冷凍右半身四割引
【刀剣男士×業務用スーパーアンソロジー】-18℃に寄稿させていただいた作品です。無料公開禁止期限が過ぎたので公開します。
男の審神者が手入れ部屋で重傷の燭台切を見ながら仕事を辞めようかと悩んだり、パンの賞味期限を気にしたりする話です。伊達組が出る。よくわからない話。
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四割引ってところだ。
燭台切の身体の話だ。布団に寝かしているのに、障子に映る夜光のせいで青白いアイスケースに入れているように見える。
行儀よく掛け布団の上に出した左腕には包帯と養生テープが一緒くたに巻かれている。人間用の治療と物用の修理が半々。身も蓋もない話だが、まあ、そういうものだろう。
右腕には何もなし。二の腕から下を丸々斬り飛ばされたからだ。右半身の損傷が特にひどい。血と一緒に何なのかは考えたくない欠片をぼろぼろ零す燭台切を何とか馬に乗せて応急処置をしたから、包帯の巻き方はとんでもないことになっている。このまま目を覚まさないのも怖いが、見た目に拘る燭台切が自分の惨状を目の当たりにしたときを考えると起きてくるのも怖くなる。
燭台切が折れたら、それはたぶん俺のせいだ。
俺が采配を間違えた。燭台切なら行けると思った。慢心した。心底そう思っているのに、まだ涙ひとつ出てこないろくでなしの主を持ったせいで、燭台切はこのざまだ。
襖が滑る音がして、太鼓鐘が顔を出す。
「主、鶴さんが呼んでる……」
「わかった。今行く」
「あのさ、ちょっとここにいていいかな」
夫婦喧嘩の後、親の様子を見に来る子どもみたいな顔だ。審神者を続けて四年、こいつらが神だということを忘れそうになる。
俺は曖昧に返事をして席を立った。
本丸の台所に電気は通っているはずだが、明かりはまるでない。藍色の光が全体を染め上げていて海底にいるような錯覚を覚える。藍色の中に亡霊じみた白い影が浮き上がった。
「おっ、悪いな。こんなときに」
「明かりくらいつけろよ」
俺は壁をまさぐったが電気のスイッチが見当たらなかった。
「こいつをどうしようかと思ってな」
鶴丸は日本家屋の台所に不似合いな冷蔵庫を指した。政府から毎年律儀に支給される大判のカレンダーが扉に貼りついている。
「内番なり遠征なり、光坊ときみで回してただろ?」
「ああ……」
上半分は一目で燭台切のものとわかる几帳面な字が連なり、来週から先は白紙だ。
「考えとく」
「急げとは言わないさ。頭の隅にでも入れといてくれ」
骨ばった手が俺の肩を叩いて去る。俺はほしいものもないのに冷蔵庫を開けた。
合わせ味噌やジップロックに詰めた漬物の間にフランス国旗を模した縁取りの袋がある。カスクートだか何とかという、フランスのひたすら硬いパン二十本入り。燭台切と業務スーパーに行ったとき、本丸で食う奴なんかいないと言ったのに結局買う羽目になったものだ。
青と赤と白の袋を引きずり出すと、桜型の四割引のシールが目に入る。賞味期限は今日。刀傷のようにぱっくりと上下に分けられたパン生地に何を挟めばいいか、俺は知らない。
「どうすんだよ、これ……」
冷蔵庫を閉めると、薄ら寒いスカイブルーの光がぱったりと途絶えて、取り残されたような気持ちになる。
親父が死んだとき、俺は泣かなかった。泣いたのは葬式の五日後、業務スーパーで買った冷凍チキンの詰め合わせがキンキンに冷えてるのを見たときだった。
パッケージの窓から覗く照り焼きソースでてかった小麦色の表面に霜が降りていて、頬に綿を詰めて化粧してもどうしようもなく死んでいる親父を思い出した。電子レンジの中の橙色の光が火葬場の焼却炉に見えた。
