フレッドとローズ・ウエストは、1973年から1979年までの7年間に、判明しているだけでも8人の若い女性を殺害した。
そのかたわら、ローズは子供を産み続けた。 売春によって身ごもった子も産んだ。 フレッドはまったく気にしないようだった。 さらに信じ難いことだが、ローズの客の一人はローズの実の父親ビル・レッツだったという。
ローズが売春で稼いだ金で、フレッドは自宅を改装し続けた。 雇われ大工をしていたのが役に立った。 犠牲者の遺体遺棄のため地下室の床や庭を掘る際は、近所には「屋内を改築中」だの「裏庭を造園中」などと言っておけばよかった。
ウエスト家の子供たちを順に追ってみると・・・ 長子はフレッドの前妻リナの連れ子で、フレッドともローズとも血の繋がりはなかったシャーメイン(1963-1971)、下左写真。母親と同様殺害され、遺体はミッドランド通り25番地のキッチンの床下に23年間隠されていた。
第2子は、フレッドと前妻リナの間にできたアン・マリー(1964-)、下中写真の左・下右写真の右。 (彼女については別記事にします。)
第3子は、フレッドとローズの間の初めての子供のヘザー(1970-1987)。 下右写真の真中の赤ちゃん。
ちなみにこれらの写真は、自宅に招いたプロの写真屋によって撮影されたものだった。 写真屋が撮影日を記録しておいたため、シャーメインの遺骸が発見されたとき、遺骸に残っていた歯の成長具合とこれらの写真の歯の状態が比べられた。 それによって割り出された殺害推定日にはフレッドはまだ出所していなかったため、ローズの単独犯行との印象が強まったのである。
1972年、メイ誕生。 翌1973年には長男のスティーヴンが誕生。 1977年、混血のタラ(=フレッドの子供ではない)が誕生。 1978年にフレッドの子ではない娘のルイーズが、1980年に次男のバリーが続いた。 1982年に生まれたローズ・ジュニアと1983年に生まれたルシアナは共に混血で、フレッドの子ではなかった。
下左: スティーヴンを抱くローズ 下中: 左からヘザー、メイ、スティーヴン 下右: スティーヴンを抱くフレッド
サイコパスの特徴のひとつである、表面的な魅力と口のうまさを備えていたらしいフレッドとローズ。 周囲の人々の目には、ごく普通のどこにでもいる夫婦に映っていたことだろう。
キャンプが好きだったというフレッド ハロウィンの扮装でおどけてみせるローズ
ウエスト家の家系図
1984年に結婚したアン・マリーの、結婚当日の写真。左端がローズ、手前がメイ。後方のサングラスの男性が新郎、その隣にアン・マリー(その後二人は離婚)。その右やや手前にフレッド、スティーヴン、右端にヘザー。
下左: 後列左からスティーヴン、メイ、ヘザー。前列左からタラ、ルシアナを抱っこするアン・マリー、ローズマリー・ジュニア、バリー
下右: 左からローズ・ジュニア、タラ、友人、バリー
子供の頃のヘザー 左からヘザー、スティーヴン、メイ ヘザー
ヘザー殺害の数日前に撮られたという写真。 ヘザー(左端)はやがて、この庭に埋められることになる。
現在知られている限りでは、ヘザーは最後の犠牲者だ。父親から性的虐待を受けていることを友達のデニーズ・ハリソンに告白したが、娘からそう聞いたデニーズの親は、あろうことか親しかったフレッドとローズにそっくりそのまま伝えてしまった。1987年6月19日。口封じのため両親に殺害された当時16歳のヘザーの遺体は解体され、裏庭のパティオ(敷石を敷き詰めて平らにした部分)の下に埋められた。
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サイコパス夫婦の連続殺人の発覚には、間接的にヘザーが貢献することになる。
1992年5月に、フレッドは13歳の実娘を数日間にわたり4度レイプした。最初に部屋に閉じ込められレイプされたとき、娘は首を締められ、死の恐怖を味わったという。帰宅したローズに父親にされたことを訴えたが、ローズは「そうして欲しかったんでしょ」と取り合わなかった。その後にレイプした際、フレッドは娘に「ちゃんと仕事を終えておかないと、あとで医学的な問題が起こるかもしれないからな」と言った。一度などは、ビデオカメラで撮影までしたという。彼女は友達にそのことを告白し、友達は親に言い、親が匿名で警察に届け出た。幸運なことに、その件の担当になったのはヘイゼル・サベージ刑事だった。彼女は約25年前に起きたリナとフレッドの間の揉め事や、フレッドを「危険な性倒錯者で小児性愛者」としたリナの言葉を覚えていた。
