第五話 穢れ地

 医者は、朔夜の古傷の多さを見、閉口していた。だが、事情を察したのだろう。無言で治療を終えると、「では」と言って救急箱をしまって立ち上がった。

「待ってくれ、礼がなにも」

 朔夜はそう言い、しかし医者は「すでに、第四課からいただいております」とだけ返して、旅籠はたごから出て行った。


 脇腹は痛む。より優れた妖術師なら、妖力を回復力に転換し、吹き飛んだ手足や失くした臓器までも再生させるというが、朔夜には未だ習得できていない技だ。

 上の兄姉──長二郎と、津具はしかし、できる。


 相伝を持つだけで、一族では長子よりも愛されるというのが、朔夜には嫌なものに感じられていた。それは今も昔も変わらない。

 術の良し悪しではないだろうと思うのだ。親子とは、損得で結ばれるモノではないと。

 兄も姉も優しいから口にしないだけで、実際には、朔夜を疎んじたことだろう。


 自分が甘いだけなのか、子供なのか、理想に縋っているのかもわからぬが──。

 益体もない、馬鹿げたことを考えたと、朔夜は鼻を鳴らし横になった。思わぬ足止めだが──元より、いく当てのない流浪だ。

 何を求めるでも、どこへ行こうというのでもない。急ぐ必要は……。


 ──「汝、勇士を集い災渦に立ち向かう夢を見たり」。


 天慈颶雅之姫あまじくがのひめのお告げ。神命、そう言い換えても良いだろう。

 あれはどういう意味なのだ。災渦とは、一体、何を意味している?

 昨年──正確には、半年前まで続いていた西郷時盛の内乱のようなことが、また、この東雲国しののめのくにで起こるのだろうか。


 それとも遠く北の、裡辺国りへんのくにで起きた、暁星嶺慈あかぼしれいじによる新国家樹立に端を発するような分離独立が起こるのだろうか。

 いや──そういう類には思えない。


 ──もっと大きな、悍ましいことが起こる。


 口角を下げ、口をへの字に曲げて眉間に深い皺を刻む。考え込む時の癖だ。ただでさえ表情が死んでいる朔夜が、余計に怖い顔をするものだから、忌兵隊にいた頃は「般若狐」なんていう面白くないあだ名を拝命したものだ。


 そこへ、足音が近づいてきた。

 人数は二人。骨盤の構造上、男女で足音に差が出る──おそらく、背の高い女と、中背の男。

 旅籠の客だろうかとも思ったが、その音は、こちらへ接近していた。


 朔夜はすぐに脇差を鞘ごと握る。閉所では、太刀よりも刃長の短い脇差の方が有利に立ち回れることを知っていた。


「もし。稲葉殿、おられるか」

 女にしては低く、そして冷たい声だ。朔夜は「まずはそちらから名乗るのが礼儀だろう」と返す。


「失礼、私は梟福殿きょうふくでんなつめ。天嵐神社総本社より降りてきた、神使だ」


 ──神使、だと。

 横になっている場合ではない。朔夜はすぐに起き上がり、正座の姿勢をとる。


和真かずま桜之丞さくらのじょう和真」

「……稲葉朔夜で相違ない」

「入ってもいいか」

「ああ」


 神使、というのが事実ならば、何をするというわけでもあるまい。

 この土地で神使を騙るものは、例外なく死罪。なぜなら、神使は神職よりも、さらに上の身分だ。文字通り、神の使いである。

 その神使の命令は、神の命令。重んじられこそすれ、無視するという選択肢は決してあり得ない。


 まず入ってきたのは、やはり、背の高い女。六尺はあるんじゃないかという上背に、全体的な肉付きは薄く、痩身。背中にはフクロウを思わせる丸みと膨らみを持つ翼を持ち、右目を小麦のように輝く金色の前髪で隠している。

