第八話 北上せよ

 夕飯時である。部屋は、安くしたいので四人で同じ部屋。少し手狭だが、窮屈というほどでもない。

 卓に並べられたのは、数々の海の幸。脂の乗ったマグロは、赤々とした身が蝋の火を受けて妖しく光る。


 恵戸ではマグロは、その脂っぽさから武士の食べ物ではないとされていたそうだ。また、別名のシビは、死日を連想させるから、縁起をかつぐ恵戸の侍は特に嫌ったらしい。

 加えて、切実な問題として、痛みやすいというのが大きな理由である。

 しかしヅケという調理法が確立され、また、恵戸寿司が流行。そしてこの御一新。マグロは瞬く間に、人気者になった。


 上等士族──妖術師である朔夜だが、彼にしてみれば、食えるだけで充分、ましてそれが美味ければ文句などない。

 何とも面白味のない男だが、彼にとっての食べ物の価値とは、美味いか不味いか、量が多いか少ないか、安いか高いか、毒か否か、それだけである。見栄えや縁起なんぞに、そこまで興味はない。


 和真となつめは山生まれ山育ちなので、そもそも魚自体が非常に珍しい。「生で食うのか……」と驚く朔夜と、「川魚とはやはり違うな」と唸るなつめ。

 銀乃は、逢坂湾を知ってこそいるが、山に隠れ住んでいたのでやはり海の幸は珍しいようで、目を輝かせている。


「いただきます」


 一行は、手を合わせて箸を手に取った。

 朔夜はマグロのあら汁の椀を取り、啜った。ぶつ切りの身を齧り、骨から、火の通った身を噛み取って、ほぐすように咀嚼して飲み込む。

 醤油とあご出汁の素朴な味の汁だが、美味い。ざく切りの大根は、ほろりと崩れるくらいに柔らかく、噛み締めると甘みが染み出す。


 銀乃は汁をそこそこに、マグロの刺身に箸を伸ばした。醤油をつけず、わさびだけ少しのせ、頬張る。

 香り豊かな山わさびが、脂のくどさを和らげている──銀乃は、そのように感じた。醤油をつけなかったのは、魚の旨味をそのまま味わいたかったから。

 ──美味い。


 妖怪が人里に降りる理由はいくつもある──たとえば、一族間で血が濃くなってしまうのを防ぐためとか。古く語られる異類婚姻譚の多くは、そこに起因するものだ。妖の世も、なかなか世知辛い。


