第六話 〈飯綱操術〉
芽慈十一年 三月十六日 木曜日
巳の刻(昼四つ) 午前十時頃
西の都、
あるいは、開通したばかりの京楽〜
穢れ地となった場所は、まず、近隣の神社ないしは仏閣、
そこから神職、僧侶、
次いで、戦闘員となる侍・妖術師や妖怪などを自前で、もしくは現地で集めて穢れを祓い、土地を清める──大雑把に言えば、そのような手順である。
「郵便局に寄りたい」
和真が突然そう言った。
「なんだ、なぜ」
「俺は電報を打てる。あんたと合流したことを、天嵐神社の総本社に、しかと伝えておきたい」
なるほど、情報の錯綜は時に悲惨な末路をもたらす。それは、去年──正確には、半年前──まで軍人だった朔夜がよく知っている。
「わかった、流川宿の郵便局は無事なのか」
「ああ。局員はおらんだろうが、電信機さえ無事なら構わない」
道中、彼らが山岳郷・
ここから嶽垣国となれば、越境費用も込みで、八〇働銭は必須。大工の日当の二日分である。
まあこの状況で金は取らぬだろう。緊急事態である。あるいは、どこぞの社で事情を説明し、電報を打ってもらってもいいかもしれない。
「見えたぞ」
なつめが言った。一里半なら、走ればすぐだ。三人ともに、体力には自信がある。妖術師も鬼も健脚自慢であるし、なつめにいたっては飛んでいる。
薄青色の結界が天蓋状に展開されていた。そのうちに見えるのは、赤黒い穢れが点々と大地を、家屋を呑んでいる冒涜的な有様。
朔夜は穢れというものを知識としては知っていたが、見たことはなかった。ゆえに、半信半疑だったが、実際に見てようやくそれを、実感として認識した。
──あってはならぬものだ。
そのように感じた。
黄泉か地獄か。信奉する神仏によりその呼び名は変わるだろうが、いずれにしても、この世のものではない、あってはならぬ異質である。
「妖力で全身を覆いなさい。素肌で触れれば焼かれたように痛んで、徐々に、侵食される」
「わかった」
妖力で肉体を覆うのは、妖術師が最初に習う基礎であった。それによって彼らは物理的な攻撃に対して高い防護性能を発揮し、銃弾をも跳ね除けるのだ。
結界を張っているのは、壮年の男だ。剃髪し、袈裟を着込んでいる。
「君たち、何している! 逃げなさい!」
「天嵐神社神使、
「天嵐神社……なるほど、頼む。今はとかく、助けが欲しい」
なつめが「和真、電報を打ったら合流して」と言い、和真は「まかせろ」と言い放ち駆け出す。今までは本気の疾走ではなかったのだろう、倍の速度で駆け出す。
朔夜となつめは坊主が隙間を広げた結界から内部に侵入した。
ぬる──と、肌をざらついた……猫の舌で舐めまわされるような感触が這いずった。けれど、猫に舐められた時に感じる安らぎは一切ない。ひたすらに不気味で不愉快だ。
「オン・キリカク・ソワカ──〈
朔夜は素早く紙筒を二つ抜いて、かんしゃく玉のように地面に打ちつけた。煙と光が炸裂、八尺にも達する金色の半人半獣の、メスのハクビシンが顕現。
帯電する二体の〈金心〉は、さながら阿吽像の如く朔夜の左右を守る。
「〈
「詳しいことは後で話す。こいつらは俺の認識を引き継ぐから、仲間と敵をしっかり識別できる。大丈夫だ」
「ならいい」
穢れが、まるで樹木のように張り巡らされている。その枝やら幹に、ところどころ肉腫のようなものが蠢いていた。
その一つがばきりと割れて、中から、悍ましい
