一波乱あった通学路を超え、俺と有栖は二人が通っている(らしい)学校の校舎へとたどり着いた。
学校指定のローファーでそのまま入れるようだ。正面玄関を抜け、見慣れない校舎を有栖と共に歩いていく。
校舎の様子を見れば何かしら思い出すかもしれないと、淡い期待を寄せていたんだけど……浮かんでくる感想は「金がかかってるな」の一点のみ。
目が覚めたのが自分の部屋な上、付き合いが長い友人と話しても何も思い出せないのだから、当然と言ったら当然かな。
「今日。というより平日は毎日ですが、こんなに早い時間に家を出たのは、日彩くんにこの学校の説明をするためです」
「説明……」
学校の説明なんてメモに書き残して、それを見れば済むと思うんだけど。
わざわざそれをせず時間を取る理由があるということだろうか?
「あなたの疑問はごもっともです。ですが、この学校は他の教育機関とは少し異なる特殊な学校なので」
そんな俺の内心も当たり前のように読まれているようだ。
なんというか、少し子恥ずかしいな。別に悪い気はしないんだけど。
「高度育成高等学校。その名の通り、この学校は未来を支える人材を育成する、全国屈指の国立の名門校です。ご想像の通り、全寮制で全国から集めた優秀な生徒を、この箱庭に閉じ込めています」
「閉じ込めるって」
何とも物騒な言い方をするものだ。全寮制とはいえ、部屋や学校の設備を見る限り、生徒の待遇はかなり良さそうなのに。
「いいえ。これは比喩表現でも、大げさに語っているわけでもありませんよ」
閑散とした校舎を歩くと、有栖は階段の向かいにある掲示板の前で足を止めた。
掲示物が張られたホワイトボードの横に、何やらパネルに埋め込まれた地図が設置されている。
「あら、ケヤキモールのテナントで新しいカフェがオープンするそうですよ。ほらここ」
全高2メートルはありそうな強大な案内板の前に立ち指をさす有栖。
そこにはマグネットか何かで張り付けられた吹き出しに、『新店オープン!』と可愛らしい文字が書かれていた。
「学内の情報は専用のアプリで確認できますが、たまにはこうしてみるのも乙なものですね」
「……学内?」
さも当たり前のように語った有栖だが、どうにも引っかかる言葉があったため聞き返す。
近隣にあるショッピングモールの情報を載せること自体はまだ理解できるが、学内というのは些か違和感のある表現だ。
大学じゃあるまいし、それにしたって規模が大きすぎる。地図を見る限りだと相当大きな施設のように思える。
「スマートフォンで現在位置を確認してみてください、きっと驚くと思いますよ」
スマホを取り出し、地図アプリを立ち上げる。
若干読み込みに時間がかかった後、現在位置の全貌が明らかとなった。
「……海の上?」
「正確には、東京湾の埋め立て地ですね。お台場とか、その一角ですよ」
何てとこに学校作ってんだよ。
もうちょっといい場所あっただろ。地価とか、その辺考えてさ。
「対外的なアピールという側面も大いにあるでしょうね。この学校を設立するにあたっては、政界でも様々な思惑が絡んでいましたので」
もう掲示板に用事は無くなったのか、有栖は踵を返して階段へと向かっていく。
説明を聞きながら階段を上っていくと、ガラス張りにされた壁越しに、海やその向こう側のビル群が見える踊り場へとたどり着いた。
「良い景色でしょう?」
まだ上りきっていない陽の光が、朝の東京湾を眩しく照らしている。
斜めから差し込むによって、立ち並ぶビル群にオレンジ色の光と黒い影が差し込まれている。
「ああ……凄い、綺麗だ」
朝だけでなく、陽が短くなった冬の放課後に街に刺す夕日や、屋上の赤い光と共に街を彩る夜景も綺麗なのだろう。
これを、明日へと受け継ぐことができないのが、とても惜しい。
そう心から思えるほど、美しい光景だった。
「窓から差す陽の光で、夏場は光熱費がかなり嵩むそうですよ。お父様が嘆いていました」
今は全然暑くもなんともないけど、流石に真夏の昼間とかは話が変わるか。
……いや待て、そういう問題じゃない。
「色々と台無しだよ」
俺のこのノスタルジックな気持ちを返して欲しい。
感傷に浸っていれば何か思いだすかもしれないじゃん? ……多分無理だと思うけど。
「ふふっ。ですがこうして、人のいない校舎で街の景色を眺める時間は、嫌いではありません。……日彩君の新鮮な反応も、毎日見れますからね」
