入管施設で「餓死者」を生んだハンスト…被収容者らの“抵抗”に当局が加えている“非情な弾圧”の実態
22日、日本弁護士連合会(日弁連)は出入国在留管理庁(入管)が5月に発表した「不法滞在者ゼロプラン」について、「保護されるべき外国人までも排除しかねない」として反対する会長声明を発表した。 【写真】涙を流す被収容者 同声明では「ゼロプラン」を「外国人に対する不安や偏見、差別につながりやすく、多文化共生の理念に反する」、非正規滞在者の中には「人身売買の被害者であったり、DVを受けていたりするなど、本人の責めによらない事情で在留資格を得られていない者・失う者も多数存在する」などと指摘しつつ、「ゼロプランは国際人権法に反する」と結論付けている。 入管では人権侵害が横行しているとの指摘は、以前から国内外でなされてきた。今回はジャーナリスト・記者の平野雄吾氏の著書『ルポ 入管――絶望の外国人収容施設』(2020年、ちくま新書)から、収容施設内で行われた被収容者が行ったハンガーストライキと、それに対する入管側の対応について書かれた内容を抜粋して紹介する。
6人部屋に17人、24時間続いた「監禁」
居室は人いきれでむせかえっていた。室温は高まり、シャツが汗でにじむ。紫陽花の候(こう)、芒種(ぼうしゅ)の蒸し暑さは囚われの人間たちには残酷でさえあった。不快感が増してゆく。「暑い」。1人の男が大声を出した。「早く出してくれ」。扉を叩く者もいる。だが、扉は開かず叫び声がむなしくこだました。 2018年6月、大阪入管で最大6人用の居室に収容者17人が入ったまま、職員が24時間以上にわたり施錠を続ける事件が発生した。収容者たちは「狭い部屋への監禁だ」と非難した。一方、大阪入管は事実関係をおおむね認めた上で、「監禁ではない。収容者が立て籠もった」と説明する。一体何が起きたのか。 2018年6月17日午前11時半。ほかの居室への訪問が許される自由時間が終了しても17人は集まったAブロック一号室で議論していた。ひげそりなどの共有問題、不十分な医療、長期収容……。収容者たちの不満は尽きることなく、話し合いは終わる気配を見せない。 職員が一号室を訪れ自室に戻るよう命令したが、17人が無視すると、職員は施錠、翌日まで解かなかった。大阪入管は「保安上の理由」として明らかにしないが、当事者によると、一号室の広さは約20平方メートルで、二段ベッドが3台置かれている。当時は4人が生活していた。 7人は当初、午後1時半に始まる午後の自由時間には解錠され、それぞれ自室に戻れると考えていたようだ。だが、午後1時半すぎに現れた職員が「明日まで扉は開けない」と宣告、緊張感が高まった。気象庁によれば、この日の大阪の最高気温は28.5度。換気不十分な室内の蒸し暑さは収容者たちの体力を奪っていく。 17人全員が体を横たえる空間もない。照明を除き、電気は遮断された。通常は使用できる電気ポットも使えなくなり、お湯さえ沸かせなくなる。エアコンも止められ、熱気が増していく。「暑い、暑い」。多くの収容者が口にし始める。ドアを叩いて懇願する。「早く出してくれ」 午後6時25分、「飲料水を飲ませてほしい」。職員に求めたが、要求は拒否された。午後7時24分、「それぞれの部屋に戻して眠らせてほしい」。要求は拒否された。午後9時45分、「この状況に耐えられない。ドアを開けてほしい」。要求は拒否された。 17人のうちの1人、ナイジェリア人のオルチ(53)が記したメモには具体的な時刻と職員への要求、その対応が記されている。 17人をさらに驚かせたのが一号室外の廊下の様子だった。入り口の扉を塞ぐために無数の畳が積み上げられ、収容者らが力尽くで扉を開けた場合、それでも退出を防ごうとバリケードを築いていたのである。職員数人がその周囲で警戒する。 「一体これは何なのか」。絶望感が一号室を包む。18日午前2時以降、誰もドアを叩かなかった。硬いフロアに座っている人、わずかな空間に横になる人、立ったままの人……。どうすることもできない無力な状態が続いていた。 翌朝、6月18日午前7時58分、9階建ての大阪入管の建物が揺れた。大阪北部地震の発生である。大阪府を中心に大きな被害となり、計6人が犠牲となったこの地震で、気象庁によれば、大阪入管のある大阪市住之江区は震度4だった。 「早く出してくれ」。一号室は再び騒がしくなった。扉を叩く人、叫ぶ人……。意識がもうろうとしていた収容者たちも一気に覚醒し、解錠を哀願する。しかし、職員は17人の痛切な訴えを言下に拒否した。余震を警戒しベッドの下に身を隠す。全員が横たわる空間さえない狭い部屋で17人ができる避難行動は限られていた。 一号室が解錠されたのは午後0時45分。廊下には数十人の職員がずらりと並ぶ。入管当局の警戒心とは裏腹に、17人は静かに自室に戻った。