第六話 〈飯綱操術〉

 芽慈十一年 三月十六日 木曜日

 巳の刻(昼四つ) 午前十時頃


 流川宿るかわじゅく

 西の都、京楽きょうらくから東海道を沿岸沿いに北上することおよそ三十七里。旅慣れた者ならば、四日もあれば余裕を持って辿り着ける。飛脚なら三日といったところ。

 あるいは、開通したばかりの京楽〜坂東ばんどう間の鉄道を用いれば、半刻で三里も進むから、単純に考えれば一日で到達できるだろう。──無論、京楽駅から、場末の宿場まで駅が開通しているはずもないのだが、あくまで物の例えである。


 穢れ地となった場所は、まず、近隣の神社ないしは仏閣、樹襤じゅらんのいずれかの、神々の分霊を祀る社に協力を要請する必要がある。

 そこから神職、僧侶、樹師じゅしが駆けつけ、結界で封鎖。穢れを閉じ込めて、それ以上の汚染地域拡大を防ぐのが常である。

 次いで、戦闘員となる侍・妖術師や妖怪などを自前で、もしくは現地で集めて穢れを祓い、土地を清める──大雑把に言えば、そのような手順である。


「郵便局に寄りたい」

 和真が突然そう言った。

「なんだ、なぜ」

「俺は電報を打てる。あんたと合流したことを、天嵐神社の総本社に、しかと伝えておきたい」


 なるほど、情報の錯綜は時に悲惨な末路をもたらす。それは、去年──正確には、半年前──まで軍人だった朔夜がよく知っている。


「わかった、流川宿の郵便局は無事なのか」

「ああ。局員はおらんだろうが、電信機さえ無事なら構わない」


 道中、彼らが山岳郷・嶽垣国たけがきのくに出身であるときいた。同一局内であれば五働銭、隣の局へ移るにつれ二働銭ずつ加算される。

 ここから嶽垣国となれば、越境費用も込みで、八〇働銭は必須。大工の日当の二日分である。

 まあこの状況で金は取らぬだろう。緊急事態である。あるいは、どこぞの社で事情を説明し、電報を打ってもらってもいいかもしれない。


「見えたぞ」

 なつめが言った。一里半なら、走ればすぐだ。三人ともに、体力には自信がある。妖術師も鬼も健脚自慢であるし、なつめにいたっては飛んでいる。


 薄青色の結界が天蓋状に展開されていた。そのうちに見えるのは、赤黒い穢れが点々と大地を、家屋を呑んでいる冒涜的な有様。

 朔夜は穢れというものを知識としては知っていたが、見たことはなかった。ゆえに、半信半疑だったが、実際に見てようやくそれを、実感として認識した。


 ──あってはならぬものだ。


 そのように感じた。

 黄泉か地獄か。信奉する神仏によりその呼び名は変わるだろうが、いずれにしても、この世のものではない、あってはならぬ異質である。


「妖力で全身を覆いなさい。素肌で触れれば焼かれたように痛んで、徐々に、侵食される」

「わかった」


 妖力で肉体を覆うのは、妖術師が最初に習う基礎であった。それによって彼らは物理的な攻撃に対して高い防護性能を発揮し、銃弾をも跳ね除けるのだ。

 結界を張っているのは、壮年の男だ。剃髪し、袈裟を着込んでいる。燦仏天さんぶってんの坊主だ。


「君たち、何している! 逃げなさい!」

「天嵐神社神使、梟福殿きょうふくでんなつめ」そう言って、なつめは金の龍を浮き彫りにしたピストルを見せた。「助太刀に馳せ参じました」

「天嵐神社……なるほど、頼む。今はとかく、助けが欲しい」


 なつめが「和真、電報を打ったら合流して」と言い、和真は「まかせろ」と言い放ち駆け出す。今までは本気の疾走ではなかったのだろう、倍の速度で駆け出す。

 朔夜となつめは坊主が隙間を広げた結界から内部に侵入した。


 ぬる──と、肌をざらついた……猫の舌で舐めまわされるような感触が這いずった。けれど、猫に舐められた時に感じる安らぎは一切ない。ひたすらに不気味で不愉快だ。