「……それは、どういう反応をするのが正解、かな?」
サラッと笑えない冗談を入れてこないでほしいものだ。
ある程度気心知れた関係性だと分かったから良いものの、朝の状態だったら苦笑いしかできなかったと思う。
「……さあ。何が正解なのか、私にも分かりません」
有栖はそう呟きながら壁際へと歩き、並べられた手すりに左手を沿える。
暖かな木目調の手すりを、真っ白な指先がなぞるように動いていく。高校生ということを差し引いても小さい、小さな手だった。
「ですが」
薄紫色の髪の先端が、陽の光に溶け込むように透け、青色の輝きを纏っている。
それは、奥に見える景色が霞んで見える程、俺の目には美しく映った。
「笑えるようになる日を、私は願っていますよ」
そう語る有栖の表情を、うかがい知ることは叶わなかった。
声がよく響く階段の踊り場にて、漏らされたその思いは、やけに俺の耳に残って離れてくれなかった。
「説明が途中でしたね。さて、行きましょうか」
こちらを振り返り、小さく微笑む有栖。
先ほどの言葉の意味を、痛く勘違いしてしまったのか。そう不安になってしまうほど、温和で、苦しいことなど何一つないと言わんばかりの表情だった。
「有栖」
「っ」
歩き出したその背中に、小さく声を掛ける。有栖は振り向かず足を止めただけだったが、瞬間体を小さく揺らしたのは俺の勘違いか。
まあ、そんなの正直どっちだっていい。俺の予想が間違っていたとしても、当たっていたとしても、言うべき言葉は変わらない。
「ありがとう。……凄い、綺麗だった」
何に、誰に対して行ったか分からない余計な言葉を付け足し、感謝の言葉を伝える。
顔が熱くてしょうがない。きっと、窓から差し込む陽の光のせいだろう。
「なら、良かったです」
幸い、言葉の先を追及されることは無かった。
「……メモしておくか」
再び歩き出した有栖の背を尻目に、ポケットからスマートフォンを取り出す。
窓からの景色を写真に収め、79日目のメモに必要最低限の言葉を残す。
「日彩くん?」
「あ、ごめん。今行くよ」
『夕日と夜景は頼んだ』とだけ書いて写真を添付したファイルを保存し、俺は有栖の後をついて行くのであった。
教室へと着いた俺たちは、広々とした教室の端に二人、椅子に座って話を進めていた。
学校側が俺に配慮してくれたのか、それともただの偶然なのか。俺の席は窓際後方で、有栖はその右隣という好立地だった。
「というのが、この学校の特異な点です。ご理解いただけましたか?」
現在時刻は7時50分。20分程度で学校の全容についての話を聞き終えたが、俺は未だにその話を飲み込めていなかった。
「……箱庭に閉じ込めるって、そういうことだったのね」
机の中に入っていた……恐らく説明するために入れられていたであろう、学校のパンフレットやら入学説明書を見つつ、有栖の言葉に耳を傾ける。
最先端の設備、良好な立地、全額支給される学費など、この学校の魅力を挙げればきりがないだろう。
そんな中でも、一際存在感を放っていたのが、『希望する進学、就職先などの進路を100%保証する特権』というもの。
パンフレットにはここまでしか書かれていなかったが、有栖の説明にはこの続きがなされていた。
「特権を得るためのクラス間闘争……」
この学校はAクラスからDクラスまでの4クラスがあり、成績に応じてクラスのランクが上下するらしいのだ。そして、
「実態が明るみにになったら、入学希望者なんて居なくなるってことか」
そんな美味すぎる話なんてあるわけないと、そう考えるのは簡単だ。だがこれに関しては明らかに詐欺紛いのプロモーション。
これを国が主導でやっているというのだから恐ろしい話だ。
「はい。私たちのクラスはAクラス。他クラスからその背中を追われる形となっています」
そこで、スマホのアプリを立ち上げ、クラス順位を決める『クラスポイント』とやらが表示された画面を見てみる。
6月終盤時点でのクラスポイントは1004。他のクラスと比べると圧倒的と言っていい差が付いていた。
「優秀と判断された生徒がAクラスに所属されるシステムなので、この結果となるのはある意味必然ですね」
「ははっ。じゃあ、俺はいつ退学になってもおかしくないかもね」
記憶を持ち越せないということは、学校で学んだ内容も身に付かないということ。
赤点=即退学の方程式が成り立つこの学校において、そのハンデは余りにも大きい。
