動線でありつつ、居場所である建築

木の柱と梁を組み合わせ、頭上高くに広大な板を持ち上げた《大屋根リング》は、地上に大きな影をつくる。太陽は移動するものなので、直下だけが日陰になるのではなく、とりわけ朝や夕方には方角によって長い影が伸びる。今回の開催地が大阪湾から常に海風が吹く場所に設定されたために、日陰に入ると、過ごしやすさがだいぶ変化する。そのような場所まで、どこにいても少し歩けば到達できることは、身体的にも、そして心理的にも来場者を安心させるだろう。人の心身に直結している構造物であるから、《大屋根リング》はやはり土木というよりも、建築の領域に属しているのだと思わされる。

今回、各パビリオンの高さは、原則的に《大屋根リング》を越えないように会場デザインされた。したがって、その姿は至るところから目に入る。自分がいる位置が感覚的につかめる。《大屋根リング》は日陰をつくるものであり、その下部が直感的に認識できる移動ルートとして機能しているのだと、まずは言うことができる。

ここで《大屋根リング》の平面構成を押さえておこう。基本となっているのは、42cm角という柱の寸法と、3.6mという柱間(柱と柱の中心距離)で、柱に水平に貫通する梁は高さが42cmで幅が21cm、大屋根リングの断面方向は8つの柱間で成り立ち、最も内側と外側との柱の中心距離は28.8m(3.6m×8)である。このうち2か所は柱間を飛ばして7.2mとし、人が行き交う動線となることが意識されている。

その他の柱間には、自動販売機や給水所、ベンチなどが豊富に設置されており、過去の博覧会でこれらの少なさが指摘されたことに対して、改善がなされている。その上で気づかされる《大屋根リング》の平面構成の妙は、動線と設置場所といった機能によって、空間を二分していないことにある。

恒常的には何も設置していない柱間には、ポップアップショップが出店し、あまりのミャクミャク人気によりショップでグッズが買い求めづらい人びとの受け皿になっている。開幕当初はすぐに入ることができたパビリオンに、数か月後には長蛇の待機列ができていて、人が《大屋根リング》の軒下に並んでいる様子も見かけるようになった。持参したシートなどを敷いて柱にもたれかかっている人びとがいる時間と、会場が空いてきて滞留していない時間とがある。内法で3.2mほどの柱の間隔は、そこに人間が留まれる雰囲気をつくり、それでいて空間の背は高いので、柱間が広い部分と変わらない動線としても機能する。

《大屋根リング》の下部は、動線と滞留場所が混じり合った場である。7.2mの柱間が断面方向のどこに入っているかによって、実は3タイプのユニットがあり、その配置を場所によって変えるといった設計の小技も、このどちらでもある場づくりに効いている。博覧会の空間をさらに人間主体のものにした時、それは自由に行動する一人ひとりの人間をできるだけ受け止めることと同義になるだろう。効率よく流すでもなく、ある場所に留めるでもない、季節や時間によって変化する状況に応答する必要がある。《大屋根リング》の下部は、そうした目的に適した緩衝帯として働いていることに気づく。

建築史家・倉方俊輔の「大阪・関西万博を歩く」#3の画像

鉄骨でもなく、コンクリートでもなく、木造であることの意味

《大屋根リング》が木造であることは、この曖昧な場を確立するのに有利に働いている。いや、もしかしたら、木という素材が決定的なのかもしれない。鉄や鉄筋コンクリートでできていたら、柱がこれほど狭い間隔で並ぶとは限らない。1本1本が柱と認識できるほどの太さを持ち、それが常に近くにあるといった様態は、木造であるからこそ、構造面からも見ても自然なことになる。

それにしても、木材がただ林立した場の中にいるような、この感覚は自然に発生するものだろうか。構造としては、垂直に立つ柱に穴をうがち、いくつもの柱を水平の梁が貫き通すことで、X軸・Y軸の両方向に力を伝達し、互いに支え合って全体が固められている。《大屋根リング》の外部に立てば、柱3本が緊結して少し間があいている部分と、柱5本が単位になっている箇所の2種類が眺められるだろう。どちらも一つの架構ユニットであり、それらが109個つながりあうことによって、1周が約2kmのリングが構成されている。

その結果として私たちの眼の前に現れているのは、確かに構造がむき出しになってはいるが、部分から全体へと向かう力学を感じさせない、フラットな光景だ。柱も梁も、全体に奉仕する建築の部材というよりも、一つひとつの木材として存在している。全体は巨大だが、見た目は軽やかで、力が均等に分散していて、過度に劇的ではない。そう感じさせる構造の仕組みは、意図的に選択されたものだろう。

