海と産業が生む地方拠点力
愛媛県北東部に位置する今治市。同市の人口はわずか14万6721人(2025年3月時点)にすぎない。しかし、この地方都市が日本最大級の造船・海運拠点として機能している事実は、数値を見れば圧倒的だ。
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2021年度時点で、今治の船主が保有する外航船は約1100隻にのぼる。これは国内全体の約3割を占める規模であり、建造量ベースでも、国内造船の約35%が今治市内の企業によって担われている。
なぜ、これほどの集積が地方都市に生まれたのか。地理的優位や歴史的経緯だけでは、この構造的な強さは説明できない。今治が
「世界に誇る海事都市」
として位置づけられるに至った背景には、
・産業集積
・制度設計
・人材育成
・地域経済戦略
が有機的に結びついた、極めて高密度なエコシステムの存在がある。
港町から躍進する産業拠点
今治市は古代から海上交通の要衝として発展してきた。平安時代には伊予国の国府が置かれ、江戸時代には今治藩の城下町として栄えた。
近代に入ると、繊維業と造船業を柱とする工業都市へと成長。今治タオルの名は全国に広がり、今治造船は国内最大規模を誇る造船企業へと成長した。
1920(大正9)年、今治町と日吉村の合併により旧今治市が誕生。2005(平成17)年には周辺11町村と合併し、現在の今治市が発足。人口は18万人を超え、愛媛県で松山市に次ぐ規模となっている。
しまなみ海道の開通により、広島県尾道市と直結。観光や物流の拠点としての存在感を増す一方で、島嶼部は過疎地域に指定され、地域振興や人材確保といった課題も抱えている。
今治の造船業は、波止浜湾に立ち寄った潮待ち船の修理から始まった。天然の良港であり、海上交通の要衝であったことがその背景にある。やがて船舶修繕は地域産業として根付き、明治期から戦前にかけては木造帆船や漁船の建造が中心となった。
戦後の経済復興と船舶の大型化にともない、鋼船の建造が主流となる。特に来島船渠(現・新来島どっく)は、建造費を月賦払いで受け取る仕組みを導入し、資金力のない船主にも建造を促した。この方式は他社にも波及し、シリーズ建造の拡大とともに今治の造船産業は大きく成長した。
1970年代には今治造船が香川県丸亀市へ、新来島どっくは今治市大西町へ進出。地域外にも造船拠点を拡大した。一方で、オイルショック後の業界不況では波止浜造船の倒産など再編が進み、今治造船を中心としたグループ化が加速した。
国内新造船の三割担う集積地
現在、今治市には14の造船所が稼働。2022年には約80隻の新造船を竣工し、国内シェアは約20%に達した(『愛媛新聞』2024年5月29日付け)。。今治市内に本社や拠点を置く造船グループ全体で見れば、日本で建造される船の約30%を担う。
加えて、舶用エンジンや電機・空調・クレーンといった機器を手がける舶用メーカーも成長。市内には関連企業約160社が集積し、「海事クラスター」と呼ばれる一大産業集積地を形成している。
2005年には今治地域造船技術センターが設立され、企業の枠を超えた技能継承と人材育成に取り組む。現役技能者を講師に迎えた研修では、1000人以上の人材を育成。2016年には今治工業高校に「機械造船科」も新設され、地元からの人材供給にも力を入れている。
今治市には多数の船主(船舶貸渡業者)が拠点を構え、「今治船主」あるいは「愛媛船主」の名で知られる。北欧、香港、ギリシャ・ピレウスと並び、世界四大船主都市と評されている。
1956(昭和31)年に瀬野汽船が外航船の建造・貸渡を初めて実施して以来、今治の外航船主モデルは拡大。現在、主要な約50社が外航船800隻を保有し、国内の外航船保有量の約30%を占める。さらに、内航船についても約220社が事業を展開し、県内シェアは60%を超える。
こうした海運業の拡大は、船主向けに特化した法律事務所、海上保険会社、専門金融機関など関連産業の集積も生んでいる。造船、舶用機器、船主、サービスが連携した海事クラスターは、今治市経済の根幹をなす存在である。
制度が生む海事の競争優位
今治は瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、波止浜湾に代表される天然の良港を抱えるなど、地理的にきわめて有利な条件を備える。ただし、こうした特性は他の沿岸都市にも共通しており、今治だけが際立って発展した理由にはならない。
今治を特異な存在にしているのは、
・産業集積の密度
・制度的連携
の圧倒的な強さである。造船会社、舶用機器関連企業、外航海運会社がひとつの市域に密集する構造は、国内では他に例がない水準だ。
