なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 ぎちぎちと、筋繊維と肉が圧搾されて軋む音を聞くのは、これで二度目だった。

 肩口を自分で縛った時とは違う、他人の、リミッターの外れた人間の握力で首を絞められ、一瞬で意識が明滅する。

 

 「……あ。いあ いあ さいめいぎ あぐる うがあ なふるたぐん あい さいめいぎ いあ いあ」

 

 ウェイトレスの虚ろに開いた口から、意思の籠らない音の羅列が垂れ流される。人間の喉から出る音で何とか再現した、不格好な讃美歌だ。

 フィリップが暴れているおかげでルキアとステラには聞こえていないだろうが、フィリップには彼女の状態がはっきりと理解できた。

 

 ()()は、もう死んでいる。肉体的にも、精神的にも。

 あのウェイトレスと同じ部分は外見だけだ。人の形をしているものの、人の肉と同じ原理で動いていないし、人の精神と同じ論理は通じない。

 

 サイメイギの隷属ワインによって、彼の神の永遠の従者になっていた。

 

 「フィリップ!? ──ッ!」

 

 ルキアが慌てて腕を振り、その軌道上に数十の小さな光球を浮かばせる。

 周囲の暗転が起こらないということは、光収束・エネルギー変換投射魔術『明けの明星』ではない。あれは弾道制御を完全に捨てなければ行使できない直線破壊魔術だ。

 

 光球は残光を曳く光の弾丸となって撃ち出され、フィリップを避けるように鋭く曲がってウェイトレスの胴体を穿つ。

 数十の魔術全てが完璧な誘導の果てに命中し、指先ほどの穴を幾つも開け、内容液を溢す。

 

 「レジストされたというより、急に対象が切り替わったような感覚だったが……これも効かないのか」

 

 ステラが指を弾いたのを合図に、ウェイトレスの両肩に炎の輪が燃え盛る。

 肩から先に伝わる脳の命令や筋肉の動きを、神経や筋肉そのものを燃やし尽くすことで遮断する、苛烈無比な制圧魔術だ。

 

 しかし、フィリップの首を絞める力は変わらず一定だ。

 フィリップが苦し紛れに突いた片目が潰れ、掴んで千切るように引いた喉が潰れ、打ち下ろし気味の縦拳が鼻と人中を砕いて、それでも止まらない。

 

 痛みを感じるという機能さえ無くなっている。

 フィリップを殺すことも、彼女自身の意志ではなく、彼女が口にしたワインに命じられるまま、操り人形のように従っているだけ。もう、止めようがないのだ。

 

 「ぁ、がっ……」

 

 フィリップの喉から、意味の無い苦悶の音が漏れる。

 自発的な発声ですらないそれはむしろ、ルキアとステラに多大な動揺を齎した。

 

 フィリップは相手を殺すための攻撃を諦め、自己防衛に戦術を切り替える。

 自分の首に食い込んだ小指を掴み、折る。小指は最も非力だと思われがちだが、実は物を握るときに最も重要になる。特に剣を握るときに小指を怪我していると、その実力は半減レベルで下がるとウォードが言っていた。だから掴み合いになったら小指を折るんだよ、とはマリーの言だ。

 

 小枝を折るような軽い音を立て──それでも、握力は変わらず一定だ。

 フィリップより人体の構造に詳しいステラが、表情を苦々しく歪めた。

 

 「腕を落とせ」

 「っ! 了解よ」

 

 また胴体を、今度は主要臓器に狙いを定めて撃ち抜こうとしていたルキアが、その一言で照準を変更する。

 フィリップを避けるように部屋の中をジグザグに走った光の弾丸が、ウェイトレスだったものの両腕を穿ち、飛ばした。

 

 「が、かはっ、げほげほっ……クソ。《萎縮(シューヴリング)》!」

 

 本体から切り離され、流石に力を失った両腕を掴んで投げ捨てたフィリップは、失くした両腕から夥しく出血しているウェイトレスだったものに即死魔術を飛ばす。

 有機物を脱水炭化させる凶悪な攻撃魔術はしかし、なんの効果も齎さずに終わった。

 

 「カーター、下がれ! そいつはもう人間の域を出ている!」

 「フィリップ、こっちへ! 私の後ろに!」

 

