第三章 浜松動乱

第十話 浜松到着

「ぐぅ──ぉ……」


 岡田才蔵おかださいぞうは、己の左腕を押さえて呻いていた。糸を引く粘質な涎には、血が滲んでいる。奥歯を噛み締めた時に、その奥歯を砕き、砕けた歯のかけらが歯茎を抉り刺し、出血してしまったのだ。

 気が狂うほどの痛みだ。それは、歯を砕いた痛みではない。左腕の、熱──しかし。だが、これがあれば。


 船倉の奥でうめく才蔵の背後から、一人、着流しの男が現れる。そいつが腰にぶら下げている、丸い璣巧からくりのカンテラの陰になっていて、顔立ちは見えない。

 だが胸元には何やら複雑怪奇な璣巧からくりが張り巡らされていた。


「平気か? 岡田」

「ひ、らが……」

根亜コアはな、弟から貰い受けた技術の一つ。お前にやったそいつは、至高の璣巧からくりのひとひらだ」

「人体、実験だろう。俺で、確かめるのだな」

「そうだ。それをわかって乗ったんだろう」


 着流し男の名は平賀銀志ひらがぎんし。祖父は天下の発明家、平賀源一郎げんいちろう。恵戸に璣巧からくりの何たるかを叩き込んだ、璣巧からくり革命の申し子である。

 陰の中、銀志の口元が酷薄な笑みを浮かべたのが見えた。不気味なくらいに白い歯が覗く。


「頼むぞ才蔵。……浜松崩しはお前がやりおおせるんだ」

「なら牛蛙共の援護なんぞいらんだろう!」


 牛蛙とは、それを食べる習慣を持つダルタニア人への蔑称である。

 岡田才蔵は大の外国人嫌いであり、彼は深撰組でも度々ダルタニア人と喧嘩になり、揉み消しが何度かあった──詰まるところ、数人の帝国軍人を斬殺した過去がある。


「嫌なら船を降りろ。止めはせん」

「……っ」

「あの日の恵戸を取り戻す……俺たちの幕末をな。終わっちゃあいねえ……俺の幕末は、始まってすらいねえ」


 銀志の体から、妖気のような幽鬼のような、悲嘆に暮れる鬼の──鬼哭啾々たる怨念が燃え上がった気がした。

 才蔵はそれを感じ、黙った。


 ──あんた、璣巧じゃねえ。

 ──あんたこそ、悪鬼妖魅じゃあねえかい。


 そう、思った。


「稲葉朔夜の首から上は傷つけるな。脳が傷ついちゃあ、おじゃんだ」

「へへ……外道め」

「なんだってやってやるさ。失ったものを、取り上げられた誇りを奪い返すためならな」

 銀志の声は、憤怒に燃えていた。


     〓


 芽慈めいじ十一年三月十七日 金曜日 夕七つ(定時法 午後四時半頃)