「いえ。その点に関してはご心配なく。あなたは1学期の中間試験でも相当な好成績を収めていたので」
「そうなの?」
これまた不思議な話だが、確かに今ここにいるという時点で、その試験を乗り越えたということになる。
「ええ。社会の時事問題5点を除いた
「えっ」
思わずそんな声が出てしまった。一体どう転んだらそんな良成績になるのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、有栖は一度瞑目し、真剣な表情でこちらを見てきた。
「先ほどの記憶の話の続きをしましょう。仮にあなたが今、語彙や知能を含む全記憶をリセットされた場合、どうなると思いますか?」
「……体を動かすことも、話すこともできなくなる」
それこそ生まれたての赤ん坊のように、手足を軽く動かしたり、泣きわめいたりと、本能に刻まれた単調な行動しかできなくなるだろう。
「But you can still listen to me and understand the meaning of my words(ですが、あなたは今もこうして私の話を聞くことができるうえ、言葉の意味を理解することだってできます)」
「……Certainly. Perhaps this memory is(……確かに、ってことは、この記憶は)」
突然今までの会話にそぐわぬ、ネイティブと見紛う見事な英語で話す有栖。
だが、彼女の言う通り、俺はその言葉を聞き取り、なおかつ意味を理解することができた。
「あなたが記憶を無くす前のものです。あなたは、中学卒業時点で既に大学レベルの学力を超えていました。今から共通テストを受けろと言われても、何ら問題ないほどに」
あまり実感が沸かないが、俺以上に俺の病気のことに詳しい有栖が言っているんだ。間違いはないだろう。
「じゃあ、俺が既に覚えている言葉と、別の言葉を組み合わせれば、記憶の保持が出来るようになるの?」
有栖の顔は覚えられないとしても、その名前と『友人』という単語を繋げて覚えることができれば、余計なメモを取らずに済むはず。
そんな俺の淡い希望は、苦い顔をした有栖の言葉で断ち切られた。
「……いいえ。厳しいでしょうね。一般的な知識や概念は、陳述記憶のさらに細かな分類『意味記憶』に該当します。これの保持が可能なのなら、あなたがSシステムの存在を知らなかったことに矛盾が生じます」
「そっか。残念」
簡単に治せる病気ではないようだ。長く付き合っていくしかないみたいだね。
それを最後に、また教室に静寂が訪れる。窓の下を見ると、通学路から校舎へと向かってくる生徒がちらほら見える。
そろそろ、この閑散とした教室も盛り上がりを見せるころだろう。
「一つ、気になってたことがあるんだけど」
「? はい。何でしょう」
ふと、そこで気になったことがあったので声を掛けた。
「
何気ない問いかけのつもりだったが、先ほどまで表情を歪めなかった有栖が、一瞬だけ眉間にしわを寄せたのが見えた。
「どうして、そんなことを聞くのですか?」
奥歯を噛みしめているのか口元を歪め、声も心なしか震えているように感じる。
有栖にとって、この話題はあまり好ましくないのだろうか。
「普通、自分の息子がこんな状態だったら、有栖一人に任せたりなんかしないと思ってさ。あと」
言葉を続けようとして寸での所で止める。
「……いや、何でもない」
これを言えば、有栖が傷つくかもしれないと考えたからだ。
「最後まで言ってください。何気ない一言が、病状を良くするかもしれないんですよ」
しかし、先ほどと違ってしっかり話を聞く体制になった有栖は、俺の言葉を聞き逃してはくれなかった。
渋る俺に対して、有栖はどこか切羽詰まったようにも思える早口で語りかけてくる。
……まあ、同じようなやり取り、過去にもやってるだろうし大丈夫か。
「
虐待されてた子供が急な動きや音に敏感になるのはよくある話だ。非陳述記憶が残るのだから、そういう生理的反射が残っていても何ら不思議な話じゃない。
そんな、軽い気持ちで質問した俺だったが、有栖の反応を見て己の失敗を悟った。
「っ! それは……」
「ああいや、良いんだよ別に。今は何も覚えてないんだし」
取り繕っていたであろう表情が露骨に歪み、悲痛な感情が表に現れる。
