第十一話 残り火は赫く、ただ赫く

 夜半、朔夜は壁にもたせかけていた背を浮かせて、音もなく立ち上がった。

 彼は怪我でもしない限り、常に、戦える備えで眠る。

 せめて手甲くらいはしろ、と和真がうるさいので、夕食前に装具店で手甲を見繕ってもらい、化獣ばけもの皮をなめしてにかわで煮、圧着して作った煉革ねりかわの手甲をつけていた。


 なつめが気づいたようだったが、朔夜は指で壁を軽く突いた。トンツーで「サンポ スグモドル フオン ナシ」と符号。

 彼女は黙って頭を布団に戻した。


 別段、深い理由は何もない。本当に散歩だ。

 けれど──胸騒ぎがした。それは皆を巻き込むようなことではない。己の、個人的な決着、因縁めいたものだ。

 過去にもそのような虫の知らせを感じたことがあった。あの時と同じ、──これはきっと、己だけを呼ぶ、指向性を持つ殺意だ。

 多分──薄々、皆気づいていただろう。その上で、浜松逗留を決めたのだろうとも。


 黙って歩く。宿場の、街道の外れにある浜松郵便局を素通りし、その脇にある雑木林に入る。

 何かを察したように、フクロウや虫が、一斉に鳴き止んだ。


 朔夜は黙って、腰の鞘から太刀の柄を握り、鯉口を切り、ゆるりと抜いた。

 刀身が青白い月明かりを滑らせ、ちかり、と光を反射して朔夜の銀色の目を煌めかせる。


「無関係な人間を巻き込みたくない」

「それを俺の同類が言うかね」


 音もなくついてきていたのは、人斬り才蔵。落としたはずの腕は、赤銅色の義手に置き換わっていた。


 多くを語る必要はなかった。

 朔夜は他人を巻き込みたくない。才蔵は他人に邪魔されたくない。

 利害が一致した、死合い。

 あとはもう、ひたすらに。


「土佐国江ノ口村七軒町、岡田才蔵」

花山国かざんのくに槐岳えんじゅだけ狐牙こが村、稲葉朔夜」


 先に仕掛けたのは、朔夜。正眼八相寄り、稲葉狐閃流における、狐腋こえきの構え。

 才蔵は片手で刀を寝かしつつ、素早く表切上に振り上げた。朔夜の袈裟懸けと激突、がぎぃ、と甲高い音と火花が夜陰に散った。


 銀色の月明かりを浴び、二人の亡霊が切り結ぶ。

 苛烈な幕末を駆け抜けた小僧と、血刀を振い続けた生粋の人斬りが、一合、二合、五、十、十五──三十と斬り合う。

 雑木林のあちこちに銀光が閃き、赤い火花が散り、金属音が響く。


 朔夜の頭上を寸でのところで掠めた一閃が、狐の毛皮を思わせる配色をしたまだら色の髪を薙いでいく。

 返す刀が朔夜の首を斬らんとする──だが、すかさず朔夜は脇差を抜いて防ぎ、右手で握る太刀で刺突。

 才蔵は体を滑らかに逸らしてぬるりとそれをかわすやいなや、軸足を宙に踊らせた。朔夜が下段、足払いを仕掛けるのを見切っていたらしい。


 ざりっ──と腐葉土を舞い上げた足払いを苦もなく避けた才蔵は、喉を突く刺突を繰り出す。朔夜は脇差で相手のきっさきを左に払いつつ首を傾けて回避し、太刀で反撃。

 才蔵も刺刀さすがを抜き放ち応戦。

 喧嘩独楽めいた死闘が続く。


「楽しいな、化け狐」

 才蔵の頬が、パッと裂けて血が吹き出す。

「懐かしい、俺の、命の温もりだ」


 朔夜は頬から顎にかけて走った刀傷の、冴えた痛みと血の温みに武者震いした。

「否定はしない」


 才蔵が刺刀を投擲。朔夜もまた、脇差を飛ばす。宙で衝突した二振りがくるりと回転し、弾かれ、すっ飛んでいった。

 行方を知るいとまもなく、両者は術を発動。


「オン・キリカク・ソワカ──〈赤狼〉!」

璣巧からくり構築・【カイナ】!」


 才蔵の左腕から青緑色の繊維が伸び上がり、巨大な璣巧からくりの腕を形成。それが朔夜めがけ振り抜かれる。

 瞬時に独楽のように回転して太刀の鎬で璣巧からくりの拳を受け流した。拳闘でいうところの、スリッピングアウェーという技法だ。

 しかし、その重圧で朔夜は姿勢を崩して地面を転がる。

 そこへ才蔵が、【カイナ】を断ち切りつつ刀を振り上げ、襲いかかる。


「シャァラァ!」

 どうにか、太刀で防いだ。柄と峰を押さえて、才蔵の凶刃を防ぐ。

「〈赤狼〉、右の木をぶっ飛ばせ! ──オン!」


 直後、燃え盛る和深狼カズミオオカミ──〈赤狼〉が爆裂。大木の幹を吹っ飛ばして、それを倒す。

 朔夜はほとんど本能で足を撓めて才蔵の腹の下に押し当てて、跳ねるように押し出した。


 後ろに吹っ飛んだ才蔵と、勢いで後方回転した朔夜。

 両者の間に木が倒れ込んだ。周囲で、枯れ木と枯れ葉が燃え盛る。


「【カイナ】ァ!」


 倒れた木を、巨大な腕が粉砕して迫る。朔夜はそれを跳躍しつつ縦回転していなし、腕に登って駆け出した。