 薄曇りの春先。動乱期から兼ねて計画されていた鉄道敷設は、この東海道を──正確には、その少し北の内陸、新東海道を──新東海鉄道線へと発展させた。

 浜松はその際たるもので、新東海道線へ続く支線が伸びている。

 汽車の汽笛が響くたび、町の奥に眠っていた旧城下の通りもかすかにざわめく。


 ここから坂東へ向かう手段も、なくはない。けれど、道中の穢れをなるべく祓っておきたいというなつめの意見には、同意できる部分が大いにある。

 一度、穢れを見た朔夜はなおさらだ。あんな悍ましいものを放置して歩いて行けるわけがない。ましてそれが、自分が蒔いた種ならば、なおさら──。


 街道沿いの町屋からは、ガシャガシャ鳴る織機のかすれた音と、干物を炙る香ばしい匂いが漂っていた。

 鳥居の前では、片足をあげて遊ぶ子供たちの笑い声が響く。輪っかをけんけんぱで渡っていく。

 西洋風の衣服を着込んだご婦人と、若旦那を乗せた車を引く車夫が、名所を説明していた。ご婦人は、駅舎に興味があるようだ。


 水飴を片手に笑い合う女子──人の子と、化け猫の少女が朔夜たちの間をすり抜けていく。


 こうした光景を見ていると、朔夜は、己のような妖術師が必要とされない時代が、──どこかそれで正しい在り方のように感じられた。

 実際、この風景を叩き壊そうと言うつもりは、爪のかけらほども湧いてこない。むしろ、ずっとここにいて、見守っていたいとすら思う。


 けれど、今まさにそれを脅かす穢れが迫っている──。


 太陽が山の向こうへ沈もうとしている。遠く見える峨々たる山々は、龍牙連山と呼ばれており、その名の通り龍の牙の如き急峻な岩山が連なっていた。

 岩肌なのに、それらは骨のような乳白色。材質も、地質調査の末に「龍の骨である」という見解が示されていた。

 よもや生命を司る双龍神の片割れ、黄昏の地底龍ダイヂタツヒメの骨ではあるまいが、おそらく、あそこに横たわり眠りについた全く別の巨大龍が、太古の時代にいたのだろう。


 そこを超えた先が、大陸の東部地域最前線として戦地にもなった土地だ。朔夜も良く知る、懐かしい戦場である。

 西軍は、一時は東地域にも勢力を伸ばしつつあった。けれど、天瀑・伏辺の戦いに至るまでの十年余りの間に、討幕軍は戦線を押し返したのだ。

 その頃の朔夜はまだ兵士ではなく、戦争というものを、伝聞でしか知らなかった。

 己の腕を示す場、と呑気に考えるくらいには、尻の青い糞餓鬼だった。


 ──……あんなことは、二度と起きてはならぬ。


 茶屋の腰掛けに座り、煙草を吸う朔夜を銀乃がじっと見ている。糸のように細めた目の、上目蓋を僅かに持ち上げていた。金色と飴色の間のような瞳が、かすかに見えた。


「煙が鬱陶しいなら言ってくれ」

「ちゃうねん。懐かしいと思って」

「懐かしい?」

「じじ様がよう吸っとった」


 銀乃が語るじじ様というのは、霧島一族の最長老である猫又で、なんと八尾の大妖怪。御歳六五〇歳。戦国の世を戦い抜いた宿老であり、老いてなお最強の忍び──本人は戦国当時忍びを指していた、乱破らっぱという呼称を用いているそうだ──であり、加えて未だ現役であるらしい。


 一族の中で、才媛と神童の猫又と言われる、銀乃の従姉妹・霧島万里恵を一方的に叩き伏せられる唯一の忍びでもあるという。


 じじ様……本名は、誰にも明かしていないらしきその猫又は、銀乃のずっとずっと離れた血縁、つまり祖先であるという。

 本来の姿は体重五十貫を超す銀の虎だそうだ。


「そういえば銀乃は金の虎なのに、銀乃、なんだな」

「うん。じじ様と同じく立派な忍びになれと、親父様が銀乃、って名付けたって聞いたわ。じじ様も、笑ってお許しになったそうやで」

「……凄い爺さんもいるんだな。俺では勝てそうもない」


 謙遜ではなかった。朔夜は、己が五尾に伯仲する実力を持つという自負はあれど、それ以上の妖怪が本気を出したら勝てると思えなかった。

 その銀乃は、現在変化を解いて虎の姿になっていた。体重は、余裕で四十貫──百五十キロは超えていそうな、金虎である。


 さても浜松の連中は猛獣が腰掛けのそばで丸くなっていても、さほど驚かない。というのも、妖怪と獣の違いは、なぜか、子供にもわかるのだ。


「ねこちゃん」小さな女の子が銀乃に近づいてきて、その兄上だろうか、十二歳くらいの少年が「あっ、こら」と呼び止める。

「どしたん。お姉ちゃんが気になる?」

「ねこちゃん、すきだから」


 女の子が銀乃の顔を両手で包むように触る。銀乃は嫌がるでもなく、「そうそう、顎をな、顎を……」と図々しく撫で方を注文する始末である。

「ご、ごめんなさい……!」

 少年が慌てて頭を下げた。


「気にせんでええよ。猫好きに悪い子はおらんで。……せや、時に少年。ここいらで安くていい宿ってある? こっち、連れ入れて四人なんやけど。できたら、魚が美味いと嬉しいわ」

「ああ、宿ですか? うちなんかどうです? この街道をまっすぐ行って、井戸がある広場の手前、左手にある『浜川屋』ってところなんですけど。一泊、夕飯朝食付きで、夜だけじゃなく朝風呂も付きで、一人九十銭貨。美味しいサヨリの刺身に、ボラの味噌焼き、マダコの炊き込みご飯……美味しいですよ!」

「おお、兄さん商売上手いなあ」


 朔夜は形のいい顎を撫でる。無精髭がぞり、と指にあたる。

 悪くない、と思った。朔夜自身も内陸の生まれだから、人一倍、海産物に憧れがあった。この旅でもう何度か食べているが、しかし、飽きることはなかった。地域によって取れる魚は異なり、同じ調味料を使っているはずなのに、方法が違うので、各地で味わいが変わるのも面白かった。


