映画『ウィキッド』原作は“大人の小説” 運命の皮肉を描いた悲喜劇の大作を読む
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映画『ウィキッド ふたりの魔女』(ジョン・M・チュウ監督)が日本でも公開された。これは、グレゴリー・マグワイアの小説『ウィキッド 誰も知らない、もう一つのオズの物語』を原作としたミュージカル『ウィキッド』(作詞作曲スティーヴン・シュワルツ。脚本ウィニー・ホルツマン)を2部作の映画にしたうちの1作で、2幕構成の舞台の前半にあたる。映画の完結編『Wicked:For Good(原題)』は、今年11月21日に世界初公開される予定である。 『ウィキッド』は、ライアン・フランク・ボームが創作した童話『オズの魔法使い』の設定を借りた内容だ。ジュディ・ガーランドが主演した1939年の映画化でも知られる『オズの魔法使い』では、竜巻によって少女ドロシーがアメリカのカンザスから魔法使いが支配するオズの国へと運ばれる。彼女はその後の旅で、意図しないまま結果的に悪い魔女を退治したり、よい魔女から助言をもらったりする。『ウィキッド』は『オズの魔法使い』の前日談であり、それらの魔女にどんな事情があったかを掘り起こす。 主人公は、緑色の肌をしており悪い魔女とされることになるエルファバ。彼女と、学校で親友になったグリンダとの関係が物語の軸になる(グリンダは最初「ガリンダ」として登場し、ある理由で改名する)。見た目のせいで偏見にさらされてきたエルファバと、恵まれた環境で育った人気者のグリンダという陰と陽のキャラクターが、最初は反発しあうが、友情を結ぶのだ。エルファバは、体の不自由な妹ネッサローズやグリンダなどとともに学校生活を送り、若者たちの間では恋をめぐるすれ違いも起こる。オズの国では、知性があり言葉を話す動物たちが地位を得ていたが、彼らを排斥する動きが進む。納得できないエルファバはそれに抗う姿勢を示し、オズの国の現体制に親和的なグリンダと意識の差が垣間見える。 映画『ウィキッド ふたりの魔女』は、若干の脚色はありながらも舞台版のストーリーをおおむね踏襲している。ほうきに乗ったエルファバの飛翔をはじめとするスペクタクルや、歌や踊りをたっぷり提供するエンタテインメント大作だ。ただ、前の段落に書いた映画第1作=ミュージカル前半のあらすじは、グレゴリー・マグワイアの原作小説と共通した要素を抜き出したものである。実は、全体のテイストや物語の組み立て、登場人物それぞれの位置づけは、両者でかなり違う。以後は、映画のベースとなったミュージカル版と原作小説の差に着目して話を進めたい。 ミュージカル版は、物語の出発点となった『オズの魔法使い』が持っていた児童文学らしいおおらかさ、空想性を基本的に引き継ぐように脚色されている。それに対し、原作『ウィキッド』は、大人の小説として書かれていた。『オズの魔法使い』に登場した魔女たちの前日談を書くことで、悪い/よいとされたものは本当に悪であり善だったのか、悪や善は容易に決められないのではないかというテーマを提示する点は、ミュージカル版と原作で共通する。だが、前者が『オズの魔法使い』というファンタジーの背後にあったもう一つのファンタジーを描こうとしたのに対し、原作は背後にあったファンタジーだけでなくリアルまで露わにするかのごとく書かれている。 エルファバの母親が、夫以外と肉体関係を持っていたことは今回の映画でもさらりと触れられていた。原作ではこの件に限らず、性行為、性器、排泄などに関する言及、つまり下ネタが多い。母の行状に関して、ばあやが汗で汚れたシーツや不倫相手との「くねくねダンス」をことさら話題にする場面など典型的だ。また、ミュージカル版にはエルファバとグリンダが学校で同じ男性を好きになるという学園ものでお約束的な三角関係が登場するが、原作ではもっと後の時期に妻子のできたかつての学友とエルファバが不倫関係になる。作中では彼女が死んだ相手の子を生んだことがほのめかされ、エルファバが彼の妻と会う展開もある。原作は、性、肉体、恋愛のとらえ方が、児童文学的なきれいごとにはとどまらない。