なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

200 / 591
 もう200話ですって。
 ……もう200話!? あばばば……(発狂)

 ここまで書けたこと、これからも書いていきたいと思えること、本当に嬉しく思います。
 ラヴクラフト御大、後続の作家様方、そして読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

 推せるうちに推してください。


200

 意外と、と言うべきか。

 いや、当然、と評価すべきだろう。

 

 フィリップ対雄牛という理不尽なカードの対戦は、しかし、5分間も続いていた。

 

 腰に巻いていた赤いパレオのような布を取り、鞭のように振り回すフィリップは、身に付けた攪乱の歩法『拍奪』を最大限に使い、雄牛の突進を躱し続けている。

 息を荒らげているのは雄牛だけで、フィリップはまだまだ余裕の表情だ。不敵な笑みさえ浮かべている。

 

 ステラの再現した中級程度の戦闘魔術師の魔術攻撃を躱し、先月には強力な吸血鬼とも対峙した経験があるのだ。

 地響きすら起こす重い突撃は、鈍重でしかない。

 

 紙一重とか間一髪とか、そんな形容が全く当てはまらない、軽々とした回避を見せる。

 それでも、自分を狙って突き出された硬い角と、すぐ後を通過する分厚い筋肉の塊は、その直撃が人体に齎す痛打を容易に想像させた。

 

 だが、恐れは無い。

 恐れる必要が無い。恐れるという機能が正常に働いていないことを度外視しても、だ。

 

 「いいぞー!」

 「もっと布を振れーっ!」

 「すごーい!」

 「かっこいいー!」

 「もう一頭連れて来い! もう二頭でもいいぞーっ!」

 

 声援を送るのは、沿道の建物から眺める観客だけではない。フィリップが牛を引き付けてしまったことで手持無沙汰になった参加者たちが、遠巻きになってギャラリーを形成していた。

 周囲の歓声を遠くに聞いたフィリップが呆れたように口角を上げ、それを見たギャラリーが一層盛り上がる。

 

 余裕の笑みに見えたのだろう。

 フィリップとしては、スタミナの総量で絶対に負けている相手との対面遅滞戦闘、攻撃制限、回避失敗は即敗北というヘビーな状況を、さらに一対多にして欲しくはないところだが。

 

 いつの間にかルキアとステラまでギャラリーに混ざり、応援とも歓声ともつかない声を上げている。流石に危なくなったら魔力障壁でカバーしてくれるとは思うが、もう一頭来たらあっちに丸投げしようと思う程度には安全圏にいた。

 

 視界の端にそんな二人が写り、すぐにフェードアウトする。

 当然だ。暴れ狂う雄牛を前に、足を止めている余裕は無い。全力機動ではないにしろ、そこそこ真面目に走り続ける必要はあった。

 

 右手に持った赤い布を一瞥し、決め手に欠けるなぁ、なんて考えた自分の思考に苦笑する。

 

 殺傷ではなく制圧のための武器として用意したウルミがあれば、たぶん何とかなる。

 だが、これは戦闘ではなくイベント、お祭りだ。楽しむことと、楽しませることが本懐。

 

 だから──

 

 「おまえがわたしを戦士と認めたように、わたしもおまえを認めよう。だから神よ、月よ、星々よ、わたしたちの決闘を聖別されよ! 何人も犯せぬ白百合のように!」

 

 赤い布を剣のように突き付け、声高に叫んだフィリップの口上に、観客の一部で興奮と歓声が爆発する。趣味を同じくする者たちなのだろうと、それを受けるフィリップ自身も口角が上がった。

 

 フィリップが引用したのは古典に分類される英雄譚『エイリーエス』の一節だ。

 理性無き怪物と言われていた双頭の人食い雄牛を対等な好敵手と認め、一騎討ちをするシーンの台詞なので、咄嗟に出てきたことに思わずニヤついてしまう。

 

 あぁ、これはいい。

 万一の場合にはルキアとステラがカバーしてくれるという信頼感、ヨグ=ソトースの庇護という絶対無敵にして被害規模不明の防護が発動するようなことにはならないという安心感──本当に心の底から『自分も周りも安全だ』と思える日が来るとは思わなかった。

 

 敵が弱い。正確には敵ですら無いのだけれど。

 味方が強い。正確には二人ともギャラリーになっていたけれど。

 

 そして何より──フィリップ自身が強くなっている。凶暴化した雄牛程度なら、問題なく相手取れるほどに!

 

 あぁ、なんて、なんて楽しい──!

 

 フィリップの笑顔が内心を反映した、獰猛なものに変わる。

 対面した獣と同じような、獣性に満ちて野蛮な笑顔だ。普段の温和なものとも、子供っぽいものとも、時折見せる嘲笑と冷笑と諦観を綯交ぜにした複雑なものとも違う。

 

 楽しいと、ただ笑う。

 感情を理性で制御するのが人間だとすれば、「人間らしい」振る舞いとは呼べないかもしれない。だが、それは「人間臭い」笑顔だった。

 

 ルキアは嬉しそうに口元を緩め、ステラはどこか羨ましがるように眩しそうに目を細めて、暴れ牛を相手に大立ち回りを演じるフィリップを見つめていた。

 

 フィリップが手癖で整形(フォーメーション)するように振った赤い布の動きに誘われて、雄牛が何度目かになる突撃姿勢を取った。

 

