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ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

フレッド&ローズ・ウエスト ⑥ アン・マリー・ウエスト

2014-04-08 22:25:12 | 事件

アン・マリー・ウエストは、フレッドと前妻リナの間に、1964年7月に生まれた。

姉のシャーメインの父親はリナのパキスタン人のヒモだったので、シャーメインとは異父姉妹になる。シャーメイン(当時8歳)は、1971年の6月半ば頃にローズに殺害され、間もなく出所してきたフレッドに遺体を遺棄されたと考えられている。

翌1972年、一家はクロムウェル街25番地に引越し、フレッドは拷問部屋あるいはローズの売春部屋にする目的で、地下室に防音措置を施した。 1973年の初夏、9歳の誕生日を間近に控えたアン・マリーは、父親と継母にそこに連れ込まれた。

 

                    異父姉のシャーメインとアン・マリー                                 フレッドとリナ: アン・マリーの両親

  

 

地下室でアン・マリーは裸にされ、縛られ、猿ぐつわをされた。 「どこの家でも父親は皆、これをしなくちゃならんのだ。これをしておくと将来夫を見つけるのに役立つし、子供も持てる。」 フレッドが言い、ローズがアン・マリーを押さえつけ、フレッドは実娘をレイプした。 耐え難い苦痛のため、アン・マリーは死にたいとすら思った。 アン・マリーを風呂に入れるため浴室に連れて行ったローズは言った。「面倒見のいい親を持って、お前は本当にラッキーよ。」 体に受けた極度の苦痛のため、アン・マリーはしばらく学校に行くことができなかった。 二人は「誰かに言ったらひどい目に遭うぞ」と彼女を脅して口止めした。

アン・マリーへの身体的・精神的・性的虐待とレイプは、彼女が15歳で家を出るまで定期的に続いた。 アン・マリーは実父のフレッドだけでなく、叔父(フレッドの弟)のジョンにも300回以上レイプされた。 『恐怖の館』事件が明るみに出るとジョン・ウエストも姪に対するレイプ容疑で告発されたが、二度結婚して子供も複数いた彼は、評決の前夜に首吊り自殺した。 またアン・マリーは、父親の“友達”やローズの“お得意さん”との性交も強要されていた。

 

         アン・マリー(5歳当時)                姉のシャーメイン、妹のヘザーと。 このうち生き残ったのはアン・マリーのみだった。

                

 

15歳の時アン・マリーは妊娠したが、子宮外妊娠だったため、中絶された。 (この家で16歳になってしまったら、とてつもなく恐ろしいことが起こる)と本能的に感じていたアン・マリーは、家を出て友達のところに転がり込み、低賃金に甘んじて雑多な仕事を引き受けながら生計を立てた。

1985年1月、アン・マリーはクリス・デイヴィスと結婚。 やがて二人の娘を授かった。 

 

      

    

                             アン・マリーと弟妹たち。後列は左からスティーヴン、メイ、ヘザー

                           

 

フレッドとローズに幼い頃からされてきた信じ難いような虐待について、アン・マリーは固く口を閉ざしていた。 その彼女が初めて口を開いたのは、1992年8月。 13歳の妹がフレッドにレイプされたことを友達に打ち明けたことから警察が捜査に乗り出し、ヘイゼル・サベージ刑事がアン・マリーを訪ねてきた時だった。 その頃にはアン・マリー(当時28歳)と夫は別居していて、アン・マリーは二人の娘とともに公営住宅に暮らしていた。 

実父のフレッドは彼女をレイプし、継母のローズほど頻繁にではなかったものの、時折は殴る蹴るの暴力も振るった。 ローズはしょっちゅう癇癪を起こして手当たり次第のもの――フライパン、ベルト、何もなければ拳骨――で子供たちを叩き、打ち、時には包丁で切りつけた。 ずる賢い二人は、外からは痣や傷が見えないよう、顔よりも胴体を狙った。 しかしそれにもかかわらず、アン・マリーは父親と継母を今も愛していると告げ、サベージ刑事を困惑させた。 アン・マリーは、消息が消えたままの実母のリナと異父姉のシャーメインに関する懸念も口にした。 サベージ刑事は、ずっと昔にリナに会っていた。