 覗いている青い左目はぎょろりと開かれているが、これは、鳥類系妖怪の特徴だ。鳥妖怪は、皆一様にぎょろ目である。

 彼女は武器の類を一切持っていないが、──札に封じ、持ち歩いている可能性がある。神使の越権の一つに、そのような武具の携帯方法があるのだ。

 しかし、身分を示すため一丁のピストルを腰にさしている。


 警官でさえ、銃を持てない。理由は、警官が皆銃を持っていたら悪党に奪われる危険性が跳ね上がるためだ。

 ゆえに、銃を持てるのは極々一部の身分の者か、政府の公文書を運ぶ重要な立場である駅逓局えきていきょく──つまりは郵便局員、そして軍隊のみである。


 確かに、神使であろう。銃を持つとは、そういうことだ。

 そのピストルは実用というよりは儀礼的なものであるらしく、金の装飾で、龍が浮き彫りになっており、その口が銃口になっていた。


 もう一人は男。五尺五寸ほどの背丈。人間の中では長身だろうが、しかし左のこめかみから生える黒い角を見る限り、鬼だ。鬼としては、かなり背が低い方だろう。

 彼の妖怪は、ゆうに七尺、八尺にすら達する連中がごろごろいるのだ。


 彼の顔つきは精悍である。若い──見た目は、朔夜と同じか、一つ二つ下に見える。

 背負っている肉厚段平、反りのない大刀ともいうべき得物。両手でなくては握れぬような巨剣を鞘ごと壁に立てかける。

 一体、何貫あるのか。


「七十五貫だ」

 こちらの疑問を見抜いたのだろう。彼は深い緑の目で朔夜を見るなり、そう言い、一礼。それからどっかりと、あぐらをかいて座る。

 七十五貫。王国の単位で言えば、二八一キログラム。とても、人では振るえぬが、鬼であれば別だろう。奴らの怪力は、想像を絶するのだ。


「何用で」


 端的に、朔夜はそう問うた。

 神使が訪ねてくる際の主な理由は、神仏への著しい不敬が認められた場合における、指導・罰則の言い渡し。──時には、処刑、である。

 あるいは、何らかのお告げを賜ってきた、という場合。


 当たり前だが、朔夜は神仏を敬愛し、尊崇こそすれ、決して不敬は働いていない。

 となれば、やはり──。


「天嵐神社で神霊視したな?」

「……ええ。その際、神職から、二人連れが……いえ、待ってください。流川宿では?」

「流川が襲撃を受け、とって返してきた」和真という鬼が、そう言った。「やったのは害獣指定の化獣ばけものではない」

「なら、なんの」


 和真は、こう言った。

「穢れだ」


 ──穢れ、だと?


「寡聞にして知らぬが、それは……実在するのか」

「する」なつめは頷いた。「本来それらは、避雷針ともいうべき場所、穢れ地に吸い寄せて祓うのが通例だ。しかし、あの大乱で穢れ地とそうでない土地の境界が崩れかけている。今となって、各地であれが湧いているのだ」


 血は、不浄である。特に、戦乱によって無念のままに果てた者らの血は、怨念を呼びつける最良の餌となる。

 ゆえに、その土地は土着の神職や、その配下の術師によって清められ祓われるが──討幕戦争の十一年と、その後の内乱続きの十一年の戦は、あまりにも広範囲かつ数が多すぎる。