 他には必要なものを取引するためだとか、情勢を知るためだとか色々理由はあるが、やはり美食が大きな割合であるのは違いない。

 御一新ののち、西部の妖怪はどこかで安心していた。徳河幕府に追い立てられることも、壬生浪に追い回されることも、他の璣巧からくり使いに狩られる不安もない。

 けれどもやはり、居るのがつらい。息が詰まるのだ。

 それに妖怪狩りが完全に止まったわけではない。中には、幕府が討たれたのは貴様らが邪魔をし、情報を売ったからだと喚き立てる連中まで現れた。


 知ったことか、と思った。

 ──貴様らとて、妖怪のことを慮りはすまい。ならばなぜ、こちらが思いやる必要がある。

 ──貴様らには平等に、興味も期待もしておらぬ。


 それが、西の妖怪の、人間に対する思いだ。

 そして、くだんの穢れ騒動と来た。そういうわけで今、西は酷い有様であった。


 いや、余計な考えはやめにしよう。飯が不味くなる。

 銀乃はイクラとウニを乗せてある白飯のどんぶりを手に取り、かき込んだ。


「イカ、ってのは。あの……たこ、とかいうやつの仲間だっけか。頭足類というやつだな」

 和真がなぜか苦々しげに言った。


「苦手? うちがもらってええか?」

「そうじゃなくて。実は、故郷を出る前に、タコみたいな穢れと戦ってな。気になったんだ。山にはもちろん、川にも、イカなんていないから」

 するとなつめが、「汽水域に迷い込むことはあるみたい。増水した時とか。でもま、例外ね、そういうのは」と言って、イカ刺しをするすると食べる。


「ついでにいえば、タコとイカは貝の仲間だ」

 朔夜がそう言い、和真が、

「馬鹿な。いくらなんでも山育ちを馬鹿にしすぎだぞ」

 と笑う。

 だが朔夜は笑っていない。

「え……本当にか」

「軟体動物という類で、貝の仲間だそうだ。タコやらイカは、貝殻が退化しているだけに過ぎん。やつらは生きる上で、殻がいらなくなったのだろう」


 その通りだ。頭足類──頭から足が生えているという、人で例えると恐ろしくもある生態の仲間であり、そしてより大きなくくりでは、軟体動物という部類で、貝とも仲間である。

 海には、まこと、奇妙な生物が多い。


 なつめは一献、桑酒を注ぐ。和真と、銀乃、そして朔夜の盃にも注いだ。


「和真、電報は?」

「総本社付きの局員に繋いでもらえた。悪い、なつめの名前を出した」

「それはいいけど……向こうは何だって?」


 今後の方針である。

 銀乃には、和真が事情を説明したらしい。朔夜は先ほど、外にある湯屋でそれを聞いた。


「東。北東へ上がっていってほしいと。皆は、裡辺りへんを知っているか」

暁星嶺慈あかぼしれいじ……溟月くらつき戦争か。俺は行っていないが、話は聞いている」


 溟月戦争が起きたのは去年、ちょうど、西郷の乱と重なっている。そのため、西郷鎮圧に向かった朔夜は、裡辺国で起きた溟月戦争には参加していない。

 溟月戦争は影法師を名乗る一味の頭領、暁星嶺慈らが挙兵。新国家樹立を宣言して起きた戦いだ。

 結局それは紅の九尾・暁星嶺慈と同郷の鬼、漆宮燈真しのみやとうま率いる、魅雲隊みくもたいによって阻止されている。


「北東に関しては具体的な地名は明かされなかったが、気になる記述があった」


 和真は紙切れを一枚、皆に順番に回す。

 朔夜は銀乃からそれを受け取った。


 ホクトウヘノボリ ユウシツドエ

 バンドウノチニ ケガレセマル


「……坂東の地に穢れ迫る」


 朔夜は、そちらが気になった。


「俺もだ。東雲国しののめのくにの首都。エルトゥーラ王国に対し、最も大きく開かれた交易港でもある。そこに何かあれば、この国だけじゃない、東部全域に震撼しんかんが走る」


 和真は朔夜から紙を受け取り、懐にしまう。

 そうして彼は酒をぐいと飲み、


「朔夜はどう思う?」と聞いた。


 なぜ俺に、とは思わなかった。

 すでに彼は、朔夜を仲間だと思っている。疑うことを知らなそうな、深い緑の純粋な目で、こちらを見ていた。


「……知り合いがいる。そいつを……死なせたくはない」

 ぽつりと朔夜はそう呟いた。


 ──お雪。


 彼女は、もう別の男の妻だ。子もいる。未練はないが、だからこそ、死んでほしくない。


「なら決まりね。銀乃はいいの? 危険な旅になるわよ」

「かまへん。うちは、これでも御庭番と呼ばれた猫又忍び衆の一匹やで。それに、これはうちなりのケジメの付け方でもある。共に戦わしてくれ。頼む」


 誰も反対などしなかった。

 代わりになつめがもう一杯、酒をつぐ。それが答えだ。


「一つ気がかりなことがある」

 朔夜は刺身を口に運び、飲み込んでから続けた。

「人斬り才蔵だ。本名、岡田才蔵」


 銀乃が、目を大きく開いた。


「京都の、あの人斬りかいな」

「知ってるのか」

「仲間に裏切られて、その怨嗟で、鞍替えしたっちゅうほんまもんの人斬りやで。生きとったんか」

「この目で見たし、戦った。左腕を落とした」


 こともなげにそう言い、朔夜は酒を呷った。


「いずれ、奴とも決着をつけねばならん」

 と言い、朔夜はマグロのあら汁を啜った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る