13歳の実娘をレイプした罪で告発されたフレッドだったが、その後娘は告発を撤回し証言を拒否。 子供にとって、家庭は心の拠り所である。 どんなに異常で劣悪な家庭環境であっても、完全に崩壊され失ってしまうよりはましだったのだろう。 当人のみならず他の弟妹たちも、両親が告発され裁判沙汰になることを極度に恐れて苦悩していた。 彼等の心を汲んだアン・マリーは、サベージ刑事の説得もむなしく、自分自身も証言を撤回することにした。 こうして『恐怖の館』事件の発覚まで、さらに一年半を要することになる。

 

フレッドとローズと孫のミシェル                成人したミシェル(アン・マリーの娘)                  実母リナが埋められていた場所に花を供えるアン・マリー

    

 

1994年2月。 ウエスト家の“家庭内のジョーク”がきっかけでクロムウェル街25番地の裏庭が掘り起こされた。 『恐怖の館』の驚愕の全容が明らかになったとき、アン・マリーは絶句した。 実父と継母は自分をターゲットに近親相姦と虐待を犯していたが、若い女性が9人も拷問のあげく殺されて敷地内に埋められていたとは・・・・・そして判明している限りでは、最後の犠牲者は妹のヘザーだったとは・・・・・。 「ローズは癇癪もちで怒りっぽかったから、私はヘザーの母親代わりだったの。よくあの子のおむつを取り替えたわ。あの二人がヘザーを殺して庭に隠していたなんて・・・・・」  

1995年、ローズマリー・ウエストの裁判中だったある日、アン・マリーは発作的に多量の薬を酒と共に服用したが、病院に搬送され胃を洗浄されて事なきを得た。 ローズの裁判では検察側の最有力証人だった彼女は、出廷しては犠牲者たちの家族と同席しなければならなかった。 日々の緊張と苦悩と罪悪感(彼女が罪悪感を感じる必要はないとはいえ)から、抗うつ剤を服用しながらの出廷だったという。

その後ヴァージニア・ヒルと共著で、自分の半生を綴った “Out of the Shadows” を発表。

1999年11月、アン・マリーはグロスターのウエストゲイト橋から川に飛び込んで自殺を図った。 800mほど流されたが無事救助され、病院で手当を受けたあと帰宅を許された。

アン・マリーへの1996年のインタビュー動画はこちら。 (地獄のような成長期を過ごしたにもかかわらず、本当に穏やかで分別ある話し方をする女性で、私は感銘を受けました。)

 

         

 

今から5年前になる2009年3月22日付の、ちょっと心配なニュースもあった。 アン・マリーの娘ミシェル・デイヴィス(アン・マリーの元夫の姓ですね)が語ったところでは:

ずっと疎遠になっていたローズ・ウエストは、数ヶ月前からまた母のアン・マリーに電話をかけてくるようになった。電話を取ると母は沈んだ口調になり、「はい」「いいえ」くらいしか返事をしないにもかかわらず、電話を切ることができない。ローズは私を電話口に出すよう言うこともあったが、私は断固拒否した。今後も一生ローズと口をきくつもりはない。ローズから電話があると、その後の数日は母はふさぎこんで口数が少なくなる。

電話がかかってくるようになってから、明るくおしゃべりだった母は別人のように変わってしまった。毎週かかってくる電話を怖れているのに、あたかも洗脳されているかのように、電話があると切ることができない。一緒に飲んだある晩、母は私に、「今でもローズを怖れている」こと、「ローズから逃げる手段はなく、電話があったら話をしなければならないと感じる」ことを告白した。まるでローズは、長年経った今になっても、母を支配できるかのようだ。このことは、母と私の間に溝をつくった。母がローズを受け入れている間は、私は母とは口をきかないことにした。

先日グロスターのタウン・センターで母とすれ違ったが、お互い他人を装った。駆け寄って母をハグし、「お母さん、大好きよ!もうローズと話すのはやめて!」と言いたかった。でも母がしていることを受け入れることはできない。母の日カードを買ったし、母は私の訪問を待っているだろうけれど、今年はそれを持って母に会いに行くつもりはない。母は子供時代に恐ろしい目に遭い、乗り越えるには多くの年月を要した。ようやく乗り越えたかのように見えたのに、自分にあれほどひどいことをした女に、ふたたび付け入る隙を与えている。私には理解できないわ。私はローズから、完全に縁を切りたいの。

 

 