加えて、こうした産業群を横断的に支援・統括する組織体制が整っている点も注目に値する。今治地域造船技術センターや海事都市交流委員会といった組織が、情報・人材・資金の市内循環を促進し、産業全体の持続性と機動力を高めている。
さらに、造船業に不可欠な部品サプライヤー、専門金融、法律、教育機関が、物理的にも“徒歩圏内”に集積している。この近接性が取引コストの最小化、意思決定の迅速化、リスク分散を同時に実現している。
今治では、産業政策で語られる規模の経済や範囲の経済が、抽象理論ではなく、日々のビジネス活動のなかで具体的な成果として機能している。都市と産業が一体となって進化を続ける、そのモデルケースが今治である。
行政一体化の交渉力強化
2005年の12市町村合併は、今治の産業集積に制度的な裏付けを与えた決定的な転換点だった。これまで分散していた造船・海運関連企業がひとつの自治体に統合されたことで、地域全体の交渉力と計画実行力が大幅に強化された。この行政一体化により、
・港湾整備
・税制優遇
・人材育成
・企業誘致
といった政策を自治体が集中的かつ継続的に推進できる環境が整った。結果として、国土交通省や日本政策投資銀行など中央政府機関との連携が強化され、シップファイナンスや事業再編支援といった巨大資本の誘致も可能となった。
造船業界はグローバル競争の激化により、スケールメリットと資金力がより一層求められる。今治造船は系列の「ジャパン マリンユナイテッド」との提携を通じて国際的プレイヤーへの再編を進めているが、その背景には地域の産業集積と行政の推進力が不可欠だった。行政と産業が連携し、グローバル競争力強化の基盤を築いている。
職住近接が生む生産性
今治は工業都市にとどまらず、海事教育においても充実している。市内には波方海上技術短期大学校、近隣には弓削商船高等専門学校という専門機関が設置されている。ここで即戦力となる人材を地元で育成し、そのまま地域内で就労させる体制が整っている。この仕組みは、製造業やサービス業が抱える
「人材確保と定着」
という課題に対し、全国的にも稀有な成功例だ。
さらに、海事クラスターの大半が今治市内に集積していることで、通勤時間が短縮され、生活の安定性が高まっている。職住近接を背景に労働生産性の向上も実現している。一方、
「海賊」
という言葉には負のイメージが付きまとうが、今治の村上海賊は事実上の海上保安機構だった。安全な航行の担保、水先案内の提供、航海術の蓄積。これらは現代の海運・造船技術の原点にほかならない。
近代においては、八木亀三郎のような企業家が製塩業から水産業、缶詰加工業へと事業を水平展開した。これはバリューチェーンの水平統合を先駆けて実践した例だ。蟹工船の母船式操業という発明は、今治の海事技術力の国際的評価を高める契機となった。
デジタル化で競争力再構築
現在、今治が直面する最大の脅威は、造船価格の国際的な下落と中韓造船企業による過剰生産だ。特に、中国が造船を国家戦略産業として強力に支援している現状では、日本の中小造船企業が太刀打ちするのは困難を極める。
さらに、今治に産業が集中している構造自体もリスクをはらむ。リーマンショックやCOVID-19のパンデミック時には、船主の発注が一斉に減少し、造船・海運業は深刻な打撃を受けた。経済変動や災害に対して脆弱な面が露呈している。
こうした構造的な課題に対し、今治は既に次の一手を打ち始めている。ひとつは舶用工業のハイテク化だ。もうひとつはデジタル海事管理技術の導入である。
・自律航行船
・遠隔操縦
・デジタル造船所(スマートヤード)
などの最先端技術の開発と実装を進め、国際競争力の再構築を目指している。
同時に、既存の造船技術者を対象にしたデジタル研修や、中高生へのSTEM教育(Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の4分野を総合的に学ぶ教育)支援も強化している。これにより、労働集約型モデルから知識集約型モデルへの転換を、地方都市としていち早く試みている点は特筆に値する。今治の産業構造の未来を左右する重要な挑戦といえるだろう。
密度で勝負する地方都市戦略
地方創生が叫ばれて久しいが、多くは観光や農産物に依存した短期的な施策にとどまっている。
しかし、今治は異なる。国家の基幹インフラである海事を担う中核都市として、産業、制度、教育、文化を有機的に結びつけ、都市の自律性を構築してきた。
この成功は地理的・歴史的偶然の産物ではない。行政の戦略的設計と経済戦略の結果であり、他地域に応用可能なモデルとなっている。
人口減少が進む現代において、「量」ではなく「密度」で勝負する都市モデルは、地方再生の新たな指針を示している。今治はその最前線に立ち続けている。(伊綾英生(ライター))
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