「狐みてェな野郎だ!」

 才蔵が笑う。

「先祖と祖父じじいが狐なもんでな」

 朔夜が牙を剥き、獰猛な笑みを刻みつつ答えた。


 璣巧からくりの【カイナ】の上で、朔夜と才蔵が切り結ぶ。

 炎が両者の狂気を照らし出し、次々出来上がる生傷と出血が、攻防の激しさを無言のうちに語った。


 紙筒を抜く暇がない──。

 朔夜は太刀を両手で保持。時に強く握り、才蔵と打ち合うときは敢えてたわめて指と手首への衝撃を逃しつつ、すかさず握り込んで反撃。


 剣は握力が強ければいいわけではない。

 たとえば、高所から落下する際全身をガチガチに固めて着地すれば、当然、関節を砕いてしまう。

 降りる時、あえて関節を和らげたわめてこそ、勢いを殺せるのである。

 それと同じだ。刀剣が打ち合さる時、あえて握力を逃したり、緩めることで、手が痺れ斬速が鈍るのを防いでいるのだ。


 互いの被服は傷だらけで、朔夜の鎖帷子は切り裂かれ、顔だけでなく腕に、胸板、脾腹、腿に切創が刻まれている。

 それは才蔵も同じ。彼は璣巧からくりこそ使っても、それで鎧を纏うことは良しとしないようで、義手以外は完全な素肌である。その上には帷子もなく、着物一反のみを身に纏い、帯を締めるのみ。


 戦い始めて、すでに五分は経つか。その間に、すでに数百の激突があった。

 一つの戦場で起きる剣戟を合算したような、凶暴な五分だ。幕末の亡霊が、その御霊みたまの残り火を赫赫と燃えあがらせ、吼え、猛る。


 ──さながら、猛疾たけはや


 三ツ神に連なることのなかった、出来損ないの武神──狭真猛疾はざまたけはや。その荒ぶる御霊が顕現したかの如き、戦。

 二人──否、二つの戦の神が、言葉として表現できぬ雄叫びをあげて切り結ぶ。


 両者が【カイナ】から転げ落ちた。才蔵が朔夜の腹を蹴り飛ばし、朔夜はすぐさま左手で地面を押し、体を跳ね起こす。

 才蔵の左の拳が朔夜の顔面を打ち据えんとするが、すかさず、頭突きで受け止めた。


「ぐぁ──がァ」


 才蔵の中指の骨が、甲を突き破った。璣巧からくりの義手と言えど、擬似的な神経は通るため痛覚はある。

 そして、鉄塊と言っていい義手でぶん殴られた朔夜の額が割れ、血が吹き出す。

 だが、止まらない。


璣巧からくり構築・【大鎚オオツチ】!」

「オン・キリカク・ソワカ──〈盾亀たてがめ〉!」


 璣巧からくりが構築され、巨大な木槌を形成。同時に朔夜が深緑の紙筒を放り、甲羅を盾にする亀を召喚。

 ばねと滑車が回り、【大鎚オオツチ】が唸りをあげて振り下ろされる。それが、〈盾亀たてがめ〉の甲羅に激突。

 大気が爆発したかのような衝撃が抜けた。

 衝撃で【大鎚オオツチ】が自壊し、四散。同時に〈盾亀たてがめ〉が霧散した。


 才蔵が迫る。互いに刀を打ち据えて、どちらともなく後ずさった。

 四間ほどの距離を置き、同時に納刀。


 ──抜刀術。


 才蔵は腰を落とし、柄に触れるか否か。その間で右手を添えて、左手で鞘を握りしめる。

 一方朔夜は腰を限界まで捻りつつ落としこみ、鞘に仕込んだ術に妖気を巡らせる。


 一人は侍という超人として。

 一人は妖術師という怪人として。


 ほう、と──フクロウが鳴いた。


「ぬぅううぇえええええいぃッ!!」

 才蔵が、裂帛の気合いと共に踏み込み、抜刀。

「おぉぉおおおああああああッ!!」

 朔夜が喉を破らんばかりに咆哮し、抜刀。


 闘気と妖気が衝突し、

 ──血飛沫が、銀月を彩った。




「俺は、どうなった……」

 才蔵は、遠くに転がる己の右腕を見、自嘲気味に笑う。

「おい、くそ……四十年物の、利き腕が……」


 腕──だけではない。腹は深く裂かれ、地面に臓物をぶち撒けている。


「言い残すことはあるか」

「へへ……あの刀、質にいれりゃあ、良い値になるぜ。いや……選別だ。平賀銀志は生きている。狙いは、お前の首だ」


 朔夜は無言。太刀を低く、構えた。


 ──君か為 尽す心は 水の泡 消にしのちそ すみ渡るべき


 最期に、才蔵はそう言い放ち、カッと目を見開いた。

「野垂れ死にはごめんだ、討て、稲葉朔夜!」


 朔夜は太刀を振るい、岡田才蔵、その首を落とした。

 幕末の亡霊が一人──また、この和深の地を去っていった。


 朔夜は太刀の血を払い、肘で脂を拭う。

 ゆるりと納刀し、無言で、一礼した。


 ──死ねば皆、骸。


 それは、敵も味方も、常に同じことであった。

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