それが、左右非対称の、二つの頭を持つ狼であった。
狼の穢獣は不協和音めいた雄叫びをあげる。大きさは、リクザメと同じくらい──一般獣の中では最大級の、ゾウほどもある。
〈金心〉が下肢をたわめ、飛びかかった。僅かに、右から反時計回りに迫る方が早く、左から時計回りに攻める方が意図して遅く飛び出し、攻撃の間合いをずらす。
朔夜は既に太刀を鞘払い、左の〈金心〉に隠れるようにして駆け出していた。
狼穢獣がまず、右の〈金心〉を迎撃。二つの頭部のうち、肉が腐り落ち骨が剥き出しになっている方の左頭が顎を開いて、黒い火球を放つ。
〈金心〉は帯電した爪でそれを弾きつつ、──しかしその一撃で、左手が焼け落ちて消失した。
「なんて威力だ」
〈金心〉は攻防一体の式神。攻めにも守りにも使える汎用性のある手札だ。
なつめは上空に上がり、印相を結んでいる。修験道だろうか? 天嵐神社では燦仏天の流れも汲んでいるため、修験の教えがあっても不思議ではない。
天狗のなつめが神使に登用されるのも、そのためだ。
いずれにせよ、何らかの術を使うのは明らかだ。
時間を稼ぐべきだと即時判断、右の〈金心〉がまず攻めに回る。
爪の一撃を、狼穢獣が後ろに下がりつつ火球を打つ。〈金心〉は、それ単体では学習速度が遅い。やはり受け止めるのだ。〈金心〉は朔夜が守りにも使うために、回避する、という判断を滅多に下さない。
両手を吹き飛ばされた右の〈金心〉は、だが、牙で攻めた。
ギャウッと怒号をあげて、〈金心〉が駆けていく。その時、左の〈金心〉が下段から爪を擦り上げつつ、狼穢獣の肉に包まれた右頭をかち上げた。
そこへ、両手を燃やされている〈金心〉が大顎で噛み付く。骨の頭に噛みつきを喰らい、穢獣が悲鳴を上げた。
「そのまま噛み潰せ!」
ぎぎっ、ぎちぃっと骨の頭が軋り、──狂気が、爆ぜる。
穢獣が噛みつかれたまま暴発同然に火球をぶっ放す。当たり前だが、骨の頭ごと、それは爆裂。〈金心〉も頭部を吹っ飛ばされて消滅した。
「冗談だろう……」
穢れは、そもそも生物の理屈で動いていないのか……。
朔夜は事ここにいたり、それを学習した。
左の〈金心〉はなおも両爪で攻め立てる。穢獣は、〈金心〉の脇腹に頭突き。
朔夜は死角から、太刀の刺突を見舞った。
穢獣の喉笛を抉る。並の獣なら、失血死待ったなしであるが──。
「まだだな」
右手を捻り、太刀を回転。傷口を抉りつつ深く差し込んで、腹まで掻っ捌く。
穢獣が朔夜に注意が向けた。〈金心〉はそれを狙い、狼穢獣の顔面を、爪で切り裂いた。
甲高い、くびられたような悲鳴が上がる。
地面を転がった穢獣──なのだが、その傷が回復しつつある。失った左の骨頭さえ、治りつつあった。
「妖力治癒の範疇じゃないな」
妖力による治癒──いや、妖力の制御は、脳で行う。脳幹が、それを担っている。ゆえに、頭部の治癒は不可能だ。顔の皮膚や筋肉、もしくは眼球を治すくらいはできるのだろうが、脳の治癒など、まず不可能。
だからどんな存在も脳を損傷すれば、妖力の制御はできなくなる。
傍らの脳が機能を代替したのか、そもそも、理屈が根本から異なるのか。
再生したそいつへ、次の瞬間紅蓮の火球が彗星の如く叩きつけられた。
なつめだ。
日輪の印相を結んだ彼女が、上空から星の如き火を撃ち落とし、穢獣を爆散せしめたのである。