今、右腕をまるまる吹っ飛ばされて眠ったままの光忠がいるのが、扉のゴムパッキンが緩んだドーム型のアイスショーケースだったら、俺は泣いてただろうか。
深夜の闇が薄く透ける、すすきと雁を描いた繊細な障子の向こうの手入れ部屋なんかじゃなければ。
業務スーパーは生活そのものの霊安室のようで好きじゃない。
延々と続く軋む廊下を進みながら就任一年目の春を思い出す。近侍の燭台切から初めてお願いらしいことをされた日だ。
「主のいるところには業務スーパーってところがあるんだってね」
俺は縁側で煙草を歯に挟んだまま、「あるけど」としか答えられなかった。
「前から行ってみたいと思ってたんだ」
「何もねえよ、あんなとこ……」
「たくさんあるでしょ」
呆れたように笑って燭台切が眉を下げたのを覚えている。
「嫌なら無理にとは言わないよ。ただの我儘だからさ」
父親の葬式以降何となく足が遠のいていたとも言えず、「じゃあ、今度査定のときにでもな」と答えてしまった。
夜空にそびえる平たい居城のような店構えを見て燭台切は「すごいね」と言った。たぶんいい方の意味だ。
黄色の車止めと三角コーンの赤。緑の看板にデカデカと“業務スーパー”とあって、営業時間は最近変わったのか白塗りで消されていた。どれも暴力的な極彩色だ。
青果と精肉の文字に挟まれた自動ドアを潜るとき、いかにも地元の同級生どうしで結婚したような金髪にグレーのスウェットの夫婦とすれ違って、俺と燭台切はどういう関係に見えるのだろうと思った。
毎日がこの価格。プロが厳選した拘りの食材をあなたの食卓へ。この棚全部七十八円均一。
天井から垂れる猥雑な黄色のポップは燭台切の身長だとちょうど額にぶつかるらしい。
「すごいね」
初めてとは思えない慣れた手つきでカゴに春雨やソーセージを放り込みながら言う。今度はたぶんよくない方の意味だ。
「もう少し見栄えのいい宣伝のし方があると思うんだけどな」
ゴシック体のフォントが引き伸ばされて歪んだ白と赤の広告は燭台切の感性にそぐわなかったようだ。
「こういうのは広告にかける金を節約してその分商品を安くしてるんだよ」
憶測で言っただけだったが、燭台切は目を丸くして納得したように頷いた。
安っぽいインストルメンタルの音楽も子どもの泣き声もひどく遠い。燭台切がだんだん重くなるカートを押す音だけが鼓膜を滑った。懐かしいスナック菓子の袋が棚にひしめいて、棺の中の父親の想像をパッケージの色が塗り替えていった。
俺が冷凍ケースから引き抜いた冷凍ピザをカートに放り込むと、燭台切は形だけ怒ったような声を作った。
「そんなもの買わないよ」
「俺の金だぞ」
「主のお給料は僕たちの働きの分でもあるからね」
「一年で所帯染みやがって、本当に神か」
チャイルドシート付きのカートに乗った幼児が俺を見上げていた。俺たちの関係は何に見えるのだろう。主と刀としか言いようがない。
四種類のチーズの冷凍ピザは短刀たちに人気で、スーパーに行くたび何も言わなくても燭台切がカートに入れるようになった。本当に人間にしか見えない奴らだ。飯も食えばひとの買い物に文句もつける。身体の半分を吹っ飛ばされれば、当然死ぬ。
手入れ部屋の襖を開けると、太鼓鐘が枕元で膝を抱えていた。
「どうだった?」
「ああ、内番とか遠征とか当番の話だ。そっちは?」
太鼓鐘は首を振る。俺を見るガラス玉みたいな目が涙と細い光で輝いていた。
隣に座るべきか迷って、俺は部屋の障子を開ける。縁側のすぐ向こうは垣根と庭木戸が連綿と続く庭だ。今は静まり返っていて、木々の黒い枝葉も夜空も暗雲も境がない。
部屋に背を向けて携帯灰皿を出し、煙草に火をつける。風が煙を流し、後ろで頼りなく盛り上がった白い布団に気づいて後悔したが、もう遅かった。
「馬鹿だよなあ、みっちゃん」
太鼓鐘のくぐもった声が洞窟の中で聞くような響きで、膝に顔を埋めたまま話しているのだと思った。
