はむしろ、例の本能と理性の乖離によく似ていたからだ。心はミナに近づきたいのに、体が勝手にブレーキを掛ける、そんな感覚がある。

 

 身体の強制操作ではなく、特定の行動を制限するような力か。

 

 「逃げて、お願い……聖痕者が来るまで、私から、逃げて……!」

 

 フィリップは血を吐くような懇願に、両足を踏ん張って立ち向かう。が、今度の声に強制力はない。

 あの魔眼は支配魔術同様、同時に二つ以上の命令を課すことはできないようだ。

 

 「……僕を、食べそうになるから?」

 

 射貫くような、見透かすようなフィリップの視線に、ミナは顔を覆ったまま重々しく首肯する。その小さな動きから、血でも吐きそうな苦悩が伝わる。

 

 吸血鬼に特有の飢餓状態。

 人間やその他の動物にも見られる攻撃性や捕食衝動の増加は、こと吸血鬼に於いては桁違いの倍率だ。自制心を容易に振り切り、筋力のリミッターが外れ、何より、他の動物とは違い、肉体スペックが全く低下していなくても飢餓状態に陥るというのが恐ろしい。

 

 飢えて弱った獣はただでさえ恐ろしいが、そんな生易しいものではないのだ。

 ただでさえ高い筋力や魔力、戦闘センスなどが衰えないまま、無数の命と数々の種族特性を駆使して襲い掛かる怪物になる。

 

 「今はまだ大丈夫なんだよね? 地下の食料は……もう無くなったんだっけ」

 

 フィリップはミナの言葉をさらりと無視して、顎に手を遣って思索を巡らせながらベッドに掛ける。

 

 地下の食糧庫は空になった。

 ミナの食事を抜いて、その全量をメイドの魔力補給に費やしてなお、この切羽詰まった現状だ。ミナが誰か一人分でも食い尽くしていたら、救援到着には絶対に間に合わなかっただろう。だから判断としては正解だが、それでミナ自身が飢餓状態に陥っていれば世話は無い。

 

 「死なない程度になら、僕の血を吸ってもいいよ?」

 「……それは、駄目よ。私はきみを、怖がらせたく、ない、から……」

 

 ぎち、と、歯を食いしばる音が、五歩以上離れていても届く。

 顔を覆った指の隙間から覗く赤い左目は、フィリップがシャツを引いて露出させた首筋に釘付けだった。

 

 飢餓感で赤黒く染まったミナの視界の中で、少し日焼けした白い肌が鮮やかに映えて。

 

 「……いいよ?」

 

 そんな柔らかな赦しに、気付けば、ミナはフィリップを組み敷いていた。

 フィリップがベッドに座っていて良かった。きっとカーペットの敷かれた床でも、石が剥き出しの場所でも、気にする余裕は無かったから。

 

 「あ、ぅ……ぁ……っ!」

 

 紅い唇が裂け、意味の籠らない音が漏れる。

 剥き出しになる犬歯は牙のように鋭く、“捕食”という言葉が持つ重みを、遍く生物が持つ根源的な恐怖を、食物連鎖という自然の摂理を強くイメージさせる。

 

 その突端はペン先のようで、画鋲が刺さるどころではない痛みと傷を予期した心も怯える。

 

 体と心。恐怖と忌避感。その両方を、確信が踏み潰す。

 

 ──まぁ、結局、死ねはしないのだろう。と。

 

 飢餓状態のミナが、わざわざ吸血鬼化させる吸血をするとは思えない。

 フィリップの言葉通りに死なない程度に抑えられるか、自制心が千切れて吸い尽くすかの二択だろう。なら、フィリップが恐れることは何も──痛み以外には──無い。

 

 ミナが恐れているような、フィリップがミナを恐怖する理由など、何も無いのだ。

 

 それに、今は気分がいい。

 ずっとずっと待ち望んでた、誰もいないところで思う存分にカルト狩りができる機会なのだから。

 

 「我慢……は、ちゃんと死なない程度にしてほしいけど。でも……いいよ、ミナ」

 

 赦しか、(いざな)いか。

 穏やかな声が、遂にミナの理性を砕いた。

 

