過去の烏が飛び立つはずはない | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
Fri, June 03, 2005

過去の烏が飛び立つはずはない

テーマ:雑文
わたしの部屋の窓から見える電線にはいつも三匹の烏が止まっていて、煙草を吸おうと窓を開け、焦点の合わない視線を向けるたびに不思議に思っていたのだが、そういえばあの部屋から見えた電線にも烏がいて、もう何匹なのかは覚えていないし、もしかしたら烏ではないのかもしれないが、動かなくなった物体がところどころ錆付いたパイプで組み立てられたベッドに横たわった白い部屋から見えたあの電線には、確かに烏が止まっている。



見舞いとかいうのに飽き飽きしたわたしは、病院のロビー脇におざなりにつけられたような売店の、なぜか菓子や雑誌、CDが並ぶなかのさる玩具に惹きつけられ、ちっとも動きもしない祖母の病室に嫌気の指したこともあり、その売店にへばりついては時間を過ごしていた。



末期を迎えつつある立って動いているころは太りすぎとか連呼していた祖母が、萎えたまま管を生やして横たわり、大人たちがその周りを囲んでは無言のままで迎えるその夕暮れに、もはや耐え切れるほどの年齢でもないわたしは、部屋を出て病院内をうろついて息を切らすまでに走るのだった。



階段を降り、いくつもの階を下り、ロビーへとたどりついたわたしは、ほかの階とは違った開かれた空気にほっとしつつ売店の玩具に気がつく。そして曲線で構成されたプラスチックが、ついたり消えたりの蛍光灯で照らされては白くそして赤く光るのを発見し、得意げになって両親に伝えようと、また階段を上ってゆく。



部屋は無言ではなかった。台風が近づいているのかものすごい速さで動いてゆく雲に覆われ、そしてまた現れる夕陽に照らされる病室は、白くそして赤く光っていた。父が泣いていた。わたし以外のみなが泣いていた。おそらくこの光景は見てはいけない。窓を見ると、外の電線には烏が止まっていた。



祖母はわたしが玩具に見とれているあいだに物質と化し、もはや二度とわたしに小遣いをくれることもなくなった。もちろんあの玩具を買ってくれることもない。その日の日記には、先生から毎日書くようにといわれていたのだが、玩具が光ること、そして祖母が死んだことを書いた。先生は冥福を祈ろうといった返事をくれたが、わたしには冥福も死のこともよくわからず、それからの日々を過ごしていた。



わたしを溺愛していた祖母が、たとえ意識はなかろうとも、死の瞬間にその場所にわたしが存在しなかったこと、そしてその瞬間に玩具に意識を奪われていたことを知ったならば、何を思うだろうか。そのことに思い至ったのはしばらくのちのことであった。



先日、父親を亡くした元力士が「一人になったとき、姿は見えないが会いに来てくれると思う。それを感じたときに涙が出ると思う」といった。わたしはもし祖母が「会いに来てくれる」ならば、あのことを謝ろうと考えていた。しかし彼女が会いにくるはずもなく、十数年が過ぎた。



すでにそんなことは忘れ、日々の営みを過ごすわたしは、新聞を読み煙草を吸い、窓の外の烏を見て、自分の幼い日の愚行を思い出すのだが、微動だにしない烏が実は単なる電線の一部であることに気づき、あの日病室から見えた烏も、そんなものだったのかもしれないと思う。そして祖母が訪れることは永遠にないだろうし、過去の烏が飛び立つこともはいはずだ。
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