なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 神を殺す。

 邪神と交信して恩恵を受けて、そこで満足しているカルトなんかより、よほどぶっ飛んだ目的だ。

 

 フィリップは自覚していないが、口角を吊り上げて先を促す。

 

 「どうやって?」

 

 唯一神は、信仰に拠って生まれた神だ。

 その性質は“限定的不滅”。その存在格を形成するだけの信仰が人々の間にある限り、何度でも復活する。

 

 だから唯一神を殺すには、全人類の根絶が最短にして最速の解だ。

 或いは唯一神を大勢の人間の前に引き摺り出して、復活という単語が頭に残らないほど徹底的に殺し、その様を全人類に語り広めさせ、深層意識に「神は死んだ」と刷り込むか。

 

 ヴィルフォードは両手を広げて、ショゴスを示す。

 

 「分からないのか? 君にも智慧があるのだろう? この見るに堪えない醜悪な怪物たち、冒涜存在の主を、知っているのだろう?」

 

 フィリップは口角を緩めたまま──眉根を寄せ、首を傾げた。

 

 ()()()()()()()()

 

 いや、そりゃあ、ショゴスを作り出した旧支配者、かつて地球の覇者であった『古きもの』のことは外神の智慧にはあるし、知っているといえば知っているけれど、それと神を殺す手段がどう繋がるのかが分からない。

 もしかしたら発狂していて、思考の論理性が崩れているのかもしれないが、それにしてはこれまでの会話が整然としている。

 

 フィリップは一先ず頷くに留め、続きを促す。

 

 「ならば分かるはずだ。私の思惑が。考えるまでもなく。この悍ましく、しかし強大な力を持つ邪神サイメイギの父──」

 

 この、と言うところで、ヴィルフォードはこつりと仮面を叩いて示した。

 フィリップは「強大?」と半笑いで首を傾げたが、突っ込むのは後にして、言葉の先を待つ。

 

 「邪神シアエガ! 即ち、冒涜の王の降臨を以て、唯一神を撃滅するのだ!」

 

 邪神──旧支配者、シアエガ。

 巨大な緑色の目玉に無数の触手を生やしたような姿の邪神。サイメイギの父であり母体。

 

 その権能はヒトにとって都合が良く、封印されているシアエガを、多数のカルトが利用している。

 たとえば、心身双方の傷の治癒。たとえば、延命。たとえば、身体強化。

 

 しかしその存在格は、ヒトでは何の抵抗も出来ない程度には強大だ。

 

 その力で、唯一神を殺す。

 可能か不可能かで語るのなら、一応は可能だろう。

 

 シアエガは旧支配者の中では下位に当たるが、それでも全人類の根絶くらいはできる。

 

 そして──フィリップの頭にあったのは、そんな真面目な思考では無かった。

 

 「……ぷっ」

 

 静謐な教会の中にも、化け物が犇めく空間にも相応しくない、軽い音が漏れる。

 それが何なのか、ヴィルフォードは理解できなかったが、すぐに否応なく理解した。

 

 「くっ……ふふ、ふふふふ……あはははは! あっはははは! ははははは!」

 

 失笑──それに続き、手を叩いて爆笑する。

 フィリップの心中に後から後から沸き上がる感情はそれだけでは収まらず、腹を抱え、椅子から転げ落ち、シアエガを召喚する魔法陣の描かれた石床を叩いて笑った。

 

 抱腹絶倒。

 まさにそう表現できる感情の発露だった。

 

 「はは、あははは、あっははははは! ふぅ、ふぅ……く、ふふふ……あはははは!」

 

 フィリップは思考が吹っ飛ぶほど可笑しかったが、ヴィルフォードはそうではない。

 「何が可笑しい!?」といきり立ち、腕を振って怒りを露わにしていた。

 

 しばらく腹を抱えて、床を叩いて笑っていたフィリップは、笑いの発作が治まるとゆっくりと立ち上がり、また椅子に座り直す。

 しかしヴィルフォードの顔を見た途端、また思い出し笑いの波に飲まれて、更に暫く笑った。

 

 ややあって落ち着きを取り戻したフィリップは、もはや息も絶え絶えだった。

 

 「はぁ、はぁ、んふふふっ……。なるほど、なるほど。そういうことか、ナイアーラトテップ」

 「──はい。ご賢察の通りです、フィリップ君」

 