 突き刺さる牙。

 溢れ出る血液。

 

 ただ怪我で流血した時とは全く違う、出血して血が失われていくのに、むしろ何かに満たされるような不思議な感覚に包まれる。

 

 それも一瞬。ミナの真っ白な喉が、こく、こく、と二回動いただけの僅かな時間だった。

 

 「……ありがとう、フィル」

 「もういいの?」

 「えぇ、飢餓状態を脱するだけなら十分よ。本当にありがとう」

 

 ミナは慎重に、しかし怯えたように急いた動きでフィリップから離れる。

 確かに捕食衝動は無いようだが、辛そうに目を伏せたかと思えばフィリップを窺うように盗み見たりと、いつもより明らかに落ち着きがない。

 

 フィリップはベッドから身体を起こして、「意外と痛くなかったな」なんて僅かに血の滲む傷口を擦っていて、そんなミナの様子に気付く様子は無かった。傷口があるのは首ではなく、肩と首の中間、肩井の辺りだった。大きな血管のある首筋より、この辺りの方が血を吸いやすいらしい。

 

 さて、と、空気を切り替えるように手を叩き、全身の調子を確かめるフィリップ。

 その脳内は、もはや“カルト狩り”の一色だった。

 

 「じゃあ、ミナ。首輪(これ)、外してくれますか?」

 「っ……!」

 

 捨てられた子犬のように頼りない顔で、ミナが一歩、下がる。マルバスの連撃を受け止めても揺るがなかった足元は、殴られたようによろめいていた。

 

 「……何故、なんて、聞くまでもないわよね」

 

 弱々しい問い。

 胸元で握られた右手の僅かな震えが、見ている者の心を痛ませる。

 

 そんなミナに、フィリップはにっこりと笑いかけて。

 

 「勿論だよ」

 

 即答する。

 フィリップが浮かべた満面の笑みは、目を伏せてしまったミナには届かなかった。

 

 「私が──」

 「──カルト狩りだ」

 「……えっ?」

 

 彼女らしくもなくきょとんとした目で見つめてくるミナに、フィリップはしかつめらしく頷く。

 「うん、分かるよ」なんて言っているが、何も分かっていないのは傍目にも明らかだった。

 

 「ペットには戦わせないって方針は知ってるし、僕もそういう飼い主だから理解してるよ。でも、これは、カルト狩りだけは別なんだ。ミナの為とか、メイドたちの為とか、時間を稼ぐためじゃない。僕が僕であるために──僕が、絶対に、他の何を措いてでもやらなくちゃいけない、やりたいことなんだ。……お願いだから、邪魔はしないでほしいな」

 

 邪魔するならミナでも殺す。これは絶対の条件だ。

 ただそこにいる守るべき相手が、結果として邪魔になってしまうのは仕方ない。それならフィリップも、そちらを優先する。ルキアも、ステラも、他の誰でも、フィリップが守るべき他人を守る。

 

 だが、故意に邪魔をするなら、そんなやつは要らない。

 ステラでも、ナイアーラトテップでも、ミナでも、誰であってもだ。

 

 どんな反論が飛んできて、どう言い伏せるべきか。

 言い負かされても諦めるという選択肢は無いので、どうにか理屈を捏ね回して、嘘を吐いてでも首輪を外してもらうしかないのだが。

 

 睨み付けるように返事を待つフィリップを見ることなく、ミナは目を伏せたまま問いかける。

 

 「怖くないの?」

 「ん? 死なないし吸血鬼にもならないなら、怖がる理由は無いでしょ?」

 「そう、だけど……でも、さっきの私は──」

 

 血を吸うのは、吸血鬼として当然のことだ。

 フィリップの血を吸うことそれ自体には、ミナも一切の抵抗感を持っていない。

 

 だがミナにとって、飢餓衝動に呑まれた吸血鬼は獣と同じだ。

 人間にしてみれば獣どころではない恐怖の権化だろうが、吸血鬼にとっても、会話の成立しない狂人に等しい。そんなザマに成り果てた自分が怖くないなどと、ミナは嘯けない。自分自身でさえ、自分が怖いのだから。

 