 ルキアとステラが魔術を照準しながら叫ぶが、フィリップの耳に入るのは不明瞭なノイズだった。

 何の術理も無い握力任せの首絞めだったが、リミッターの外れた人間の力で扼撃され、脳に回る血流が滞り、聴覚や思考に一時的な障害が起こっている。

 

 「フィリップ!」

 「馬鹿か、不用意に動くな! 相手の正体も分からないんだぞ!」

 

 咳き込み、ふらふらと覚束ない足元で立っているだけで動こうとしないフィリップに、ルキアが駆け寄ろうとしてステラに止められる。

 

 「あー……げほっ、げほっ」

 

 フィリップは頭を振り、咳き込む。

 首を絞められて反射的に滲んだ涙のせいで視界が霞む。思考はクリアだが、回転速度が著しく遅い。

 

 よろよろとよろめきながら後退したフィリップをルキアが抱き止め、幽鬼の足取りでそれを追ったウェイトレスの成れの果ては、

 

 「《ステイク》」

 

 ステラの放ったごく小規模な火災旋風に呑み込まれた。

 強烈に吸気する火災旋風に巻き込まれたカーテンやカーペットが、一瞬で灰になって消える。石造りの内壁で照り返した炎がフィリップへと舌を伸ばし、間一髪でルキアの魔力障壁が防いだ。

 

 轟々と燃え盛る焚刑の炎は、罪人の絶叫すら掻き消す高火力だ。

 本来は『フレイムプリズン』という上級高速魔術だったものを攻撃型に改良した、ステラのオリジナル。人間一人を殺すには十分と自負するだけの火力がある。

 

 ──しかし、

 

 「……冗談だろう?」

 

 魔術の効果時間が終わり、焼けて脆くなった骨に僅かな肉の燃えカスが付いただけになった残骸が、幽鬼の足取りで一歩を踏み出す。

 火刑に処された罪人の骸が未だ動いているような凄惨な光景に、ステラが思わず呆然と呟いた。

 

 身体を動かす筋肉なんて、とうに焼け付いて炭になっているのに。

 水分が蒸発した眼球は焼けて崩れ、ぽっかりと空いた眼窩が、ルキアとステラを睨み付けて、ゆっくりとこちらに向かって来ていた。

 

 かつては同じ人間であったものの、その形状しか残さない異常なモノが一歩を踏み出すごとに、ルキアとステラの中に強烈な嫌悪感が沸き上がる。自分と同じ形をしていたものの無残な姿は、自分もそうなる光景を強烈に想起させるからだ。

 

 「──ア」

 

 肺も気管も完全に焼け付いているはずの口から、憎悪に塗れた声が漏れる。

 炎が空気を食うシュウシュウという音と、薪代わりの肉が爆ぜるパチパチという音に混じるのは、邪神を讃える言葉だ。

 

 「イア イア──ア」

 

 ざく、と炭の砕ける音を立てて、焼けた死骸の顎が崩れる。

 フィリップ渾身の拳──ではなく、椅子が、その破壊の原因だった。

 

 重く硬い高級な木材が使われ、精緻な装飾の施された椅子を掴み、半ば投げ飛ばすように振り回して殴り付ける。

 水分を失って軽くなった骸は壁まで吹っ飛んで、背中と顔がボロボロと崩れた。

 

 その光景もまた、甚大な不快感を催させるものだったが、フィリップは気にも留めず、椅子を引き摺って近付き。

 

 ざく、と、椅子を振り下ろして、炭の塊を砕いた。

 ざく、ざく、ざく、と、硬い地面を耕すような調子で、何度も何度も椅子を振り下ろし、人間の残骸を粉微塵にする。

 

 その欠片がぴくりとも動かなくなるまで、入念に、丁寧に。この醜悪なものが、フィリップの大切なものを穢さぬように。

 

 「……」

 

 その間、フィリップはずっと無言だった。

 低俗すぎて愛玩の念すら湧くショゴスとは違い、サイメイギはちょうどいい位置だ。

 

 ちょうど──かける言葉も浮かばない、その必要性すら感じない劣等存在だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 多少の物音なら遮断する高級レストランの個室の壁は、今や概念の炎に巻かれて隔絶された隔離空間の壁になっていた。