「もうすぐ本丸の査定があるからって張り切っちゃってさ」
「査定?」
振り返ると、蹲っていると思っていた太鼓鐘と目が合う。机の上に山積みにした政府からの封筒にそんな文字があったのを思い出した。
「そうだよ。近侍の戦歴は主の評価に関わるから『少しはかっこいいとこ見せないとね』だって」
進撃の前に行けるかどうか聞いた。無謀かもしれないと思ったからだ。駄目なら駄目だと言ってくれると思った。燭台切が少し迷って「いいんじゃないかな」と答えたから行けるんだと思った。査定のことなど頭から抜けていた。
「馬鹿じゃねえのか……」
思わず呟くと、太鼓鐘が泣きそうな顔で笑った。
「だよなぁ。でもさ、昔政府の調査だっけ? あれで優判定が出たときのシールみたいなやつ。ちゃんとまだとってあるんだぜ。みっちゃん」
俺が手を下ろすと縁側の下にぼろりと煙草の灰が落ちた。
去年の六月、合戦でもう笑うしかないくらいに大負けした挙句、政府に呼び出された日があった。
泥と血でぐちゃぐちゃになった靴で役所のエントランスを散々汚した後、俺と六振りの刀たちは無言でエレベーターに乗っていた。
冷凍ピザが食べたいと言ったのは乱だったか、太鼓鐘だったか。俺たちは鉄錆の匂いをさせながらタクシーで業務スーパーに乗りつけた。
閉店一時間前のスーパーのネオンが雨水に反射して爬虫類の鱗のようになった駐車場を短刀たちが走って、燭台切が叱った。
入り口のトイレで俺は乱を抱え上げて、靴を脱がせて洗面所で足を洗った。タイルに赤と黒が飛び散って、安いハンドソープの緑も混ざったマーブル状になった。
太鼓鐘が自分もとせがんだから、俺は乱を加州に預けてから抱え上げる。小さな足の爪は泡と一緒に流れて消えそうなほど心許ない。換気扇の下で鶴丸がいつの間にか俺から覚えた煙草に火をつけ、燭台切がそれを消させた。
太鼓鐘の脇に腕を差し込んだまま回転させてハンドドライヤーで足を乾かすと、風が吹くたびに仰け反って笑う。髪につけた鳥の羽が鼻をくすぐった。
みんなが馬鹿みたいに笑う間、店員が来ないか心配していたのは燭台切だけだ。
あいつがいなければ、ここの本丸の奴らはみんな野放図に笑い転げて、好き勝手に散らかして、取り返しがつかないほど駄目になるんだろう。
太鼓鐘が去り、煙草の火が消えた。携帯灰皿に吸殻をねじ込んで背後を振り返る。布団の下の胸が上下している。まだ生きている。刀に生きているという言葉を使っていいかわからない。
目を凝らすと、顔の右半分を覆う包帯の白の下に滑らかな黒が覗いていた。眼帯の上から巻いているのか。誰がやったのかと思い、俺だと思い出す。こんな杜撰で慌ててきっていたのが一目でわかるやり方は俺しかしない。これだけ審神者を続けていて、まだ俺は燭台切の眼帯の下を見たことがない。
庭に視線を戻すと、葉が落ち始めた木々が毛細血管のような細い枝を広げていた。
とさりと軽い音がして、俺の手元にフランス国旗の縁取りが落ちる。背後から落ちた影を見上げると鶴丸が覗き込んでいた。
「帰ってから何も食ってないだろう?」
胃の奥が張りついたようで空腹など気に留めなかった。カスクートの袋が泥のように縁側に崩れている。
「賞味期限が今日までだから持ってきたんだろ」
「バレたか」
鶴丸が俺の隣に座り、平然と煙草を抜き取って火をつける。仄かな赤い光が白い横顔を照らした。
「腹が減っては戦はできぬってな」
俺は鼻で笑ったつもりだったが上手くできたかわからない。
「神はいいよな。腹壊さなくって」
「なるかい?」
「ならねえよ」
袋に手をかけたはいいが開ける気にならなかった。
「たぶん地獄行きだ。地獄があるならな」
鶴丸は答える代わりに煙を吐いた。
結局俺も二本目を取って火をつける。白い煙を天井に吐きつけると、届かず途中で折れた。