 だから、そんな姿を見せたくなかった。

 狂気にも等しい捕食衝動に駆られてペットの首筋に牙を立てるなど、飼い主失格もいいところだ。

 

 怖がられてしまう、怖がらせてしまう──嫌われてしまう。

 

 吸血鬼が人間の敵だなんてことは、ミナも重々承知している。

 だがそれでも、ペットに嫌われることだけは、「そういうもの」「仕方のないこと」と受け入れることは出来なかった。 

 

 「今みたいなのは駄菓子を摘まむようなもの、って、ルーシェに教わったけど。でも正直、食べられてるって感じはしなかったんだよね」

 

 血を吸われる直前までは「痛そうだなぁ」なんて思って嫌だったが、痛みが無いなら、いつものハグとあまり変わらない。匂いを嗅がれるくすぐったさと恥ずかしさが無い分、いつもより心地好いくらいだ。

 

 「愛情表現だと思えば、拒否感もないよ」

 「愛情……表現? 本当に?」

 

 ミナの告解を終えた罪人のように沈痛な表情に、僅かな晴れ間が戻る。

 司祭に神の赦しを告げられてなお、自分自身の罪を許せない。そんな、後悔と絶望、諦観と希望が綯い交ぜになった表情だ。

 

 フィリップは軽く、何でもないことだと笑う。

 

 「怖くなんてないよ、ミナ。痛いのは嫌だったけど、痛みも無かったし。ミナにぎゅってされるの、結構好きだし。ほら、ぎゅー」

 

 普段のフィリップらしからぬ甘えた仕草は、ミナの唾液──正確には吸血鬼が吸血時に分泌する、酩酊感と痛覚麻酔を齎す特殊な唾液が原因だ。

 

 母親に甘える子供のように抱き着いたフィリップを、ミナは強く、それでいて深い慈愛を感じさせる手付きで抱きしめ返した。

 

 「フィル。もう一回、いい? 今度はちゃんと、愛情をいっぱい込めるから」

 「ん……いいよ」

 

 フィリップはもう、「死なない程度に」なんて、無粋な注意をしなかった。

 

 ミナがそっと首筋を撫でると、許容量以上の魔力が流し込まれた首輪が朽ちるように崩れる。

 ぱらぱらと床に零れた残骸には目もくれず、その下にあった首筋にゆっくりと唇を押し当て、舐めるように口を開いて、牙を立てた。

 

 血管の奥から血を吸い上げる感触と、腕の中で蕩けたように身を預ける矮小な生き物の体温と柔らかさに、赤い双眸がうっとりと閉じた。

 

 

 ◇

 

 

 少し日焼けした白い肌に、鮮やかに赤い雫が滲む。

 鍛え足りない柔らかな肉に、ぶつりと犬歯が突き刺さる感触。

 

 泉のように湧く血潮を啜り、舌の上で転がして、喉にそっと流し込む。

 命の情報を含まない、けれど吸血鬼にとっては甘露な、無意味でも無価値ではない味。フィリップは鉄の味だと言うし、ミナもそのノートは分かるが、それより深い部分には、もっと複雑な味わいがある。

 

 ミナは熱に蕩けた瞳で、ぼんやりとした感傷に浸る。

 熱い血に惑わされたような、熱い吐息が唇を割った。

 

 ──殺さない吸血なんて久し振り。

 

 100年前からずっと、血液(いのち)を無駄にしたことはない。城を維持するのに必要な配下を作ったきりだ。

 そんな余裕も、そんな傲慢も、許されることは無かったから。

 

 両親が遺した数人のメイドは、ミナが一人前になるまで、ずっと鬼だった。

 始祖の系譜に相応しい、エルフの王族に相応しい、気品と礼節を兼ね備えた所作を仕込まれた。剣術も、魔術も、始祖の遺した無数の書物を紐解いて教え込まれた。自分たちが出来ないことまで、ミナになら出来ると押し付けられた。

 

 強くなれ。

 強くなれ。

 強くなれ。

 

 力が強ければ強い。魔術が強ければ強い。速さが速ければ強い。技が(うま)ければ強い。命が多ければ強い。

 

 単純(シンプル)な強さこそ、最も打倒されにくい強さである。

 そんな信念の下に、修行の日々を繰り返した。

 

