閉館する「丸の内TOEI」 “最後の支配人”が明かした『あぶない刑事』復活秘話…さよなら特集上映で全回満席になった作品とは

東京・銀座の映画館「丸の内TOEI」が2025年7月27日をもって約65年の営業を終える。5月9日からは「さよなら 丸の内TOEI」と題した特集上映が行われており、娯楽の殿堂・東映の映画が連日スクリーンにかかり、北大路欣也や役所広司らゆかりのゲストによる舞台挨拶が次々と行われた。

昭和・平成・令和と続いた丸の内TOEIとは、どのような劇場だったのだろうか。著書『京都撮影所案内』で東映京都撮影所を取材したばかりの高鳥都が、東映最後の直営館を直撃した──。

丸の内TOEIの軌跡

銀座3丁目の外堀通り沿い、丸の内TOEIは地下鉄銀座駅C6出口から徒歩3分という好立地であり、9階建ての本社ビル「東映会館」の一角を占めている。1階に511席、地下に352席のスクリーンを有する大型映画館だ。

東映最後の直営館・丸の内TOEI
5月9日から7月27日まで「さよなら 丸の内TOEI」を開催

丸の内TOEI最後の支配人は小林恵司(59歳)、東映の映画興行部長を兼任する小林氏にまずは同劇場の軌跡をうかがった。

小林:設立は1960年の9月20日、戦後スタートの映画会社・東映にとって70番目の直営館であり、初代社長の大川博には「銀座の一等地に劇場を出したい」という念願がありました。その夢が東映会館という本社ビルとともに実現したものです。

1960年にオープンした丸の内東映
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小林:こけら落としは大川橋蔵さん主演の『海賊八幡船』(60年)という海洋アクション時代劇。オープン当時は1階が「丸の内東映」、地下が「丸の内東映パラス」でしたが、その後パラスが「丸の内シャンゼリゼ」と改称し、現在は「丸の内TOEI①」と「丸の内TOEI②」になりました。アルバイトを入れて23人ほどのスタッフで運営しています。

──丸の内TOEIの支配人としてのキャリアを教えてください。

小林:じつは就任したのが去年の6月なんです。わずか1年足らずの支配人でして、閉館が決まったあとの人事でした。劇場勤務もしたことがなく、本社の映画営業部を経て東映ビデオの企画製作部や日本映画製作者連盟などに出向していました。映画営業部時代に直営館の番組編成を5〜6年やっていたので、ある程度の知見はありましたが、現場はまったく初めてです。

丸の内TOEI最後の支配人・小林恵司氏

──では支配人としての思い出といえば、やはり「さよなら 丸の内TOEI」ということに?

小林:そうですね。まさに現在進行系で思い出が作られています。連日、東映ゆかりの俳優さんたちが舞台挨拶をやってくださって、こんなに大規模な閉館イベントになるとは思わなかったので、ありがたいですね。もともと今回の「さよなら 丸の内TOEI」は、弊社の若手を中心にしたプロジェクトなんです。

「さよなら 丸の内TOEI」の看板
丸の内TOEIの1階ロビー

──東映最後の直営館ですが、丸の内TOEI閉館への思いは?

小林:それは一言「さみしい」ですね。シネコンでは味わえない、2階席まである511人収容の大スクリーンという空間のワクワク感が失われるのはさみしいです。でも、系列会社のティ・ジョイがシネコンを全国で運営していきますので、今の時代に即したかたちで、そこに魂が受け継がれれば“さみしさ半分、期待半分”だと思っています。

座席数511を誇る丸の内TOEI①の場内

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