「オン・キリカク・ソワカ──〈金心こんしん〉」

 朔夜は素早く紙筒を二つ抜いて、かんしゃく玉のように地面に打ちつけた。煙と光が炸裂、八尺にも達する金色の半人半獣の、メスのハクビシンが顕現。

 帯電する二体の〈金心〉は、さながら阿吽像の如く朔夜の左右を守る。


「〈飯綱操術いづなそうじゅつ〉……!」

「詳しいことは後で話す。こいつらは俺の認識を引き継ぐから、仲間と敵をしっかり識別できる。大丈夫だ」

「ならいい」


 穢れが、まるで樹木のように張り巡らされている。その枝やら幹に、ところどころ肉腫のようなものが蠢いていた。

 その一つがばきりと割れて、中から、悍ましい化獣ばけものが──穢れの獣……穢獣けだものが産み落とされる。


 それが、左右非対称の、二つの頭を持つ狼であった。

 狼の穢獣は不協和音めいた雄叫びをあげる。大きさは、リクザメと同じくらい──一般獣の中では最大級の、ゾウほどもある。


〈金心〉が下肢をたわめ、飛びかかった。僅かに、右から反時計回りに迫る方が早く、左から時計回りに攻める方が意図して遅く飛び出し、攻撃の間合いをずらす。

 朔夜は既に太刀を鞘払い、左の〈金心〉に隠れるようにして駆け出していた。


 狼穢獣がまず、右の〈金心〉を迎撃。二つの頭部のうち、肉が腐り落ち骨が剥き出しになっている方の左頭が顎を開いて、黒い火球を放つ。

〈金心〉は帯電した爪でそれを弾きつつ、──しかしその一撃で、左手が焼け落ちて消失した。


「なんて威力だ」


〈金心〉は攻防一体の式神。攻めにも守りにも使える汎用性のある手札だ。

 なつめは上空に上がり、印相を結んでいる。修験道だろうか? 天嵐神社では燦仏天の流れも汲んでいるため、修験の教えがあっても不思議ではない。

 天狗のなつめが神使に登用されるのも、そのためだ。


 いずれにせよ、何らかの術を使うのは明らかだ。

 時間を稼ぐべきだと即時判断、右の〈金心〉がまず攻めに回る。


 爪の一撃を、狼穢獣が後ろに下がりつつ火球を打つ。〈金心〉は、それ単体では学習速度が遅い。やはり受け止めるのだ。〈金心〉は朔夜が守りにも使うために、回避する、という判断を滅多に下さない。

 両手を吹き飛ばされた右の〈金心〉は、だが、牙で攻めた。


 ギャウッと怒号をあげて、〈金心〉が駆けていく。その時、左の〈金心〉が下段から爪を擦り上げつつ、狼穢獣の肉に包まれた右頭をかち上げた。

 そこへ、両手を燃やされている〈金心〉が大顎で噛み付く。骨の頭に噛みつきを喰らい、穢獣が悲鳴を上げた。


「そのまま噛み潰せ!」


 ぎぎっ、ぎちぃっと骨の頭が軋り、──狂気が、爆ぜる。

 穢獣が噛みつかれたまま暴発同然に火球をぶっ放す。当たり前だが、骨の頭ごと、それは爆裂。〈金心〉も頭部を吹っ飛ばされて消滅した。


「冗談だろう……」


 穢れは、そもそも生物の理屈で動いていないのか……。

 朔夜は事ここにいたり、それを学習した。


 左の〈金心〉はなおも両爪で攻め立てる。穢獣は、〈金心〉の脇腹に頭突き。

 朔夜は死角から、太刀の刺突を見舞った。

 穢獣の喉笛を抉る。並の獣なら、失血死待ったなしであるが──。


「まだだな」


 右手を捻り、太刀を回転。傷口を抉りつつ深く差し込んで、腹まで掻っ捌く。

 穢獣が朔夜に注意が向けた。〈金心〉はそれを狙い、狼穢獣の顔面を、爪で切り裂いた。


 甲高い、くびられたような悲鳴が上がる。

 地面を転がった穢獣──なのだが、その傷が回復しつつある。失った左の骨頭さえ、治りつつあった。


「妖力治癒の範疇じゃないな」


 妖力による治癒──いや、妖力の制御は、脳で行う。脳幹が、それを担っている。ゆえに、頭部の治癒は不可能だ。顔の皮膚や筋肉、もしくは眼球を治すくらいはできるのだろうが、脳の治癒など、まず不可能。