あけすけな表現が、滑稽であると同時に生々しかったりする。 また、ミュージカル版でエルファバの父は総督とされたが、原作では牧師であり、家族や周辺住民との信仰意識のギャップが、読者の笑いを呼ぶ。妻の不倫もそうした出来事の1つだ。 一方、オズの国には複数の地域があり、それぞれの出身者が互いに偏見を抱いている。この点はミュージカルでも映画でも盛りこまれていたが、原作では様々な差別意識がより細かく記される。地域ごとの体形の差、性差、人種、肌の色。金持ち語と貧乏人言葉の違いなどなど。そうしたなかでほかの誰とも異なる緑色の肌を持つエルファバが主人公となり、話す動物の排斥が語られ、身体障害者であるネッサローズ(ミュージカルおよび映画では下半身が不自由とされるが、原作では両腕がない設定)が地域の支配者となり暴政で嫌われる。 原作は、ミュージカルや映画以上に暴力的な世界であり、動物排斥をめぐり殺害事件があったり、それに反対する立場のエルファバがテロ組織の一員になったりする。 魔法が存在する空想の世界でありながら、性、宗教、差別、格差、テロなど現実世界を構成するファクターが書きこまれている。このため、原作小説にはミュージカルや映画にない重さがある。したがって、物語における滑稽さと悲惨さの振幅もより大きい。 映画『オズの魔法使い』に関しては、プログレッシブ・ロックの傑作とされるピンク・フロイド『狂気』を続けて2回同時再生すると、場面転換と曲の始まりが一緒になったり、セリフと歌詞が呼応するなど、音と映像がシンクロするという都市伝説がある。『狂気』は、生命、時間、金、敵対関係、狂気など人間社会を形作る要素をテーマとしたコンセプト・アルバムだ。バンドのメンバーはこの都市伝説をただの偶然だと一蹴したが、『オズの魔法使い』の魅力的なファンタジーには、そこになにか隠された真実があるのではないかと想像させるところがある。そうした想像の1つが、マグワイア『ウィキッド』だったといえるだろう。 『オズの魔法使い』では、脳みそのないカカシ、心をなくしたブリキ男、臆病で勇気がないライオンが、ドロシーの旅の仲間になる。いずれもなにかをなくした存在であり、故郷から飛ばされたドロシーも自分がもといた場所をなくしている。彼らは、それぞれの欠落を回復することで救われる。 それに対し、『ウィキッド』では、緑色のエルファバ、体の不自由なネッサローズなど、なにかをなくしたか、余計に持っているような、アンバランスな状態の人物が多く登場する。その点で、恵まれた環境に育った人気者グリンダは、おバカなところはあるにしてもアンバランスとまではいえないキャラクターだろう。だからこそ、エルファバと友情が生まれたことは、ある種の回復に向けて意味があると思える。だが、ミュージカル(および映画)が、エルファバとグリンダのシスターフッドの強さを褒めたたえる内容であるのに対し、原作小説の後半では再会した2人の意識は一緒にならない。このなりゆきも、ミュージカル版以上に現実的といえるかもしれない。 エルファバ、グリンダ、ネッサローズなどオズの国の住人たちは、この国の状況のなかで育ち、考え、もがいている。だが、外の世界から竜巻で運ばれてきたドロシーは、自らが意図しないのに、オズの国に影響をおよぼしてしまう。『オズの魔法使い』の冒頭では、彼女がなかにいる状態のままカンザスから飛ばされてきた家が落下し、この国に到着した時、ある魔女を押しつぶしてしまったことが語られていた。そうしようと思ったわけではないのに、重大な結果をもたらしたのだ。魔女の死の理不尽さは、人災というより天災だろう。 そんなドロシーが現れるまでと現れた結果をたどる小説『ウィキッド』は、悪と善の決めがたさを表していると同時に、善悪に関係なく理由なく降ってくる災いもあるという、運命の皮肉を描いた悲喜劇の大作となっている。誰かの意思でどうにかできるわけではない出来事が起きてしまう。空想の世界なのにここには、この世の真実の感覚がある。はじめはミュージカル版とのテイストの違いに戸惑うかもしれないが、一読の価値はある小説だ。
円堂都司昭
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