 ぱち、ぱち、と、ゆっくりとした拍手の音と共に返事が聞こえて、ヴィルフォードが声のした方を仰ぎ見る。

 心の底から愉快そうな表情を浮かべたナイ神父が、二階のギャラリーに立ってこちらを見下ろしながら、深い敬意と嘲りを同時に感じさせる拍手を送っていた。

 

 「カルトじゃなくて道化師か。……うん、こんなに笑ったのは、()()()以来初めてだよ。素晴らしい余興だ」

 

 フィリップは上機嫌に独り言ちる。

 

 「ナイ神父、これはどういうことだ!? 彼はなんだ!?」

 

 状況がまるで分からないと書かれた顔で、ヴィルフォードがナイ神父に向かって怒鳴る。

 対して、ナイ神父はフィリップの感情が感染したように上機嫌な笑みを浮かべた。

 

 「見たままですよ、コルテス卿。貴方は──」

 「──蒙昧に過ぎる」

 

 ナイ神父の言葉を、フィリップが奪う。

 自分の言葉を遮られたことにすら歓喜を催すのか、ナイ神父は感激したように胸に手を当てて一礼した。

 

 ぱち、ぱち、と拍手が起こり、それはやがて万雷の喝采に変わった。

 

 勿論、この教会には誰もいない。

 ナイ神父が拍手しているのは分かるが、それでも一人だけだ。教会全体を埋め尽くし、ヴィルフォードが僅かに頭痛すら感じるほどの大喝采にはどう足掻いても足りない。

 

 それなのに、拍手が聞こえる。歓声が聞こえる。

 ヴィルフォードは思わず後退るが、拍手の音は背後からも、頭上からも、足元からも聞こえる。まるで、世界そのものが何かを称賛しているように。

 

 フィリップには聞こえていないのか、笑い過ぎて痛む頬の筋肉を揉んでニヤニヤしているだけだ。

 

 だが、幻覚ではない。

 絶対に錯覚や脳の誤作動などではないと、ヴィルフォードの本能が断言している。

 

 それが一層の恐怖を掻き立てて、ヴィルフォードの足から力が抜けた。

 尻もちを搗き、這うように下がる。何の思考も無くただ本能だけで、フィリップから距離を取ろうとしていた。

 

 「──一つ、教授(レクチャー)しましょう。一年以上ぶりに大笑いさせて貰ったお礼です」

 

 ヴィルフォードが力の入らない手足を必死に動かして稼いだ距離を、フィリップは軽々と踏み潰して近付く。

 思わずショゴスに命令を下しフィリップを排除しようとしたヴィルフォードだが、気付けば五十以上も居たショゴスの気配は一つ残らず消え失せていた。

 

 「この一幕は特別なもの。舞台に生半な脇役がしゃしゃり出るのは無粋でしょう?」

 

 ナイ神父は誰にも聞こえない声量で、そう呟いた。

 

 「ふふふふふ……」

 

 フィリップは思い出し笑いを溢しながら、後退る気力さえ消え失せたヴィルフォードの前にしゃがみ込む。

 ややあって笑いの発作が治まると、半笑いの口元のまま、深い嘲笑の透ける一瞥を呉れた。

 

 無限に湧き上がる愉快さの波に混じり、心の奥底から突き上がってきた言葉を、丁寧に飲み下す。元あった場所、心の奥底にしっかりと仕舞い込んで封をした。

 決して口外しまいと嚥下した言葉の代わりに、一つの智慧を授ける。

 

 「“冒涜の王”の名が相応しいのは、この世でただ一柱。アザトースだけです」

 

 フィリップの言葉が終わった瞬間、ヴィルフォードは世界から音が消えたような錯覚を味わった。

 

 ……錯覚だ。

 まだ思い出し笑いの発作に苛まれているフィリップが漏らす、喉を鳴らす音は聞こえた。

 

 ならば何故、と考えて、あの世界全体が揺れるような大喝采が消えていることに気が付く。

 代わりに降りた沈黙の帳からは、落胆と、失望と、呆れと、嘲笑と、ほんの僅かな期待と──恐怖してしまうほどの嘆きが感じ取れた。

 

 それはまるで、舞台劇のクライマックスで、主役が台詞を間違えたような。

 

 「えっ……?」

 