後悔、罪悪感、怒りがごちゃ混ぜになったような、見ていられない顔をこちらに向けた。
「ごめんなさい……私っ、そんな……!」
「ちょちょちょ、ほんとに大丈夫だって! 不思議に思っただけだったから」
突然の展開に脳がフリーズしそうになりつつも、俯く有栖の肩に手を置いてなだめる。
「というよりむしろ! ……抱き合ったときに、有栖から懐かしい匂いがしたんだ。安心する香りというか……だから別に悪い気はしなかったよ!」
大声でまくし立てるように言ってから、自分の発言の気持ち悪さを自覚してしまった。
気心知れた仲とはいえ、女性に対して匂いやら香りをどうこう言うなんてデリカシーに欠けている。
「……本当ですか?」
一度肩を小さく揺らした有栖が、潤んだ瞳をこちらへ向けてくる。
「あっ、いや……その」
しくじった……まあ、泣かれるより怒られる方がマシか。
肩をさすっていた両手を離し、左右に振って否定する。
そんな俺を見て何を思ったのか、有栖は机に手をついて立ち上がり、俺の後頭部に両手を回して抱きしめてきた。
「っ……あ、有栖さん?」
椅子に座る俺を立って抱きしめているため、丁度胸の部分に顔が埋まる形となる。
誰も居ないとはいえ、空き教室で堂々と抱き合ってるのは、色々とマズいと思うんだ俺。誰かに見られたら瞬間学生生活に支障をきたす。
「……匂いというのは、最も記憶と結びついているとされています」
抱き寄せた俺の頭をゆるゆると撫でながら、有栖は囁くように語りかける。
「この香水は、昔あなたにプレゼントして頂いたものです。小学生のときから、ずっと同じものを使っています」
「そう、なんだ」
「小学生が香水とかませてるな」なんて場違いな感想が浮かんでくる。
だってしょうがないじゃん。真剣に向き合うには、この状況はあまりに刺激的すぎる。
「……不安にさせてしまった分は、これで返させてください」
そんな、しおらしい声が耳を蕩かすように響いた。
プレゼントをした記憶は一切思い出せない。そう都合よく、思い出してくれるなら苦労はしない。
だけど、この甘い声と匂いは、何故だかとても暖かくて、安心するものだった。
「ありがとう」
そう言って、有栖の腰に腕を回す。驚いて小さく体を揺らす有栖だったが、それを咎めることはしなかった。
「っあー。朝練マジきちぃわ」
「夏に大会があるんだろ? レギュラー候補っていうのは大変だな」
「まあな。ってことでそんな俺のためにそれよこせ」
「……水もタダじゃないんだぞ。一口だけな」
しかし、タイミングを見計らったかのように、廊下を歩く生徒の声が聞こえてくる。
「!」
そんな声を聞いて手を離すと、有栖はゆっくりと手を離し、隣の席に戻っていった。
「おう! さんきゅーな!」
「……おい。一口で全部飲む奴がどこにいるんだ」
どうやらAクラスの生徒ではなかったようで、足音は廊下の奥へと消えていった。
隣に座る有栖に目を向けるが、一瞬視線が会ったと思えばすぐに反対側に逸らしてしまった。
「……続きは、また帰ってからやりましょう」
「えっ」
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──高度育成高校データベース──
氏名:白夢 日彩(しらゆめ ひいろ)
クラス:1年A組
部活動:無所属
誕生日:7月7日
身長:177㎝
体重:67㎏
【評価】※1
学力:A
知性:A
判断力:A
身体能力:A
協調性:C-
【面接官からのコメント】
学力、身体能力共に非常に優秀、面接での受け答えからも、豊かな教養と知性を読み取ることができた。11歳から15歳に至るまでの4年間、世界チェス選手権にて統一チャンピオンとなっている。現在部活動に所属する予定はないそうだが、個人での活動にも是非とも期待したいものだ。坂柳有栖とは小学校からの仲のようで、常日頃から坂柳が生活する上でのサポートを行っており、互いに信頼し合う仲とのこと。人前に出ることを好む性格ではないが、教師、クラスメイトからの評判も良好。
総合的に見て、Aクラスへの配属で間違いないだろう。クラスメイトとの交流を通して、リーダーシップや積極性を身に着けることを期待する。
【担任メモ】
※1の内容は入学前時点のものです。彼の評価は非常に複雑となるため、別途資料にて詳細を記載中です。こちらはその後に削除予定です。
いち早く症状が改善するのを祈るばかりです。