母親のアン・マリーと同様、娘のミシェルも街中で、心無い人々から罵りの言葉を吐かれてきた。10代の頃には鬱に陥り、自傷行為にはしったこともあった。「人々は私もローズと同じと思うんでしょうね。でも私が自分の人生からローズを締め出しているのには理由があるわ。彼女は悪そのものだもの。」

祖父のフレッドに関しては、クロムウェル街25番地で自分とかくれんぼをして遊んでくれた『いいお祖父ちゃん』の記憶しかない。そのため連続殺人犯としてのフレッド・ウエストは、今もって現実として受け入れられないという。「私の実の祖母(フレッドの前妻リナ)を含む多くの若い女性を殺した男と優しいお祖父ちゃんが同じ人間だったとは、どうしても信じられないの。彼が母にしたことだって知っているけど・・・、あれは私が知るお祖父ちゃんとは思えない。もしあの怪物が私のお祖父ちゃんだったと受け入れてしまったら、私はきっと二度と立ち直れないほど壊れてしまうでしょうね。彼は死んで、二度と母を傷つけることはできない。でも、ローズはできる。毎週母に電話を寄越し、彼女の耳に毒を吹き込み、彼女を惨めにしている。

アン・マリーからのコメントはなかった。 パートナーのフィルによると、アン・マリーは「現在鬱のため休職中で、誰とも話せる状態ではない」とのことである。

 

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子供は親を選べない。 子供にとって家庭とは、最初に身を置くことになる小さな社会だ。 もしその小社会が健全さからかけ離れた、地獄のような場所だったら? もし自分のお手本となるべき親が、狂気に満ちたサディスティックな性倒錯者のサイコパスだったら? よその家と比較して自分の家を客観的に見てみる知恵をまだ持たない子供は、自分の家を『普通の家庭』と信じて親に従うことだろう。

私より2歳若いアン・マリーは、今年50歳になる。 彼女は何という子供時代を送ったんだろう。 他人には読み知ることすらおぞましいような行為を、継母の協力を得た実の父親にされて育った。 繰り返し、繰り返し。 産みの母親は実の父親の手で殺され、20年以上も発見されずに畑地に埋まっていた。 異父姉と異母妹も殺され、遺骸は長い間隠されていた。 猟奇犯罪小説でしか起こりえないようなことが、彼女には実際に起こったのだ。 フレッドが自殺しローズが投獄されれば、世間は事件に終止符を打って過去の出来事として忘れられる。 でもアン・マリーにはそれはできない。 事件の発覚により突きつけられた真実――実母と異父姉と異母妹のみならず、多くの若い女性も二人の犠牲になっていたこと――により、彼女はとてつもない罪悪感にとらわれたことだろう。 生き残ったことの罪悪感、フレッドの娘であることの罪悪感、もっと早くに自分への虐待を通報しなかった罪悪感、二人の犯罪を止められなかった罪悪感。

自分がされたことをすべて踏まえても、アン・マリーはまだフレッドとローズを愛し、育ててくれた二人に感謝しているという。 自分が置かれていた異常な状況を客観的に見られるようになってさえも、成長し成人し二人の子供の母親になってさえもだ。 私は最初は彼女のそんな気持ちを「馬鹿げたこと」と一蹴していたが、じゃあもし自分が同じ立場だったら?と考えると、ちょっぴり彼女の心境がわかるような気がしてきた。 物心ついた時から大人のお手本として見つめてきた親を、長い間敬い喜ばせようと努めてきた親を、手の平を返したように嫌悪し憎むことは、誰にだって難しいだろう。 どんな親だって親は親で、かけがえのない存在だから。 それでも、難しいかもしれないけれど、現在のアン・マリーはローズと完全に縁を切って、今の自分にとって本当に大切な人たち――娘さんたちや、パートナーや、弟のスティーヴンと妹のメイなど――と、良い関係を築いてくれていることを祈ります。

今年の母の日は3月30日でした。 アン・マリーが娘のミシェルととっくの昔に和解し、母の日をお祝いしてもらったことを願います。

彼女ほど幸せになるに値する人はあまりいません。 彼女の今後が、幸せと平穏に満ちたものでありますように。 

[敬称略]

 

≪ おわり ≫

 

後日談: 『恐怖の館』のその後

      ローズ・ウエストの今

 

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Unknown)
2017-06-04 00:20:20
有意義な記事を作成していただいてありがとうございました。
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コメントありがとうございます。 (ハナママゴン)
2017-06-07 04:50:24
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