木材は雨がかかるとしっとりとし、光を映して風合いを変える。統合を謳い上げるのではない《大屋根リング》の成り立ちが、木という素材の本性を生かしていることが分かる。親しみを備えた木材であるからこそ、立ち並ぶそれらは、どこか人間に引っ掛かるようにして、移動と滞留との間を自然なグラデーションで架け渡しているのだ。

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万博全体を俯瞰する場としての《大屋根リング》

続いて考えたいのは、《大屋根リング》の上部が果たす役割である。結論から言えば、人びとが上がり、一周することのできるこの場こそが、今回の大阪・関西万博に統一されたイメージをもたらしている。来場者を満足させ、その数を次第に増やした最大の立役者と言える。

1970年の大阪万博は、まだ舶来の品を展示して、人びとを通過させれば、皆が満足してくれた時代だった。けれど、現代において同種の経験は、科学館や展示会などとして日常にあふれている。それではと動画を投影しても、皆が手にしているスマホと大きな差はない。音や煙などで驚かせようにも、恒常的であるから大資金が投入できるテーマパークにはかなわないだろう。

したがって、パビリオンは没入型の映像上映や、ゴーグルやデバイスを配布した上でのインタラクティブな体験といった方向に向かうことになる。そのような仕掛けは、数十人ずつの案内が必要だから、どうしても一日の受け入れ可能人数は限られてしまう。すべての来場者がパビリオンを目当てにしたら、まったく予約がとれないか、日常と大差がない通過体験だけを得て帰ることになる。それは原理的に仕方のないことなのだと説明されても、沸き起こる不満を前にしては無力だろう。好悪いずれの感情も、デジタルの力を得て、急速に拡散される現在なのだ。

《大屋根リング》は、そんな時代において、万博が抱える宿命的な不満を吸収し、満足感を広める装置となっている。外から見た眺めや、下部における体験もさることながら、その上部が優れて機能している。

そこには通常で言う機能は何もない。展示は行われておらず、イベントで使われることは稀で、どこかに接続してもいないので会場の効率的な移動ルートになっているわけでもない。それでも人びとはそこに向かい、歩くのである。

上部に向かうエスカレーターやエレベーターは、さほど多くは設置されていない。階段は多くあるが、一番低い内側でも12mという高さは、通常であれば足で上がろうと思う距離を超えている。上がると外側の20mの高さまで近づけるスロープも存在し、歩行に変化を与えているが、いったんそのルートを取ると数百mは歩き続けることになる。けれど、こうした地上とは離れた、独立感が良いのだろう。《大屋根リング》に上がるということは、何かしなければいけない、といった日常の機能からある種、隔絶される体験である。

《大屋根リング》の上部において人びとは、万博の最中にいると最も感じることができる。さまざまな国や組織が集まっている様子を一望でき、それぞれのパビリオンの工夫も見比べられる。行き交う無数の人びとの姿も、万博の経験として印象に刻まれるだろう。少し面白いのは、この場所自体はパビリオンではないことで、ある種の日常の延長のように目的意識をもって万博を「攻略」しがちな自分からも離れ、万博がパビリオンの集積を超えた何かであることを俯瞰する場にもなっている。

パビリオンの建築より上に、人間が位置するようにできている。約615mの内径の向こうにも大勢の人影が認められ、自分と同じように歩き、立ち止まっているのだと、あちら側の人も感じているに違いない。大空を改めて捉える気にもなる。《大屋根リング》上部のゆるやかな傾斜には芝生があり、色とりどりの花々が植えられて、さしたる目的なしに佇んだり、歩いたりすることを自然に感じさせる。外側に目を向ければ、海が見え、山脈があり、大都市を外から眺められる。360度ひらけた視界によって、大阪・関西という個性も再発見されるだろう。

目的に追われがちだったりする日常から切り離されて、非目的的に歩くこと。それが日常の中で見失いがちだった良さを発見させ、本当に目標にしたいと思えることに出会わせる。今回の大阪・関西万博は、そんな「亜日常」の万博であることを連載の初回で述べた。《大屋根リング》はまさにそれを体現した建築だ。これは非日常ではなく、亜日常の建築なのである。

万博の運営面から見ると、《大屋根リング》が人気なおかげで、多くの人が常時、留まってくれるので、会場内の通路の混雑は緩和される。日常にはない体験として、それぞれの満足感を得て、帰ってくれることがもっと良い。案内する人間は要らないし、VRゴーグルを消毒する必要も、デバイスが故障する心配もない。それでいて膨大な人数を受け入れることができる。《大屋根リング》は、下部が万博における機能的な緩衝帯となり、上部は現代における万博の心理的な緩衝装置となっている。