 ヴィルフォードの口から、か細い、怯えた声が漏れる。

 フィリップの言葉の意味も、そこに含まれる最悪の名前も、なにも理解することはなく、錯覚から来る絶大な恐怖に溺れていた。

 

 ふっと意識が遠退き、ここではないどこか、今ではないいつかの景色が無数に、一瞬のうちに脳裏に閃く。

 それが走馬灯と呼ばれる現象だと、ヴィルフォードはいやに客観的に理解していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 ヴィルフォード・コルテスという男が信仰の道を進み始めたのは、10歳の頃だった。

 修道院に入って数年を過ごし、神学校に入って神父になった。

 

 そこから先は、教皇庁が下す辞令に従って、国境すら越えて様々な街の教会に勤めた。

 王国に行ったこともある。帝国に行ったこともある。王都に行ったときには、快適すぎてここから出たくないとさえ思った。

 

 あれは、王都勤務という幸運に恵まれた数年後のことだったはずだ。

 良好な勤務態度、篤く深い信仰心が認められて、教皇庁で枢機卿の徒弟となることが決まった。喜び勇んで教皇庁に向かう馬車に乗り──野盗の襲撃を受けた。そして命からがら逃げ出した先の森で、カルトに捕まったのだ。

 

 この世の地獄だと思った。

 

 そこには何も無かった。

 会話。道徳観念。信仰。祈り。論理。自我。そういった人間がましいものが、何も無かった。

 

 そこには全てがあった。

 罵倒。尊厳破壊。冒涜。拷問。狂気。姦淫。そういった避けるべきものの、全てがあった。

 

 顔の火傷を負ったのも、この時だ。

 

 ヴィルフォードは何も見ないように固く目を瞑り、聖句を唱え続けた。

 自分を失わないように──自分を失った結果として。

 

 そこから助け出された時のことは、ほとんど覚えていない。

 だが──修道院でも変わらず自失状態だった自分が、まともな思考を取り戻せたのは、間違いなく彼女のお陰だった。

 

 幾度となく自分の元へ通い、語り掛けて、深淵の底に埋まっていた精神を引き上げてくれたエイレーネ。

 精神が幾らか安定した後は、信仰について語り合ったり、他愛のない話をした。

 

 他者との交流の甲斐あって仕事に復帰したヴィルフォードは、枢機卿の徒弟になって──そこで、彼女と再会した。

 

 そこから先は早かったが、苦労もあった。

 大前提として、聖職者の姦淫は忌避されている。恋愛絶対禁止というわけではないが、慣習的に結婚する司祭はとても少ない。

 

 枢機卿を目指していたヴィルフォードのことを慮って、エイレーネは婚姻関係を周囲にひた隠そうと言った。

 幸いにして、元秘匿部隊の彼女の情報統制能力は、ささやかながら結婚式を挙げられるほどだった。

 

 それから少し経って、娘が生まれた。

 かつての聖人の名を頂戴して“ニノ”と名付けた彼女は、両親をよく見て育ち、敬虔な信徒になった。毎日の祈りを欠かさず、神の教えに従って善良に生きていた。

 

 ヴィルフォードは枢機卿になり、妻と娘に豊かな生活と、一緒に居る時間も多くなった。

 ──思えば、ここが幸せの絶頂期だったのかもしれない。

 

 ニノが10歳になった頃だった。

 “眠り病”と呼ばれる流行り病に、ニノとエイレーネが侵されてしまった。

 

 奇跡的にヴィルフォード自身は無事だったが、二人は日に日に覚醒時間が短くなっていく。

 確立した治療法はなく、半ば迷信的に「効く」とされた薬草を、同じ病に侵されて運動機能が著しく低下しているエイレーネが取りに行ったこともあった。あの時はヴィルフォードも、珍しく本気で怒ったものだ。

 

 エイレーネは笑っていて、ニノも呆れつつも笑顔で。

 森の魔物を物ともせずに採ってきた薬草をヴィルフォードが煎じて、二人がそれを飲んで。みんなで神様にお祈りを捧げて。

 

 その翌日にエイレーネが死んだ。

 ニノは母親の死を大層悲しみ、それでも祈りを忘れない美しい心を持っていた。

 

 そのニノも、三日後に死んだ。

 

 

 ──神は、二人を救わなかった。

 

 ──神は、誰も救わなかった。

 

 