1992年8月6日、捜索令状を持った警察が、児童ポルノや未成年者の性的虐待の証拠を探すため、クロムウェル街25番地を訪れた。鞭、鎖、手錠、ポルノビデオ(ローズが客と性行為中のものもいくつか含まれていた)、ハード・ポルノ雑誌などの物的証拠は山ほど見つかり、フレッドは未成年者のレイプと虐待行為の容疑で、ローズは未成年者のレイプの幇助容疑で逮捕された。しかしながら、最も重要な物的証拠――13歳の実娘のレイプを録画したビデオ――は発見されなかった。家族を始めとする周囲の人々への聞き込みを始めたサベージ刑事は、長年にわたってアン・マリーが耐えてきた衝撃的な虐待の歴史を初めて聞かされた。アン・マリーは“姉”のシャーメインに関する懸念も口にし、サベージ刑事はシャーメイン、リナ、そしてヘザーの失踪を捜査する必要を感じた。ウエスト家の歳若い5人の子供たちは、児童養護施設に保護された。フレッドが収監され子供たちもいなくなった家で、ローズは発作的に錠剤を多量に服用したが、親を心配して戻ってきていたスティーヴンとメイに発見され、救急車で病院に運ばれ胃を洗浄されて事なきを得た。
しかし幸運の女神は、最後にもう一度だけフレッドとローズに微笑んだ。二人は1993年6月7日(7月17日という情報源も)に裁判にかけられたが、最重要証人の2名――レイプされた実娘とアン・マリー――が、土壇場になって法廷で証言することを拒否したのだ。(当時14歳の娘は未成年のため直接証言台には立たず、ビデオ・リンクの使用などが配慮されることになっていたと考えられるが。) 理由は憶測するしかないが、14歳の娘は自らの証言で家庭を完全に崩壊させてしまうことを怖れたのではないかと考えられる。アン・マリーは妹の心情を汲んで、妹に従ったのではないか。
証拠不十分で無罪になった二人は、自由の身となった。サベージ刑事はしかし、ヘザーを探し出すことを固く決心していた。
児童施設のスタッフは、ウエスト家から保護された子供たちから、“家族内のジョーク”を時々耳にするようになった。フレッドは彼等によく、「良い子にしてないと、ヘザーみたいにパティオの下に行き着くことになるぞ」と言っていたというのだ。ヘザーは6年前に突然に、跡形もなく消えていた。フレッドとローズは他の子供たちにも周囲の人々にも警察にも、「ヘザーは家出してそれきりだ」とうそぶいていた。警察に“家族内のジョーク”のことが伝えられ、サベージ刑事たちは慎重に捜査を進めた。社会保険番号や納税記録や出国記録から、ヘザーが過去6年間に雇用されていないこと、国外に出た形跡もないことが明らかになった。医者や歯医者にかかった記録も全くない。1987年半ば以降、ヘザーが存在していたという形跡は何もなかった。
1994年2月、サベージ刑事はヘザーの遺体捜索のため、クロムウェル街25番地の捜索令状を申請し、令状獲得に成功した。2月24日は、寒い小雨の降りそぼる日だった。同番地に到着した警察が4.5mx18mある裏庭を発掘する旨を告げると、ローズは青ざめ、たまたま訪れていた長男のスティーヴンにヒステリックに「フレッドに電話して!」と叫んだという。そのときフレッドは仕事で不在だったが、帰宅して発掘作業を目にし、発見は時間の問題と観念したことだろう。翌25日の午前中にサベージ刑事が訪れると、フレッドは自らすすんで警察署に同行することを申し出た。ヘザー殺害の容疑で告発されたことをサベージ刑事が彼に伝えたのはこの時だった。警察車に乗り込んだフレッドは、サベージ刑事が長い間待っていたことを告白した。「俺がヘザーを殺して庭に埋めた。警察は見当違いの場所を掘り起こしているがね。ヘザーは反抗的で、親を馬鹿にして嘲笑った。ちょっと懲らしめてやろうと思って首をつかんだが、誤って死なせてしまった。」
フレッドが去ったあとの家では、ローズがすすり泣いていた。スティーヴンと彼の恋人のアンドレアがローズにお茶をいれ、慰めようとしていた。そこに警官が二人来て、ローズもまたヘザー殺害の容疑で逮捕されると告げた。驚愕した様子のローズは、呆然としたままさよならも言わずに警官に連れられて去った。