「審神者辞めた方がいいのかもな」
暗がりの中で金の瞳が俺を見返す。
「ボロが出てきた。今までこういうことが起こらなかったのが奇跡だ。次も起こすかもしれない」
沈黙の中で燭台切の寝息に意識が行かないよう、必死で話す言葉を探したが見つからなかった。
「まあ、きみの人生だからな。好きにすればいい」
俺が思わず煙草を落としかけると鶴丸が笑う。
「止めてほしかったか?」
驚いたのは燭台切にも同じことを言われたのを思い出したからだ。
蛍の光が流れ出して、白熱灯が徐々に暗くなり始めた業務スーパーだった。
五枚で四百九十八円の鮭と鱈を見比べる燭台切の脚に、横から駆けてきた小学生くらいの子どもが抱きついた。俺が何か言う前に親が慌てて子どもを捕まえ、燭台切が完璧な愛想笑いで見送った。
子どもの手を引きつつ叱咤する母親と嗜める父親の背中を、燭台切が眺め続けていた。
「主は結婚しようと思ったことは?」
「急に何だよ」
手書きのポップで表情が読めなかった。
「主は本丸にずっといるからさ。そういう機会も少ないよね」
大特価の文字の先のあいつはたぶんいつも通り笑っていたのだろう。
「そういう願望があるなら、僕は邪魔したくないかな。主には主の人生があるからね」
追い出すように鮮魚コーナーの光が消えた。
人工的な明かりがまるでない本丸はあの日のスーパーと大違いだ。
「ここにいすぎて、俺の人生なんかもうわかんねえよ……」
鶴丸が肩を竦め、灰皿に吸いかけの煙草を押しつけた。
「俺は無理に止めるつもりはないけどな」
白い袴に落ちた灰を払って立ち上がり、鶴丸が俺の手元を指す。
「それを責任持って食べきってからにしてくれよ」
カスクートの袋が風もないのに小さく揺れた。
鶴丸が姿を消すと同時に、掠れた咳払いが聞こえた。
包帯まみれの腕が布団の上を探るのが見える。
「燭台切」
俺は煙草を土に投げ捨て、手元にあったものを引ったくって駆け寄る。
蒼白な顔で横たわった燭台切の片目がわずかに動いて俺を見留めた。
「ああ……それ、駄目だよ……賞味期限……」
聞き返してから、俺は縁側のカスクートの袋を持って来ていたことに気づく。本当にろくでもない。
溜息をついて、手入れ部屋の壁に持たれるように座り直すと燭台切が呻いた。
「カッコ悪いね……」
「知ってるよ」
痛みで身を捻ったのかと思いかけたが、首を横に振ろうとしたのだとわかった。
「僕のことだよ、勝手に張り切っちゃったんだ」
「査定のことか」
「うん」
「そんなもん、気にしてねえよ」
唇の端を震わせる笑みが痛々しかった。
夜と沈黙が重たげな布団にのしかかる。俺は賞味期限切れのパンを握りしめたまま目を閉じかけた燭台切を見下ろした。何か話していないとこのまま目を開けなくなる気がした。
「優判定のシールとはいかなかったな」
燭台切がかすかに目蓋を持ち上げる。俺は三色のリボンからシールを剥がして、枕元ににじり寄り、眼帯の上から巻いた何重もの包帯に触れた。人間らしい体温が指を伝った。
俺が身を引くと燭台切が眉をひそめる。伸ばしかけた左手は途中で力尽きて布団に落ちた。
「何、貼ったの……」
「起きて自分で確かめな」
四割引。俺たちにはこれくらいがちょうどいい。
「早く起きてこれの料理し方教えてくれよ」
燭台切が呆れたように笑った。たぶんまだ大丈夫だ。
袋の上の手触りだけで食べ物とは思えない硬さのパンが尽きるまでは俺は審神者を続ける。それまでに燭台切は完治するはずだ。
山積みの封筒を片付けて辞表を書く前に、きっとまた業務スーパーに行って、コピー用紙のポップに邪魔されながら、また買い足すだろう。
燭台切っぽさの解釈大一致 スーパーと死を組み合わせるのか センスすごい もっといろいろ読みたいです