 二人の祈り、ヴィルフォードの祈り、数多の人々の祈りに見向きもしなかった。

 

 ──ならば、そんな神は必要ない。

 

 神を殺す。

 そう決めたヴィルフォードは、カルティズムについて研究し始めた。……思えば、これも狂気だったのかもしれない。

 

 聖国近辺だけでなく、あらゆる地方のカルトについて調べていくうちに、当然のように“使徒”に捕捉された。

 しかしどういうわけか、部隊指揮官であるペトロ、或いはナイ神父と呼ばれる男は、それを他の枢機卿や部隊内部で共有しなかった。その理由は終ぞ明かされなかったが、彼の紹介で、ヴィルフォードはある男と引き合わされ、邪神の知識を手に入れた。

 

 “啓蒙宣教師会”なる組織──男は「組織ではなく、同じ思想を持つ個人の集団」と言っていたが──に属した彼は、魔導書の断片だというパピルスを快く譲ってくれた。

 

 

 それから、三十年が経った。

 パピルスの内容の解読それ自体にナイ神父の協力が得られなかった──手伝ってくれとは頼んだのだが、そこだけは手を貸せないと頑として断られた──のは手痛かったが、彼はそれ以外のあらゆる協力を惜しまなかった。

 

 邪神降臨は、彼の協力無くしては不可能だっただろう。

 200年の寿命なんて持ち合わせていないし、人間はそこらを歩いてはいるが、ヴィルフォードは眼球を奪うような戦闘能力を持っていない。女子供ならまだしもだが、それを手に掛けるのは躊躇われた。

 

 ナイ神父の手を借りて、寿命を延ばすワインや、眼球集めに適した怪物を使役する方法なんかを教わった。

 

 儀式の方法について、魔法陣の描き方や召喚の呪文、具体的に必要な寿命の量や眼球の個数なども完璧に読み解いたのは、つい最近のことだ。

 

 それから本格的に動き出して──聖痕者がこの町を訪れた。

 勿論、それはスケジュールとして把握していたし、彼女らがこの町にいる間は、万全を期して息を潜めるつもりだった。

 

 だが、ショゴスの制御が甘かった。

 ヤツらはそれまでに命じていた眼球集めを忠実に実行して、不運なことに、聖痕者の連れの少年を襲った。しかも最悪なことに、その少年は黄金の騎士王レイアール・バルドルとも親しいようだった。

 

 このまま息を潜めるか、その少年を殺して闇に葬るか。

 一先ず、レイアール卿が会議中で助けに行くことはできない時間を狙って、もう一度ショゴスに襲わせた。──駄目だと分かった。

 

 駄目だ。

 この少年を放置するのは得策ではない。

 

 直接戦闘能力自体は、亡き妻に数段劣ることが、素人のヴィルフォードにも分かった。

 しかし、彼もまたヴィルフォードと同じくカルトの知識を持ち、ナイ神父が警戒するほどの領域外魔術師(メイガス)だという。

 

 ならば、とサイメイギの延命ワインのバリエーション違い、サイメイギの隷属ワインをナイ神父に用意させ、食事の席に出すよう仕向けた。子供がワインを飲むかは不明だったが、本人が飲むならそれでよし。同行している聖痕者二人が飲めば、あとは彼女たちがやってくれるだろう。

 

 聖痕者二人と、謎の少年。不安要素を同時に取り除ける、一石二鳥の策だった──そのはずだった。

 

 彼の知識量と感覚は、人間の域から突出している。

 ナイ神父の報告によると、彼はサイメイギの隷属ワインに気付いたばかりか、邪神の永遠の従者に成り果てたウェイトレスを自分の手で殺したという。

 

 次の日には、ショゴスの生産とワインの保管、解読作業に使っていた地下墓地が襲撃された。

 

 おかしい。

 これはどう考えてもおかしい。

 

 こんな──たった数日で、三十年もの月日をかけた計画が、こうも揺らぐというのか?

 

 もはや一刻の猶予もない。

 じっと息を潜めるだけでは、彼の目を掻い潜ることはできないだろう。魔導書を解読する時に使った何冊ものノートや、儀式の方法を記したメモなんかを保管していた私室に侵入されたと聞いた時に、その推測は確信に変わった。

 

 やるしかない。

 

 神を殺したければ、自分が殺される前にやるしかない。

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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