 蒸気のような鼻息。荒い呼吸が全身の筋肉を稼働させる大量の酸素を供給する。

 こちらの目を見据えて放さない、闘志に満ちた双眸が残光を曳いた。

 

 腕ほどもある立派な角が下がり、照準される。

 そこに刻まれた無数の傷跡は、自分と同格の相手をねじ伏せてきた証、勲章だ。眼前のひ弱な人間などに、本来は向けられるものではない。

 

 ざり、ざり、と前掻きをする雄牛。

 自分よりも巨大で、強靭で、堅牢な、鉄のような筋肉の塊。先端部には一メートルの衝角付きだ。

 

 単純な体格差が本能を刺激し、恐怖も無いのに身体が強張る。

 

 その緊張も、無責任に楽しそうなのにどこか心配そうな声援も、目の前の本能的殺意の塊も、何もかもが愛おしい。

 近くで見ているルキアとステラを、どこかで見ているであろうマザーを、あとで語り聞かせるであろうシルヴァを、楽しませたいと思っている自分自身に笑ってしまう。

 

 その一呼吸を見逃さない、先天的戦闘能力の塊。

 観察力、体格、体力、武器。その全てを持ち合わせた怪物が、動いた。

 

 石畳を蹴る一歩目。──まだだ。

 二歩目と同時に頭が下がる。──まだだ。

 打ち上げ体勢に入った三歩目も、まだ早い。まだ耐えられる。

 

 加速した意識の中、観客を楽しませるためだけに行動を遅らせ、間一髪の回避を演出しようとしている自分を客観視する。

 

 これは慢心か? ──そうだろう。

 これは油断か? ──そうだろう。

 

 では、これは愚行か? ──否。

 

 観察が、智慧が、経験が、信頼が、それは違うと否定を叫ぶ。

 

 敵の動きは見えている。

 この程度の相手は脅威ではない。

 もっと速くて強い吸血鬼を知っている。

 背後にはルキアとステラ、周囲にはヨグ=ソトース。

 

 ほら、大丈夫だ。

 

 「──ッ!」

 

 息を呑んだのか、息を吐いたのか。

 そもそも今のは、誰の呼気なのか。フィリップ自身も、周囲の観客も、誰も分からないほどシンクロした。

 

 全力行使した『拍奪』の歩法が、雄牛がフィリップに直撃し、そのまますり抜けたように錯覚させる。

 惑わされなかったのは、見慣れつつあるルキアとステラくらいだろう。

 

 一瞬の静寂。

 フィリップの靴音と雄牛の蹄音、二つの荒い吐息だけが世界の全てになって、そして。

 

 『うおおおぉぉぉぉぉッ!!!!』

 

 歓声が、爆発した。

 

 「何だ今の、すっげぇ!」

 「当たっちゃったかと思った!」

 「すごいすごい! まだ子供なのに!」

 「あ、あれぐらい俺にもできるし?」

 「いや無理だろ! ブラックバッファローだぞ!?」

 「かっこいい! ぼくも、ぼくもやりたい!」

 

 頭上、建物の窓から覗く観客と、地上階から見物している観客、そして参加者が遠巻きになって作ったコース上のギャラリーが口々に賞賛する。

 フィリップはそれに応じるように手を振りながら、しかし、未だ闘志の衰えない黒い雄牛からは視線を外さない。

 

 後ろ脚を軸にして回るような挙動で、90度ずつ転進する雄牛。その機動力は、体格に見合わぬほど高い。

 

 だが──ディアボリカよりは遅い。

 

 もはや盛り上がりは絶頂にある。これ以上、妙な演出を入れる必要はないだろう。

 それなら余裕だと、フィリップはまた高を括った。

 

 盛り上がりは最高潮だったはずの観客から、もう一段階大きな歓声が上がる。

 

 「もう一頭来たぞ!」

 「頑張れ英雄! 双頭の雄牛だ!」

 

 

 ──いや、それは無理。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 結局、傷付いた英雄は二人の美しい聖人によって救われた。

 具体的に言うと、その場での攪乱から逃走に切り替えたフィリップがバテ切ったところを、ルキアとステラが魔力障壁で保護した。

 

 珍しい歩法を身に付けたエンターテイナーの少年と、雄牛の突撃を難なく受け止める堅牢な魔術障壁を使い、更には舞台女優より秀麗な容姿の少女たちに、沿道からは惜しみない拍手と喝采が贈られた。

 

 ちなみに、シルヴァは「なかよくなった。しるばのけんぞく」とか言いながら、自分の突進に自信を失くして意気消沈した様子の雄牛に乗って帰ってきた。

 それを見て爆笑していたフィリップたち──ルキアですら、口元を覆って肩を震わせていた──は、しばらくして、波のように襲い掛かった羞恥心に悶えることになる。

 

 フィリップたちというか、主にフィリップ一人だが。

 祭りの熱気に中てられたとはいえ、あんな舞台俳優みたいなことをするつもりは、少なくともスタート前には全くなかったのに。

 

 じわじわと募っていた羞恥心が爆発したのは、夕食のときだ。

 

 AクラスとBクラスの生徒の夕食会場として指定された、海鮮料理の有名なレストラン。

 店内に入った瞬間に、店員の一部と、生徒の一部にさざ波のような密談が伝播する。

 

 もはや内容を聞きたいとも思わなかったフィリップは、深々とした溜息で黙らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。