 音も、光も、当然ながら魔術や矢などの攻撃も完全に遮断する、空間隔離魔術『煉獄』。フィリップが炭の塊を破砕する騒々しくも身の毛のよだつ音を、食事中であろう生徒たちに聞かせないための──様子を見に来させないための配慮だ。

 

 ことを終えたフィリップの顔が、疲れ切っているのにアドレナリンで冴え切った、どこか空虚にも見えるものであることに、ルキアとステラは安堵した。

 今までに見たことが無いような表情だが、それ故に、今までに見たことが無い苛烈な破砕行為を終えた後の顔として、簡単に納得できるものだったからだ。

 

 「ふぅ……」

 

 ごと、と、乱暴に扱っても壊れない硬く高級な木材で組まれた椅子を置いて、フィリップはふらふらとそこに座った。

 

 両手が、両足が、許容限界付近の筋力を引き出すためのアドレナリンに溺れ、ぷるぷると震えていた。

 ウルミという筋力ではなく身体の柔軟性と技量で振るう武器を使っているフィリップに、重いアンティークの椅子を何度も何度も振り回すような筋肉は無い。脳内物質様々、火事場の馬鹿力万歳である。

 

 「すみません、お水とってください。……どうも。……あわわわ」

 

 恐怖も無く、動揺も無く、ただ逼迫した必要性に駆られて分泌された神経物質が分解されきっておらず、ぷるぷる震える手がグラスの水を溢す。或いは純粋な筋肉の疲労も原因の一つかもしれない。

 

 手伝おうとしてくれたルキアを照れ混じりに制して水を飲み、ほっと一息ついた。

 

 「……二人とも、大丈夫ですか?」

 

 怪我はないか、恐怖や混乱といった狂気に繋がる精神負荷は許容範囲内か、どうやら遅効性らしいサイメイギの隷属ワインを飲んでいないか。様々な不安を内包した簡潔な問いに、ルキアとステラは互いに顔を見合わせた後、しっかりと頷く。

 

 「えぇ、平気よ」

 「むしろお前の方こそ大丈夫か? 腕がぷるぷるしているが……鍛え方を偏らせ過ぎたか?」

 

 フィリップを安心させようという気遣いの滲むステラの軽口にニヤリと笑ったフィリップは、「そんなことないですよ」と腕を曲げて上腕二頭筋を隆起させ、力こぶを作る。いや、作ろうとするが、完全に筋肉量が不足していた。

 少しだけ弛緩した空気の中、ルキアが恐る恐るといった風情で囁く。

 

 「……今のが、『死後も含めた永遠の忠誠』ということ?」

 「はい。それで……そんなことより、もっと大事な問題があります。だいじで、おおごとな問題があります」

 

 フィリップの言葉に、二人は一瞬も考えることなく頷く。

 このショッキングな出来事の直後でもそれなりに冷静なルキアとステラは、言われるまでも無くその“問題”に思い当たっていた。

 

 「このワインを持っていくよう、ナイ神父に指示した人物。及びその狙いは何か、ということだな」

 

 邪神が──このワインの製造元、というより原産元であるサイメイギが、直接企図したものではない。

 それはフィリップには確信を持って言えることで、ルキアとステラは神の思し召しならば出来ることなど無く、考えるだけ無駄なことだった。

 

 「このウェイトレスは、ナイ神父が「枢機卿の使いで来た」と言っていましたよね。加えて今のナイ神父は、完全に教皇庁に属する一人の神官として動いています。と、なると──」

 

 フィリップは誰の真似か、ぱちりと指を弾いてある一方を指す。

 その先にあるのは部屋の壁だが、その更に遠くには教皇庁がある。大陸一高価な教会、枢機卿たちの宮殿が。

 

 「容疑者は200人ですね。……200人かぁ。全員殺しませんか?」

 

 暫定的に敵対者をサイメイギ信仰のカルトと仮定しているフィリップは、とりあえず冗談半分に、そう提案してみる。

 カルトだと確定していれば実行に移しかねないという危惧は、ルキアとステラだけでなくフィリップ自身も自覚していた。

 

 

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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