2月26日、ヘザーの遺骸が発見されたが、病理医が見つかった人骨を洗ってパズルを組み立てるように骨格を形成してみると、大腿骨が三本あった。これが、フレッドがヘザー殺害をあっさり認めた理由だった。彼は(ひとたびヘザーの遺骸が発見されれば、警察は捜索をやめるだろう)と期待していたと思われる。ヘザーしか見つからずに済めば、ヘザーに関しては過失致死を主張すればいい。・・・ サベージ刑事はフレッドに告げた。「庭にはヘザー以外の誰かも埋められているわね。ヘザーが三本脚でなかった限りは。」 こうして英国はおろか世界の犯罪史上でも稀にみる残虐な連続殺人事件が、ようやく暴かれることになった。
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警察が裏庭を発掘捜索するため自宅を訪れた時、ヘザーの妹のメイは21歳、弟のスティーヴンは20歳だった。ある日を境に、突然失踪した姉のヘザー。二人はそれまでにも、ヘザーの失踪に両親が何かしら関与していたのではないかと考えることはあった。しかし裏庭の発掘作業を見つめる二人には、何もかもが非現実的に映ったという。
フレッドとローズが警察に連行された1994年2月25日の夜、父親につけられた弁護士から電話があり、スティーヴンと恋人のアンドレア(下中写真の左)とメイは、警察署に赴くよう要請された。弁護士から「残念ながら、フレッドはヘザー殺害を認めた」と聞かされたスティーヴンは、壁に背中をつけたままずり落ち、床に腰を落として泣き出し、アンドレアが彼を抱き締めた。
スティーヴンとアンドレアは同年7月に結婚し、複数の子供に恵まれた。しかし2002年1月、結婚は破局を迎え、アンドレアに去られたスティーヴン(当時29歳)は首吊り自殺を図ったが、ロープが切れて未遂に終わった。
2004年12月、当時31歳のスティーヴンは未成年の14歳の少女と性関係をもったかどで9ヶ月の刑を受けた。少女が妊娠すると、彼は少女をこっそりと堕胎させ、その後も関係を続けたという。現在40歳のスティーヴンのその後は定かではない。
ヘザーのすぐ下の妹のメイは、10代だった年月を、父親にレイプされないよう努めて過ごした。フレッドがスカートの中に手を入れるため、スカートをはくのをやめた。すると彼は、今度はブラウスの胸元に手を入れてきた。彼は娘たちによく言ったという。「俺がお前を作ったのだから、お前には何をしてもいいんだ。女の子は誰だって、父親に体を触らせるべきだ。」 幼い娘たちに彼は、時期が熟し次第彼女たちの処女を奪うつもりだとも言い放った。父親に部屋に呼ばれたときは、二人きりにならないよう兄弟姉妹の誰かと一緒に行くようにした。シャワーや就寝前の着替えの際は、ヘザーとメイは、父親が外出するのを待つか、あるいは交代でお互いの見張りに立つようにした。しかしフレッドは娘たちの寝室の壁に穴を開け、覗きをした。
フレッドにレイプされた13歳の妹の供述書の内容を聞いたとき、メイは改めて思った。「あの供述書にサインするのは、私であってもおかしくなかったんだわ・・・」
下左: 事件発覚から5ヵ月後に挙げられた、弟スティーヴンの結婚式でのメイ
弁護士からフレッドがヘザー殺害を告白したことを聞いたメイの第一声は、「それはお父さんの作り話に違いないわ!」だった。しかし弁護士は、首を振って言った。「フレッドは遺骸のありかを教えるため、警察と共にクロムウェル街に戻ったよ。」
2005年10月31日付の記事によると: 『メイはその後結婚し一児をもうけたが離婚。現在は年上のパートナーと子供とともに暮らしている。』
1992年に保護された5人の子供たちのその後は、2005年10月31日付の記事によると: 『タラは二人の子供の母親となり、グロスターに戻った。ルイーズとバリーもグロスター在住。ローズマリー・ジュニアとルシアナは、イングランド南部に移って新生活を築いている。』
フレッドの一歳下の弟ジョンは、フレッドの娘で自分の姪にあたるアン・マリーを1970年代後半に約300回レイプしたかどで告発された。評決の前日だった1996年11月28日、彼は自宅の車庫で、フレッドと同様に首を吊って自殺した。ジョン・ウエストは『恐怖の館』での事件にも関わっていた疑いがあるが、今となっては知る由もない。
1998年5月20日、フレッドの従兄弟のウィリアム・ヒルは、レイプ1件と性的暴行3件について有罪となり、4年の禁固刑を受けた。フレッドと同様年若い少女を狙ったヒルは、ある15歳の少女を一年以上にわたって暴行していた。
フレッド・ウエストの4歳下の弟ダグラスと、その妻クリスティーン。二人は現在もマッチ・マークル村に住む。あの事件は、この二人の生活も大いに乱したに違いない。 ・・・
≪ ⑥につづく ≫