 だからどんな存在も脳を損傷すれば、妖力の制御はできなくなる。

 傍らの脳が機能を代替したのか、そもそも、理屈が根本から異なるのか。


 再生したそいつへ、次の瞬間紅蓮の火球が彗星の如く叩きつけられた。


 なつめだ。


 日輪の印相を結んだ彼女が、上空から星の如き火を撃ち落とし、穢獣を爆散せしめたのである。


 穢れは妖力と相殺関係にある。強力な妖術をぶつければ、穢れは食い破られ消えるという、単純な論理が働くのだが──。

 ゆえに、一撃で爆散した穢獣に再生の余地などない。


「あれが神使の実力か。敵に回さなくて正解だ」

 肝が冷える。予備動作は長いが、まさしく大砲。艦砲、と言っても良い威力である。

 おそらく本来は和真があの大刀で暴れて時間を稼ぎ、雑魚を狩りつつ、なつめが大物を吹っ飛ばすという戦術だろう。

 二人だけで軍隊の様相を呈している。荒削りで、あまりにも無骨な戦術だが、反常識ではない。理屈が通る。


 ──二度目だが、穢れと妖力は相殺関係。

 つまり、守りに回ればひたすらに妖力を削られるだけだ。ならば、ひたすら攻めた方が良い。

 和真となつめの攻めの姿勢は、穢れを狩る上では大正解だろう。


 と、前方。十間ほど先に、一人の女がいた。

 おそらくは術師。彼女は醜悪な悪鬼に追い詰められていた。

 朔夜が駆け出す。すぐに紙筒を一本投擲、詠唱し〈白犬〉を呼びつけると、悪鬼に噛み付かせた。


オン


 冷気が爆ぜ、悪鬼が地面に縫い付けられた。

 朔夜は地面を蹴り、跳躍。大上段に振りかぶった太刀で、悪鬼の脳天を断ち割る。


「下がっていろ」

 いうが早いか、朔夜は赤い線が引かれた紙筒を抜いた。


「オン・キリカク・ソワカ──〈赤狼せきろう〉」


 現れたのは、狼。赤く燃える、炎の狼だ。

〈赤狼〉は悪鬼の喉笛に喰らいつくと、朔夜の「オン」の命令で爆裂。悪鬼を木っ端微塵に粉砕した。


「平気か」

 女を見やる。


「あんさん、何もんや」

「……逢坂おうさかの妖怪か」

「なんやねん。西の妖怪は、くるなってか」


 女は妖怪だ。猫又である。糸目、猫耳、四本の尻尾。艶やかな青と黒の毛。


「違う。芽慈に東も西もない。逃げられるなら逃げろ」

「逃げへんわ。これ以上、逃げてたまるか。女が廃る」


 ならば、余計な問答は無用。朔夜は右側を顎でしゃくった。


「右は任せていいか。正面は俺がやる」

「わかった」


 即席の共闘。だが、こんな状況だ。言い争う時間は、一瞬とて惜しい。

 そうして、戦いは一層、激しさを増し始めるのだった。




「あれが〈飯綱操術いづなそうじゅつ〉」


 和真は、主祭神・天慈颶雅之姫あまじくがのひめが夢に見たという術の実物を前に、舌を巻いた。

 白い犬が包囲し、足止め。赤い狼が爆撃し、鎖の蛇が拘束、麻痺瓦斯ガスで足止めする。

 さらに金色の半人半獣の八尺ハクビシンが二体、朔夜と猫又の女を援護。


「一人軍隊だな」


 一方、和真はまさに鬼の如き暴れっぷりである。

 電報を終えた彼はすぐさま結界内に入り、大暴れであった。

 七十五貫にもなる大刀をぶんぶん振り回し、穢れ共を切り飛ばす。妖力を纏うそれは、穢れにとっては一撃必殺を意味し、重い斬撃を貰えば、七尺に達する悪鬼でさえ肉体が音を立てて切り飛ばされてしまう。


 どうせ再生するのだ。

 和真は穢れを一箇所に集めて、左手を振った。なつめへの合図だ。


「〈梟天道智きょうてんどうち・天狗火〉」


 日輪の印相、そして、彗星のごとき火球。

 大地をゆする爆音は、朔夜の〈赤狼〉の威力を優に十倍を超えている。

 集められた穢れが一層され、朔夜は別の戦線に飛び込み、同じことをする。


 二人は出会って二月ばかりであるが、すでに、相棒と認め合うほどに息が合っている。


 次第に穢れの勢いが落ちてきた。各所で戦っている武僧の尽力もあるだろう。

 すかさず武僧らは地面に楔を打ち込み、念仏を唱えた。


 たちまち楔を妖力の渦が駆け巡り、穢れを相殺、祓っていく。

 そこからはもう仏僧たちの独擅場どくせんじょうである。朔夜らは武器を納めた。穢れを生むほどの無念や怨念に、一礼も、手を合わせるでもなく、黙って赤い粒子となり消えていくそれを。


 ただ、見届けるのだった。

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