 人手が足りないのだろう。


「それが、災渦か」

「俺たちはそのように判断している。稲葉朔夜、頼む、俺たちと戦わないか」


 なぜ俺が──という言葉が喉までせり上がってきた。

 自分は、他ならぬ穢れを作った張本人である。生命を以て、穢れを祓えという意味にも取れる。要するに償え、ということだ。

 けれど、それだけのことには思えない。


 断るのは簡単だ。この空気ならば、無理強いはしないだろう。が、いかんせん朔夜は、他ならぬ天慈颶雅之姫それ自身から命を賜っている。

 自分は、璣巧からくり主義ではない。否定する気もない。けれども、それ以上に神仏を敬愛する妖術師である。

 その神仏の一柱が困るほどの事態である。


 ──死ぬかもしれん。

 ──どうせ惜しくない命だ。

 ──惜しくもない命の使い道としては、最良で、最善やもしれぬ。


 ──死にたくない。

 ──強い奴とれるのか。


 悶々と、色々な考えが浮かんでは弾け、浮かんでは弾け。

 なつめと和真は辛抱強く待っていた。


 四半刻。王国の時法で、三十分ほどか。

 朔夜はようやく、胎を決めた。


「わかった、協力する。ただし、そうなる以上、互いに敬語はなしだ」


 なつめと和真が、頭を下げた。

「ありがたい」

「よしてくれ、神使に頭を下げられるような立派な人間ではない」

「筋は通すべきだろう。……腹の傷はどうだ。さっき、すれ違った医者は何も答えなんだが」


 口が固い医者らしい。ありがたいことだ。


「人斬りとやり合った妖術師がいると聞いたが、あんたか?」和真の問いに、朔夜は頷いた。

「脾腹をやられたが、はらわたは避けた。代わりに、奴の──人斬り才蔵の左腕を落とした」

「稲葉殿は、あの戦に?」

「朔夜でいい。さんも殿も、いらん。俺も肩を並べる仲間は、下の名で呼ぶし、敬称をつける気もない」


 すると、二人はどこか砕けたように、微笑んだ。


「いいだろう。……朔夜は討幕の志士なのか。見たところ、二十歳……いや、それより若く見えるが」なつめがいう通り、朔夜の見た目は驚くほど若い。

「祖父が妖狐だったせいで、若く見えるだけだ。俺は二十四、十三の時に天瀑・伏辺の戦いに参加している。初陣でな」


 和真が、「初陣が、あの戦か」と呆れ顔で唸る。


 無理からぬことだ。普通、初陣は元服以降、十五歳以上が普通。まさか十三の時分で、あの大合戦に出る上に、加えて初陣など……正気の沙汰には思えないのだろう。

 朔夜は、あの戦いののちに、遠呂智の地で行われた殲滅戦・五稜郭戦争や、その後の数々の内乱鎮圧、そして西郷時盛の乱にも参加し、それを最後に放浪していると説明した。


「ところで、あんたたちはいくつなんだ。なつめは二十半ば、和真はまだ十代に見えるが」

「私は八十七」「俺は二十一だ」


 和真はさておき、なつめの実年齢は、人間にしてみれば驚きである。八十七で、この若さと美貌なのだ。

 が、妖怪であるから、おかしいことではない。そも、人の姿というもの、それ自体が借り物だ。フクロウ系天狗ともなれば、その本来の姿はより鳥類──フクロウに近い姿だろう。

 それから和真は、「俺は四分の一ではなく、半々の、より濃い半妖だ」と語った。

 なるほどそれで鬼でありながら、人間に近い上背なのだろう。尻の座りに納得がいく理由である。


 年齢から察するに、なつめは純粋な妖怪なのだろう。

 時刻は、すでに昼四つ。昼食には早い。動くには、十分な余裕がある。


「行こう」

「その腹でか。傷が開くぞ」和真は静止した。

「ずっと寝ていると、根を張る気がしてならん。鈍るのはごめんだ」

「妖術師の回復力なら問題ないでしょう」なつめは、そう言い頷いた。「流川宿に行きましょう。穢れ地なりたてなら、新人の私でも祓い切れる」


 朔夜はすぐに着替えた。褌一丁になった朔夜を見て、いちいち顔を赤らめたりしないのは、さすが神使。

 肌着がわりに晒しをきつくまく。はらわたが飛び出さぬようにする工夫だ。その上から鎖帷子を着込み、着物に袴、羽織。胴乱、大牛の角を加工した粉入れに、緊急時の薬入れと、肩と腰に四本の帯を巻く。

 腰にぐるりと帯を通してもろもろの袋を吊るし、脇差を差して、太刀を佩く。

 最後に、杖に着替えやらを突っ込んだ袋を括り、準備完了だ。


 旅籠の店主はなつめからすでに代金をもらっているようで、「いってらっしゃいませ」と一礼する。


「おい、怪我人は……」あの若い警官が走ってきて、呼び止めてきた。

 何かと縁がある男だと思った。


「俺は平気だ。妖術師とはそういう生き物だ。才蔵は」

「あんたがそういう生き物なら、璣巧からくり使いってのもそういうもんなんだろう。血痕が途絶えた。痕跡もない」

「……くそ」

「いい、元は俺たちの仕事だ。それよりあんたに、織璣しょっきを回収した報奨金を渡していないだろう」


 そう言い、警官は朔夜に札を二枚渡す。


「二働貨も。悪いな。路銀にする」

「なんの旅かは知らんが、まあ、気をつけろ。色々言ったが、別に死んで欲しいわけじゃない」

「俺もだ。……互いにな。壮健で」

「ああ」


 最初は印象最悪だったが、互いに、多少なりとも言葉を交わしているうちに胸襟を開けるようにはなった。

 

「俺は佐嘉平助さがへいすけだ」

「改めて、稲葉朔夜。縁があればまた会おう」


 そう、名を言い合って、朔夜は先んじて歩き出しているなつめと和真の後ろを追うのだった。

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