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藤本壮介のゆるやかに浸透していく建築

とはいえ、《大屋根リング》が、いかに機能的によくできていたからといって、それだけで入場料分の価値はあったと、多くの人に感じさせることはできない。他方で、今まで見たことのない非日常的な規模や意匠といった第一印象だけで終わるものであったら、これほどの人びとが時間を過ごすことはないだろう。ここから分かるのは、《大屋根リング》の効果的な働きは、身体とともに心理に働きかける側面に由来しているという事実である。したがって、私たちが探るべきは、《大屋根リング》の機能や大きさや表面的な意匠だけではない、建築としての性格ということになる。

大阪・関西万博の《大屋根リング》は、さまざまな点で、やわらかな場をつくり出していると、ひとまず言えるだろう。その名称は、会期が始まる以前には日常的に使われていなかった固有名詞でありながら、「大屋根」と「リング」といった非日常的とはいえない単語を組み合わせた親しみやすさを備えている。その働きは、会場を内と外との領域に分けるものではあるけれど、壁面がなかったり、貫の頭が出ていたりするので、空間をある一線で毅然と画すようにはなっていない。さらに、その存在は、ある時には人間の行動の背後に隠れ、またある時にはシンボリックに浮かび上がるような曖昧さをまとっている。連載の前回では、このような《大屋根リング》の性格を「ぼんやりとしている」と形容したのだった。従来のような明瞭な強さとは違った、その浸透していくような影響力は、いかにも設計者の藤本壮介らしいと言える。

藤本壮介の建築は、単純に見える時もありながら、複雑なやや分かりづらさを備えている。それは既存の建築的な部位に対して主にスケール(大きさ)を操作することで、通常の使い方と認識を脱して、身体性と意味性とに同時に働きかけているような性格を持っている。

《大屋根リング》も、そうした建築だ。藤本は、かねてから《house N》[★01]★01(2008年)や《Tokyo Apartment》[★02]★02(2010年)や《武蔵野美術大学 美術館・図書館》[★03]★03(2010年)といった建築で、人間がそこに窓や家型や棚を見てしまうような幾何学型を小さくしたり大きくしたりとスケールを操作してきた。《大屋根リング》では屋根や柱のスケールを変容させることで、人間の心身への新しい働きかけを創出している。大きくなった柱はヒューマンスケールにおいて別の使われ方を生み出し、それと同時に、巨大には思えない親しみやすさもつくり出している。《大屋根リング》における部材のヒエラルキーやディテールの無さは、リアルと想像上のスケールを行き来されるために意図された単純さである。

木という日常的な素材は、そんな新たな使い方と親しみやすい錯覚の出現に明らかに貢献している。こうした素材感の活用は《House OM》[★04]★04(2010年)から明確に意識されるようになったものであり、《石巻市複合文化施設》[★05]★05(2021年)において大きな木の扉でホワイエと大ホールをつないだように、近年の藤本壮介の建築にチャーミングさを加えている。

とはいえ、藤本壮介の作風は、すぐに明確な答えを求めたがるこの時代に反して、明瞭ではない。どちらでもある「間」を示し、そこに人間や自然を巻き込むものだからである。

今回の大阪・関西万博をめぐる建設的な議論の少なさからもうかがえるように、万博はそもそも日常の基準から見れば、明瞭でない出来事である。連載の初回に論じたように、単一の目的に収斂したり、消費が最優先であったりするものではない。そう考えれば、藤本壮介と いう「間」を生み出すことに長けた建築家と、万博との出会いは必然であり、その作風が、《大屋根リング》による万博の視覚化を可能にしたのかもしれない。

結果、《大屋根リング》が、1851年のロンドン万博に始まる170年以上の万国博覧会の歴史の中でもかつてない存在になったことを指摘したい。今回初めて、個別のパビリオンや会場計画ではなく、万博という現象そのものが建築として表されたのである。

建築史家・倉方俊輔の「大阪・関西万博を歩く」#3の画像
出典:公式サイト

建築史家・倉方俊輔の「大阪・関西万博を歩く」

#1 「亜日常」の博覧会
#2 《大屋根リング》は建築なのか?
#3 万博そのものを体現する《大屋根リング》

★01 Cf. TOTO通信2017年春号、「[特集]建築家たちの原点 Case Study #1」https://jp.toto.com/tsushin/2017_spring/case01.htm★02 Cf. アトリエ系工務店 ルーヴィス HP https://www.roovice.com/works/6965/★03 Cf. Space Design Concierge HP「武蔵野美術大学 図書館」https://space-design.jp/musashino-art-university-library/★04 Cf. 写真家Iwan Bann HP https://iwan.com/portfolio/sou-fujimoto-house-om-yokohama/★05 Cf. いしのまき市文化芸術交流施設 HP https://ishinomaki-fukugo.net/