穢れは妖力と相殺関係にある。強力な妖術をぶつければ、穢れは食い破られ消えるという、単純な論理が働くのだが──。
ゆえに、一撃で爆散した穢獣に再生の余地などない。
「あれが神使の実力か。敵に回さなくて正解だ」
肝が冷える。予備動作は長いが、まさしく大砲。艦砲、と言っても良い威力である。
おそらく本来は和真があの大刀で暴れて時間を稼ぎ、雑魚を狩りつつ、なつめが大物を吹っ飛ばすという戦術だろう。
二人だけで軍隊の様相を呈している。荒削りで、あまりにも無骨な戦術だが、反常識ではない。理屈が通る。
──二度目だが、穢れと妖力は相殺関係。
つまり、守りに回ればひたすらに妖力を削られるだけだ。ならば、ひたすら攻めた方が良い。
和真となつめの攻めの姿勢は、穢れを狩る上では大正解だろう。
と、前方。十間ほど先に、一人の女がいた。
おそらくは術師。彼女は醜悪な悪鬼に追い詰められていた。
朔夜が駆け出す。すぐに紙筒を一本投擲、詠唱し〈白犬〉を呼びつけると、悪鬼に噛み付かせた。
「
冷気が爆ぜ、悪鬼が地面に縫い付けられた。
朔夜は地面を蹴り、跳躍。大上段に振りかぶった太刀で、悪鬼の脳天を断ち割る。
「下がっていろ」
いうが早いか、朔夜は赤い線が引かれた紙筒を抜いた。
「オン・キリカク・ソワカ──〈
現れたのは、狼。赤く燃える、炎の狼だ。
〈赤狼〉は悪鬼の喉笛に喰らいつくと、朔夜の「
「平気か」
女を見やる。
「あんさん、何もんや」
「……
「なんやねん。西の妖怪は、くるなってか」
女は妖怪だ。猫又である。糸目、猫耳、四本の尻尾。艶やかな青と黒の毛。
「違う。芽慈に東も西もない。逃げられるなら逃げろ」
「逃げへんわ。これ以上、逃げてたまるか。女が廃る」
ならば、余計な問答は無用。朔夜は右側を顎でしゃくった。
「右は任せていいか。正面は俺がやる」
「わかった」
即席の共闘。だが、こんな状況だ。言い争う時間は、一瞬とて惜しい。
そうして、戦いは一層、激しさを増し始めるのだった。
「あれが〈
和真は、主祭神・
白い犬が包囲し、足止め。赤い狼が爆撃し、鎖の蛇が拘束、麻痺
さらに金色の半人半獣の八尺ハクビシンが二体、朔夜と猫又の女を援護。
「一人軍隊だな」
一方、和真はまさに鬼の如き暴れっぷりである。
電報を終えた彼はすぐさま結界内に入り、大暴れであった。
七十五貫にもなる大刀をぶんぶん振り回し、穢れ共を切り飛ばす。妖力を纏うそれは、穢れにとっては一撃必殺を意味し、重い斬撃を貰えば、七尺に達する悪鬼でさえ肉体が音を立てて切り飛ばされてしまう。
どうせ再生するのだ。
和真は穢れを一箇所に集めて、左手を振った。なつめへの合図だ。
「〈
日輪の印相、そして、彗星のごとき火球。
大地をゆする爆音は、朔夜の〈赤狼〉の威力を優に十倍を超えている。
集められた穢れが一層され、朔夜は別の戦線に飛び込み、同じことをする。
二人は出会って二月ばかりであるが、すでに、相棒と認め合うほどに息が合っている。
次第に穢れの勢いが落ちてきた。各所で戦っている武僧の尽力もあるだろう。
すかさず武僧らは地面に楔を打ち込み、念仏を唱えた。
たちまち楔を妖力の渦が駆け巡り、穢れを相殺、祓っていく。
そこからはもう仏僧たちの
ただ、見届けるのだった。
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