 敵も殺した。

 ある時は荒野の一角に縄張りを持つダークエルフを殺し回り、ある時は魔王領の奥地で上位の魔物を狩って回り、ある時は帝国に住まう王龍に師事して、天使狩りさえやってのけた。

 

 報復に訪れた天使と悪魔の大軍勢を返り討ちにして、ミナの強さは完成された。

 気付いた時には、“最も正統な吸血鬼”に相応しい強さを身に付けていたのだ。

 

 まだずっと弱かった頃──怖い死が、すぐ傍らに立っていた頃からの習慣で、死から逃げるために残さず食べ続けていた血液(いのち)の数は、10万を超えた。一撃必殺の剣を持つ熾天使相手に、一撃も喰らわず勝利できる力と技と速さを備えた。単純な魔力の質と量では、聖痕者にも引けを取らないだろう。

 

 そして──その先には、何も無かった。

 100人の配下は家具のようなもので、愛着はあるが愛情はない。ミナの心は、死への恐怖を失い、強さへの渇望を失い、虚ろな空になっていた。

 

 そんな折、父親を名乗り、どうやら本当に父親らしい何者かがやってきた。

 自分のテリトリーを好き勝手に侵し、我が物顔で闊歩するのが煩わしく不愉快で、けれど帰還を喜んで落涙する古参のメイドたちに別な涙を流させるのも忍びなくて──結局、自分に関わらないならどうでもよくて、それを条件に城へ置いた。

 

 しかし、そんな条件は知ったことかとばかり、ディアボリカという同族はあれやこれやと絡んでくる。

 小言と称賛が多かった。魔王軍の一翼を統べる者として云々、最も正統な吸血鬼として云々、理知的で気品ある女性として云々、エルフの王族の血を引く者として云々。ここはよくない、それは素晴らしい、あれはだめで、ここはすごい。

 

 それは一般的な、親としてあるべき姿なのかもしれないけれど──そもそもお前は誰なのか、という話で。ミナにとっては、口煩かった昔のメイドが帰ってきたようで、ただ只管に不愉快だった。

 

 結婚相手を連れてくる、なんて言って城を出て行った日には、柄にもなくメイドに「狂人の類なの?」なんて聞いてしまった。「普段通りですよ」と答えられて、いよいよ殺すべきかと頭を悩ませたが──拾ってきたペットに免じて、許してやろうと思う。

 いや、許すというか、そんな暇があるならペットと遊ぶ。

 

 ペットはいい。

 空虚な心に、穏やかな熱が染み渡るようだ。

 

 愛玩、愛着、愛情。

 何と言い表すのが正解なのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。

 

 自分によく懐いて、矮小で可愛らしい、何よりいい匂いのする下等生物を可愛がることに、それ以上の難しい思考は必要ない。

 

 殺さない吸血は久し振り。

 愛情を伝えるための吸血なんて、初めてだ。

 

 「──、ぁ」

 

 小さく漏れた理解の声に、胸に埋もれていたフィリップが不思議そうに顔を上げる。

 血を吸い出される快と不快の入り混じる感覚に、困惑で揺れる青い双眸が可愛らしい。

 

 ミナは柔らかに破顔して、またフィリップの首筋に顔を埋めた。

 血の匂いの奥に広がる、深い夜闇と、月と、星々の匂いを肺一杯に吸い込む。

 

 この匂いも好きだが、何より──フィリップを抱き締めていることそのものが心地よい。

 吸血鬼(ミナ)とは違う、生きた血の巡る熱い体温。小さく弱々しい体躯。弱者、被捕食者でありながら、怯えも敵意も無く見上げてくる青い瞳。何もかもが愛おしく、空虚な心が満たされていく。

 

 結局のところ、ミナはずっと寂しかったのだ。

 たった五歳の少女が両親を失って抱いた、巨大な恐怖心。魔王領に犇めく多種多様な死因への恐れ。それが強さによって取り払われたあと、心には大きな空隙が残った。

 

 それを埋めたのは、100のメイド(家財)でも、100年ぶりに再会した父親(たにん)でもなく、どこぞで拾ってきたペットだった。これはただそれだけの、よくある話だ。

 

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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