「路銀ならなつめが預かってるが、まあ、一働貨以内なら許容範囲か……」

「案内してもろてええか?」

「はい! と言っても、僕の実家なんですけど」


 見れば少年は、重そうな台車を押している。載せられているのは薪の類だ。使いの途中だったのかもしれない。


「銀乃、先に行っててくれ。和真たちに知らせてくる」

「わかった。行こか少女、お姉ちゃんに乗ってくか?」

「いいの!?」


 朔夜は微笑みながら、和真がいる雑貨屋に向かう。

 なつめはどうやら砂浴びをしたいらしく、海岸の砂浜に飛んでいった。鳥は水や砂を浴びて、汚れや、危なっかしい虫やらを振り落とすそうだ。


 雑貨屋の軒先には、色々なものが並べられている。

 何に使うかわからない道具が多数だが、中には王国伝来の製紙技術で大量生産が始まった紙に、墨、筆、硯──一通りの筆記具がある。


 朔夜は目の荒い紙に包んである墨をつかんだ。少しめくり、眇めて眺める。悪くない。並級の霊媒墨れいばいぼくを三丁、手に取る。

 それから、符紙ふしと呼ばれる類の百枚留めの紙束を一つ掴んで、店に入った。

 すでに買い物を終えていた朔夜が「あとで、まとめて取りに来る」と店主の千疋狼せんびきおおかみの男に言っていた。


「どうした……筆記具? 何に使う」

「術に使う。必需品だ。店主、いくらだ」

「サンシチ、墨二十一銭貨と紙が三十銭貨だね」


 朔夜はじゃらりと銭を勘定台に載せた。

 店主は素早く視線を走らせ、「はいちょうど」と言い、朔夜は「どうも」と一言返して歩き出す。和真は「あんた口数少ないな」と漏らした。


「口は災いの元。とは言っても別に、ひと嫌いとか、喋るのが嫌いなわけでもない」

「確かに、振られれば答えるからな」


 嘘をついた。本当はひと嫌いだ。だが、ひと嫌いと喧伝する人間の多くはそれで悲劇の主人公を気取る自分に酔っ払うのが好きなだけで、実際は、ちやほやしてくる他人が大好きだ。

 朔夜はそうやって、いちいち寄ってたかられるのが大嫌いだから、表向き、他人とそれなりに柔らかく接するだけである。そうしたほうが、結果的に余計な設置面を減らせるからだ。


 狂犬めいた振る舞いは余計な敵を作る。かといって、他人におもねるだけの余裕も、自分にはない。

 なら最低限の優しさと親切を持ち合わせ、不快に思わせぬ振る舞いをし、それなりの距離を保ちつつ、他者と接するのが一番気楽であるように感じられた。


「銀乃が宿を見つけた。井戸端の、浜川屋というところだ」

「わかった。なつめのことだから知らせなくても見てるだろうな」

「目がいいんだな」

「耳もな。王国軍は、フクロウの顔の構造を模した、レーダー、とか言うのを開発しようと躍起らしい」

「ダルタニアへの抑止力か」

「そんなところだ」


 現在、和深大陸の友好国はいくつかある。その際たるものが、討幕に際し武具を融通したエルトゥーラ王国だった。

 内務卿・大久保利徳おおくぼとしのりは、エルトゥーラ王国の現国家元首である女王・・、エルフリーデ・レダ・ジルワース・ログ・エルトゥーラに謁見したこともある。

 西の大陸では民衆革命が相次いでいる中、ダルタニアとエルトゥーラのみが、未だ専制君主制国家を成り立たせていた。


 それを言うならば、この和深は余計に、独特だ。


 基本的に、和深大陸各地に国々は独自の主祭神を頂点とした神制絶対君主制国家の様相を呈しているが、それらを連合的に取りまとめるのは、ひと、である。芽慈の世でいえば、先述した内務卿・大久保利徳がそうだ。

 けれども彼とて、やはり祀る神仏はある。大陸を、すべての神を産んだ「始まりの渦」とも呼ばれる者──「深王しんおう」である。


 深王が三ツ神──陽之慧ひのえ常闇とこやみ星樹ほしぎを産んだ。それらが宇宙と、この揺籃球ようらんきゅうという命の星を作り……というのが、この星に数ある神話の一つである、深王神話であった。


 一切の神への信仰が、深王への信仰となる──というのが、この地における考え方であるが、中には直に深王を祀る者もいた。

 そうした者を、渦者うずもの、と呼称する。大久保は長じて渦者であると言われていた。


 宿に向かって歩く朔夜らは、ぐるぐる回る人の渦に飲まれるように、浜松の喧騒へ溶けていく。

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